○(若松の近代化遺産を歩く・その5)
さらに商店街の方に戻ってきて、料亭 金鍋〔大正6年頃(1917頃)〕の木造建築を見る。
これも近代港湾産業都市の旦那様方御用達の料亭、ということでは以前撮影した新潟の鍋茶屋を思い出す。なお検索していたら、金鍋の御主人は「天本英世記念館を作る会」会長さんで、顕彰と設置活動をされているそう(こういうサイトがあるのですね)。郷土若松の偉人として、とても気になる。
一方、2003年に天本さんのお通夜のあった教会の近いJR若松駅(※奇しくも自分はこの時に初めて若松駅に下りたのだった)方面から山手の住宅地に入って、こちらも郷土の文学者火野葦平旧居宅「河伯洞」[昭和16年(1941)]も見学。
外からみるとやはり和風の座敷部分と一見洋風の二階棟がつながっている(中は基本的に和室の作りになっていると見た)。昭和の住宅にはこの折衷感覚がある(新潟の會津八一宅の場合、やはり折衷的ながらも洋風棟の中は洋室だったけど)。(おそらくご親戚の)ご案内の方に、ここで亡くなりました書斎ですとご説明いただいた時、まだその時は若戸大橋が開通する前だったんだろうな、とその窓から見える街並みを見ながら、当時を想像して不思議な気持ちになった。
考えてみると若戸大橋(昭和37年開通)自体が昭和高度成長期の歴史的産業遺産で、今年が「開通50周年記念」だそうである。関門大橋やベイブリッジの先駆けで、日本のこの手の最新工業技術の「巨大な橋」の最初とか。そこで、
本日のBGM: 家に帰ってきてから再度、以前見た映画「悪名太鼓」(大映、1964)を見て確認してみる。清次(田宮二郎)がトラックで太鼓を九州に運んでいく最初のクレジットのところで、門司港近くの関門トンネル入口も新しい若戸大橋も出てくるのだ。
ただし、路面電車のシーンは若松でなくて門司とか小倉とかっぽいらしく(言われてみればバイクで走った門司の国道3号線とかのアングルも思い出すが…)あちこちのロケをつないで若松あたりの九州の港湾地帯ぽくしているのか。どうも朝吉と清次の河内弁がきつすぎる上に芦屋雁之助&小雁兄弟まで絡む(しかも脚本が藤本義一)ため、台詞があまり九州ぽくないのだが(笑)
…モートルの軽妙に跳びはねて走ってくる線路とか、どこの倉庫やら。こういう世界を見ているといかにも「♪第三倉庫に8時半~♪」とかいう歌がつい脳裏をよぎってしまう。あ、「アンダルシアに憧れて」って、天本さんつながり、ってなわけじゃないか(><) (20120508)
※「偽装計画停電」とは?