今日は、歯の定期検診の予約日だったので、街に出かけた。
今日に限らず、どこか間の抜けたことの多い日常なのだが、バスの中で、診察券を取り出しておこうと、バッグを開けたところ、お財布がないのに気づいた。お金ばかりでなく、カード類一式が入っているので、はたと当惑した。
幸い、別の財布に、新札の千円札五枚と五千円札一枚があるのに気づき、お金の方はこれで何とかなるだろうと思った。まさかのときにと別にしていた新札が、思いがけぬところで役立つことになった。
診察予約券はなくても、受付は大丈夫だった。
お正月以来、二度目の診察である。
右上の奥歯が、もうかなり前から、怪しい状態になっている。診察ごとに、少しでも長く生かしましょうと、義歯の支えとして温存されてきた。
私自身は、今年に入ってからは特に、もう限界ではないだろうかと思っていた。
今日も、痛みこそないが、快適ではないことを伝えた。
看護婦は、すぐレントゲン写真を撮り、医師と相談した。
その結果、即刻、抜歯となったのだった。
したがって、今日は、長年、私の人生を支えた一本の歯とお別れの記念日となってしまったのだ。変ではあるが、これも記念日。
こうして、私の体の一部が、年とともに、取り除かれ、やがては命の終わりを迎えることになるのだろう。
M歯科医院の先生には、インプラントの手術もしていただいているし、抜歯に当たっても、安心してお任せできると信じながら、やはりいやな気分だった。
麻酔をして、暫く経って抜歯が始まった。麻酔の効きが悪かったのか、抜歯治療が始まった途端、痛みを覚えた。私は我慢ができないたちなので、足をピクリと動かしたり、手で先生を遮ったりした。
「痛みますか?」
先生は、そう言いつつ、仕事を続けられた。
それは想定内のことであったのか、次第に痛みが薄らぎ、わけなく、私の体の一部が取り除かれた。
脱脂綿が、奥歯に当てられた。
看護婦さんから、
「起きてみますか?」
と、尋ねられたが、私は首を横に振った。
「呼吸が苦しい」
と言って、応じなかったのだ。
今までにも、幾本もの歯を抜いてきたが、ここ数年、抜歯の経験がない。
その間に、多分体力が落ちているのだろう。我慢も下手になってしまった。
三十分、安静に過ごし、帰宅を許された。
もう三十分くらい後には、食事をとってもかまわない、と言われた。
しかし、気分は決してよくない。タクシーで帰宅しようかとも考えたが、お彼岸に備え買い物もしなくてはいけないし、お墓参りのとき、墓守に届ける品物も求める予定だった。一万円しかないのだからと思案しているうちに、少しずつ元気を回復した。
買い物を済ませ、食事もできそうな感じになってきたので、駅前の喫茶店に入った。義歯の支えと、病む歯を温存してきたのだが、なんということだろう!?
難なく食事もできるし、その歯がなくても、何の不自由もないのだ。こんなことなら、もっと早く抜歯してもらえばよかったように思う。
痛み止め三錠と、明日から使うようにと<うがい薬>をいただいてきた。が、今のところ痛みもない。入浴は控えるようにと言われているから、無理はしないでおこうと思う。
多分、ご飯は食べられないだろと思って、お店で、小豆粥、卵粥、白粥など、手当たりしだい求めてきたが、食事制限は全く必要なさそうだ。
今、ヤレヤレといった思い。
しかし、年を重ねるのは大変なことだ。
バスに乗ろうと、バス乗り場に着いたとき、同年で、かつて同業同郷だったYさんに偶然会った。私はかなり憔悴していると思ったので、様子を尋ねられる前に、今歯を抜いてもらったばかりなの、と言った。
すると、彼女は、
「私には、片方のおっぱいがないの」
と、平然と言った。
二年前に、乳癌の手術を受けたのだ、と。
でも、顔の色艶はよく、そんな大変な術後とは思えなかった。
同じ手術とはいえ、歯一本と、乳房一つでは、大いなる違い!
互いに余生の無事を願いあって別れてきたが、今なお、重い石が心の片隅に、どっかり坐っているような気分である。
(写真 咲き始めたばかりのシデコブシ。)
昨日、草花舎へ向かう途中、主不在のK家の前を通りかかったとき、Kさんは、その後どんなお具合だろうか、とふと思った。昨年、椿の季節に、老人ホームにお見舞いして以来、ご無沙汰している。
二十年近く前の話になるが、Kさんから母の見舞いにいただいた白い椿を土にさしたところ、無事に根付き、今では毎年、花を咲かせている。
その花の小枝を、昨年、お見舞いに届けたのだった。
今年も、花の数が増えたらと、折々椿の木を眺めるけれど、まだ花の数が少ない。蕾も、昨年のように沢山はついていないように思える。
K家には、勿論、白い椿の木があるはずである。
見ると、K家の隣が空き地になって(いつからそうなったのか、その場所にどんな家があったのかも思い出せないのだが)、家裏をのぞきやすくなっていた。
私は、白い椿を確かめたくて、裏庭をのぞかせてもらった。
我が家の椿に比べれば、幹周りの太い椿が、亭々と立っていた。が、やはり花はほとんどなかった。これから咲き始めるのかもしれないし、今年は花のつきが悪いのかもしれない。
親元の木も、わが家と同じなら、もう少し待ってみるしかないと思った。
K家には、もう一本、あでやかな花を沢山つけた椿の木があった。白花の椿と大差ない大木である。今花盛り。春の日差しに映えて美しかった。(写真)
二十年前にも、紅椿も、白椿同様、存在したのだろう。
それなのに、母の見舞いに、Kさんが持参されたのは、白い花の椿だった。それを選ばれたのは、Kさんの美意識によるものだろうかなどと、紅椿の花を見上げながら、とりとめもなく考えていた。
昨日、草花舎へ出かける途中、迂回してSさん宅の前を通った。
昨年、ミモザの花が咲いていたことを思い出して。
先日、山口の喫茶店で、アカシアと教えてもらった花を見て以来、いずれ出かけてみようと思っていた。(そのアカシアとは、銀葉アカシアのことであり、ミモザとも呼ばれることを、帰宅後にただした。)
お天気がいいので、春の日差しを存分に浴びて、道々、植物の芽吹きを眺めながら散歩した。
S家の前庭には、すでにミモザが咲いていた。(写真)
銀葉アカシアの名の示す通り、その葉は、銀色を帯びていた。
わずかな風に、黄色い優しい花房も銀葉も、みな揺らいでいた。
その周辺にだけは、ゆるぎない、確実な春が存在した。
昨年、ミモザの花が咲いていたことを思い出して。
先日、山口の喫茶店で、アカシアと教えてもらった花を見て以来、いずれ出かけてみようと思っていた。(そのアカシアとは、銀葉アカシアのことであり、ミモザとも呼ばれることを、帰宅後にただした。)
お天気がいいので、春の日差しを存分に浴びて、道々、植物の芽吹きを眺めながら散歩した。
S家の前庭には、すでにミモザが咲いていた。(写真)
銀葉アカシアの名の示す通り、その葉は、銀色を帯びていた。
わずかな風に、黄色い優しい花房も銀葉も、みな揺らいでいた。
その周辺にだけは、ゆるぎない、確実な春が存在した。