ぶらぶら人生

心の呟き

三隅公園で 7 (スミレ?)

2008-03-22 | 身辺雑記
 「ミヤマカタバミ」かと思える花に気をとられながら、あそこにも、ここにも、と眺めていると、その白い花とは違う、スミレ色の花を見つけた。(写真)
 これ、スミレ? と足を止めたが、自信はない。
 正しければ、今年見た、<スミレ1号>ということになるのだが……。
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三隅公園で 6 (ミヤマカタバミ?)

2008-03-22 | 身辺雑記
 木の花や色鮮やかな植物は、人の目を惹きやすい。だが、うっかりすれば見落としてしまいがちなほど小さかったり、地味な色をまとったりした草花も沢山ある。
 梅林公園の散策道の傍らに、その地味で、小さな花が、たくさん咲いていた。数では見劣りしないほど。(写真)
 なんという植物だろう? と眺めた。
 妹夫婦は、私よりはるかに、植物について詳しい。しかし、葉がカタバミの種類に似ていると言いつつも、見知らぬ花のようだった。

 昨日、妹からメールが届き、「ミヤマカタバミ」では? と記してあった。「コミヤマカタバミ」という名の植物もある、と書き添えてあった。
 その名前を頼りに、インターネットで調べたところ、おそらく「ミヤマカタバミ」だろうと、私も思った。
 <ミヤマ>とは<深山>のこと。その名も姿も、崖下のような、山蔭の日陰に似合いそうな花である。
 説明を読んだ限りでは、「コミヤマカタバミ」は、もっと寒冷地の森林などに、「ミヤマカタバミ」より、さらに小ぶりな花(ミヤマの上の<コ>は、<小>の意)を咲かせているのではないかと思えた。

 この控えめに咲く花に気づいたのは、今回が初めてであった。
 以前から自生していたのか、どうか?
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三隅公園で 5 (ボケの花)

2008-03-22 | 身辺雑記
 お彼岸の三隅公園には、ボケの花も咲き始めていた。(写真)
 しかし、まだその花の数は少なかった。

 三隅神社の境内は、<花の公園>である。
 梅は山の斜面を利用して植栽してあるのだが、その他に、ツツジ(5万)、サクラ(115)、カエデ(420)、アジサイ(50)、ボケ(200)などがあると、公園の紹介に記してあった。

 これから季節を追って、上記の花を楽しむことができるようだ。
 ツツジは数が多く見事であり、陽気な季節と重なって、人出が多くなる。
 この季節には、私も幾度か訪れたことがある。
 もう少し近ければ、四季、花を眺めながらの散歩を楽しめるのだが……。
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三隅公園で 4 (梅林入り口の ヒカンザクラ?)

2008-03-22 | 身辺雑記
 三隅の梅林公園入り口に、あでやかな大きな蕾を枝々につけた桜かと思える木があった。蕾は自らの重みに耐えかねるかのように、垂れ下がっていた。蕾が異常に大きく、その色も目立っていた。(写真)
 この写真、私が撮ったのか、甥の長女(小学二年生)が撮ったのか、よく分らない。
 
 今朝、テレビを見ていて、<ヒカンザクラ>と紹介されていた蕾が、この写真のものとよく似ていた。が、果たしてそうなのかかどうか?


 身近に幼子をみる機会がほとんどないので、この日、墓参を共にした甥の長女を観察していて、面白いなと思った。周辺の様々なことに関心を示し、場合によってはすぐ実践してみようとする姿を、頼もしく眺めた。
 
 墓参の前後、三時間を一緒に過ごしただけなのだが、その間に、私のデジカメで写真を撮ったり、私が電子辞書を取り出すと、それを使って言葉を調べてみたり、最近私が遊びごとに始めた書道の道具を見つけると、筆で文字を書きたがってみたり(三年生になると、習字の授業があり、その道具一式を最近求めたのだとか)、新しいことへ無関心ではおれないらしい。その結果、小さな少女の頭脳や体に、新しいことがどんどん注入されてゆくらしい頼もしさを感じたのだった。
 私自身の少女期を思い出しながら……。私の場合、大人しいだけの、ただぼんやりした少女だったのではなかっただろうか。

 21世紀の生活環境は、私の育った時代とは大いに違っている。幼子の経験する内容も、随分高度なものになっているようだ。
 今昔、どちらがいい環境なのか分らないが、どの時代を生きるかを人は選ぶことはできないのだから、自分の生れた、それぞれの時代に適応して生きるしか仕方ないのだろう。
 子ども時代の私が、今の時代を生きるとすれば、不適応反応を示してしまいかねない気もするのだが……。
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三隅公園で 3 (駐車場近くの ?桜) 

2008-03-22 | 身辺雑記
 三隅公園にて。
 駐車場の脇に咲いていた桜。何桜なのだろう? 彼岸桜?(写真)

 いずれにしても、今年初めて見た桜であった。
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三隅公園で 2 (梅の花)

2008-03-22 | 身辺雑記
 ― 梅林公園(三隅)にて ―
 2月20日、春分の日に咲いていた梅の花。(写真)
 まだ見ごろの梅の木もかなりあった。
 咲き時は、木によっても、種類によっても、かなり異なるのだろう。
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三隅公園で 1 (父の梅の木)

2008-03-22 | 身辺雑記
 暑さ寒さも彼岸まで、と言いならされているが、お彼岸の中日に当たる一昨日は、余寒の一日だった。前日から嵐模様の悪天となり、翌朝に雨は上がったものの、墓参に快適なお天気とはならなかった。曇り日で風が冷たく、春というより、冬の気配が濃かった。

 同市内に住む妹一家と、三隅の片田舎にあるお墓にお参りしてきた。墓参は車に頼るしかなく、妹一家のお世話になった。
 その帰り、観梅の時機としては遅すぎるかもしれない(見ごろは中旬頃までと、テレビは報じていた)と話しつつ、ついでに、三隅の梅林公園に立ち寄ってみることになった。
 
 確かに、盛りは過ぎていたが、それでも十分お花見を楽しむことができた。
 お彼岸の中日(春分の日)で休日のせいもあったのだろう、私たちだけでなく、花見に訪れた家族連れや恋人同士の姿があって、散策を心楽しむことになった。

 この公園には、今は亡き父の梅の木がある。
 以前にも妹一家と、お墓参りの帰りに訪れたのだが、それがいつであったか、定かには思い出せない。その時、すでに父の木は花の数が少なく、木に勢いがなかった。そのことを皆で、寂しく眺めたのだった。

 その後、父の木はどうなったのだろう?
 まず、木のある位置から確かめなくてはならなかった。
 前回同様、梅林下の平地にある植樹者の名前を記した看板の前に立って、父の名前を探した。歳月を重ねて、看板の文字は薄れ、大変読みにくくなっている。
 その見ずらい看板の文字から、父の名を探し出したのは、甥の嫁なる人であった。言われてみれば、確かに父の名を読み取ることができた。私など、黒い点々が紋様のように連なる看板の文字から、人名を読み取るという作業を、最初から諦めているのだった。若い人の勘のよさには及ばない。

 梅林の小径を頭に入れて歩き出した。小径の一分岐点に、父の木があったことは覚えていた。たどり着いてみると、地上6,70センチのところから、すでに木は切られていた。が、感心にも、梅の命は絶えることなく、切り株から芽吹いた小枝を左右に広げ、花をつけているのであった。(写真)
 命の再生が、管理者によって行われているのをありがたく思った。
 見渡すと、父の木ばかりでなく、古木は同じように切られていた。それらの木株は、年月をかけ、古木なりに再び花を咲かせるのだろう。

 父の梅の木がそこに植えられた経緯を私はよく知らない。そもそも梅林の歴史についても……。
 そこで、インターネットで調べたところ、昭和47年(1972)に、諸々(入学、卒業、就職、結婚、出産、新築など)の記念樹として植えられたのが始まりだと分った。
 父は三隅町(現在は浜田市)の出身者として、植樹に協力したのだろうか。
 小山の斜面を埋め尽くす梅林は、多くの人の思い出が込められたもの、ということらしい。

 父の梅の木が、どのような形で蘇るのか、今後、梅林を訪れる楽しみが増えた。
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