「ゆわさる別室 」の別室

日々BGMな音楽付き見聞録(現在たれぱんだとキイロイトリ暴走中)~sulphurous monkeys~

20181205

2018-12-05 | 矮小布団圧縮袋

〇また暗いうちから出勤して、日が暮れてから帰ってくる。どこにも寄れず、家と会社の往復のみ。
 入管法も水道法も全然審議の時間がとられていない。質問に対して何も答えられていない。テレビでは全然報道されない。恐ろしい事態だ。こういう非人間的なコミュニケーションの状況が横行している世の中であることを加虐的に見せつけられていれば、そういう目にあっている人々が監視カメラの話やハロウィンの話などを変に刷り込まれて、無意識下でだんだんDV被害者みたいに萎縮させられ抑圧されているのではないか。ヒューマンデブリの子たちがなぜ大人しく虐待されていたのか、というのを鉄血のオルフェンズで見ている時に、ふとそんなことを考えることがある。
 なぜヨーロッパでデモが起こって日本ではデモが起こりにくいのか、ということを言っている人がいたが、一度、人々がみんなDV被害者的な心理状態に陥ってないか、ということを考えた方がいいような気がかなり以前からしている。それが家庭の規模か、学校の規模か、会社の規模か、地方の規模か、日本全国の規模か、の違いだけで、どこでも起こっているような。だから直視しないし、欺瞞を欺瞞で包んでいる。
 ニュースが大事なことを全然放送しなくなった問題もあるが、そもそも、子供にも恥ずかしくて見せられないようなひどいことが起こっている(大人の人は馬鹿だという見本になりそうで。だから放送しないというならもっとまずい)。昭和8年頃の日本ていうのも、もしかしたら、こんなんだったんだろうか。

 こんな国に心ある外国人は来なくなるだろうし、日本の若い人たちも出て行ってしまいそうな気がした。
 自分なんかは正直、自分のやっている業種の技術をひきついでやってくれる若い人はいてほしいものだと思っているのに。
 もともと「日本すごい」系のバラエティテレビ番組は白々しいので全く見ていない。
 そんな日もテレビでは18年前からずっと相棒とかFNS歌謡祭とかをやっている。 
 エンタメというのはそういうもので、あらゆる崩壊のその当日まで放送が続くような気もする。
 昭和の最後の日はそんな感じだった。東北の大震災の日はそうではなかった。今はもう戦時中に等しいのかね。

 BGM:会いたい、会いたい、会えない。/ 久保田利伸 & KinKi kids(「FNS歌謡祭2018 第一夜」 TNC 19:00~)
 留守録はしていたので、戻った時には郷ひろみ&マモの会いたいよが流れていた。他のところも後程遡って見たい。ここで断髪式ということはさすが生。
 こんなのを見てると日本には優れた人々はいるし、確かに「よいもの」もあることはわかるし、住み慣れた懐かしさもあると思う。
 だがそういう価値の意味を全然理解しておらず理解するセンスもなく、ひたすら金勘定でしか考えない死の商人が日本を売り飛ばしてキックバックで儲けているのが凶悪なのだろうと思う。
 …宇宙SFロボットアニメで何十年も常套で使い古されているようなくだらないディストピア設定な現実に辟易。自分はそれでも選挙には行ってるのに、それだけではだめだとしたら、何をすればいいのだろうか。(20181205)



コメント    この記事についてブログを書く
« 20181204 | トップ | 20181206 »

コメントを投稿