「ゆわさる別室 」の別室

日々BGMな音楽付き見聞録(現在たれぱんだとキイロイトリ暴走中)~sulphurous monkeys~

本日の効果音(51) PINK / Shadow Paradise (1987)

2012-03-05 | 閑話休題・本日の効果音

○本日のBGM
 Shadow Paradise (シャドウ・パラダイス) / PINK (「Psycho Delicious」)
 
 たれぱんだやキイロイトリたちを連れて久山で「平安結祈」の“ファンク合戦”を見て帰ってきて、思い出して家で手にしたCDはこのPINKの「Psycho Delicious(サイコ・デリシャス)」(1987)である。今回雨の太宰府の梅林つづく付近をむすび丸たちと通っていくのにあたって、このアルバムからもBGMのmp3をシャッフル君に入れてきた。

 2006年のHYDE TOURのLIVE後、ふと秋にL'Arcを一気聴きした時に思い出してどっと迫ってきた過去の記憶(以前の日記に書いたとおりだ)、というのは何かというと、、その約20年前、1987年頃の仙台で見ているはずの「PSYCHO-DELICIOUS ACT Ⅱ」のことである。(ちなみに爆風スランプのライブはその数年前に市内の学園祭で見ている。)当時の「仙台」だからお客さんは「大人しい方」だったかもしれない^^が、乗りは心地よかった。PINKについては詳しい知識はなかったが、たぶんFMラジオのスタジオライブを偶々聴いて、かっこいいなと思ってカセットに録って聴いていて(貧乏な学生なのでまだCDは買えない)、TVでもビデオカセットのCM曲(Keep Your View。もしかしてBryan FerryのDon't Stop the Danceの流れるCMと対抗してたのだろうか・笑)が流れていたというイメージの、若手のグループだった。非常にファンキーな、つい聴いていると身体が動いてしまう、しかしその次の年に見たPrinceやMarcus Millerの本場の暴れ方よりも「おちついた」、自分の中では前年の高橋幸宏&Steve Jansen(宮城県民会館)に続く「かっこかわいさ」であった。それはファンキーのうちでもRoxy Musicとか80年代英国のアダルトさに近い優雅な黒さだったからだろう。そしておそらく、歌詞も当時の歌謡曲と違って日本語にしては幻想的・耽美的で高踏的な感じのする(日本語歌詞ロックでもかっこ悪くなく、かつ安易に英語歌詞に逃げない)ものだった。
 TVでは一般的に舘ひろしや安全地帯や吉川晃司などがザ・ベストテンに出まくってた頃で(爆)その一方で、それらを支える当時のスタジオミュージシャン軍団のプロのポテンシャルとレベルの高さを、ひいては文化の豊饒を、この「古びない」アルバムは象徴しているように思う。確かにBody & Soulなどを聴いても福岡ユタカ氏の声が当時のBryan Ferry風のボーカルだったり所々Sting風のコーラスだったりするようにも思う。だが、分厚さを感じさせるトラックやシンセの音色にせよ、耽美的なギターの刻みにせよ、謎のパーカスと恐るべきベースとドラムのリズム体にせよ、この「頃」の音楽のゴージャス感、というのは、その20年後にどんなにThe Killersみたいなバンドがパロってリバイバルに「それ風」にしようが、逆立ちしてもこのリアルタイムにはかなわないと思うよ(笑)。
 久しぶりに盤を入れ(昔のLPで言うなら「針を落とし」、という)、聴くと…まさに驚きである。25年前にして、この全く遜色がない厚みの音質のHQぶりは何なんだ。非常に丁寧に作ってある。'93年以降あたりだったかの「グランジと称するもの」以降、すっかりざらついて粗雑になるか、逆に空虚に薄っぺらくつまらなくデジタル化するか(なんで、最近のって、音が薄い感じがするのだろう?)、になってしまった単純な音楽とは違って、安っぽくない。当時はカセットテープながらもステレオ録音で聴いたものだが、David SylianもBryan Ferryもこの「厚み」がじわじわ来て快感だった。その感覚は、聴くと今も押し寄せてくる。若いL'Arcファンや堂本剛ファンらしき、既に息子か娘くらいの年端も行かぬ連中にもそのエッセンスを語り伝えたい、80年代リバイバルだのR-35やR-40とか言ってるなら、YMOやパール兄弟や後藤次利だけでなくPINKもデフォですぞ、覚えときなさい試験に出ますぞ、と(←時々ムック風・爆)。
 …そんなことを思いながら、今はただ、そのふとした興味で訪ねたライブで偶々生でスティーヴ・エトウ氏や岡野ハジメ氏を体験し、それが20年後、回り回って自分がKinKiからENDLICHERI☆ENDLICHERIとかを、HYDEさんからL'Arc~en~Cielとかを聴いていて、実はつながっているという「巡る巡る、巡る因果」(坂本九の新八犬伝の歌?)」ぶりの不思議に、深く感慨を抱かずにはおれない。それにしてもずっと通じているものといえば基本「Bassの油断のならない動きのリズム体」てなところだろうか。しかしその20年後L'Arcの「Smile」のDVDで見た、スタジオ内で既に「ゆかいなおじさま」のようなにこやかなハジメさんが、PINKの頃の長髪のあの超絶ファンクベースのお兄さん(!Σ (゜Д゜)!)だったんだと気づくのに正直言うとしばらく時間がかかった(すみません・笑)。(※ま、自分もそれだけ充分歳を経ているはずですから!)
 このM6「Shadow Paradise (シャドウ・バラダイス)」は、アルバムの中でもかなりPOPな方の曲で、よく覚えている。これもRoxy風というか、始めの方はちょっとJapanのGhostsとかWhen Love Walks In風の妙味なアレンジで、Bass(これが岡野さんだ!)までもがちょっとMick Karn風にぶにぶにぶにと歌い蠢くのが心地良い一品だ。その歌い具合はL'Arcで言えば「風の行方」的というべきか。だが、最もサビの「呼ぶ声は もう届きはしない たとえ愛でも」のフレーズに、たまらず胸を掴まれる。これが聴こえてきた時、ふわーっと自分の脳内に固まっていた澱のような何かが溶けていくような心地を覚えて、ふっと目が潤んできた。(…あれ?)
 …記憶の深い底に沈んでいた、「1987年の仙台の春頃」の時空が、一気に蘇ってくるような感覚。…会場は電力ビルか市民会館か県民会館か、どちらであったか。広瀬川岸から下流の、長町から南には太平洋に注ぐあの河口の、名取平野の景色が広がっているはずだ……自分はその地形の見える街で、毎日を生活していて、音楽を聴き続け「育まれた」その素養が、25年後の今においても自分の血肉の一部でもあり、今音楽を聴いて様々なことを感受する、その大切な基となっていることを、こうして気づく。改めて、昨年の震災以来語られる町々も人々も、そこで生活している時空の質感や距離感、空気感として、そういうきっかけから一番実感的に思い出されてくる。もうそこに居る人や場所とはかなり遠く離れてしまっているが、自分にとっての「仙台」とは、そういう感受性や思考に影響する意味をもった都市でもあるのだ。今週はこのPsycho-Deliciousで、踊るLove Is Strangeな超絶技巧リズム体を遥かな筑紫国で堪能しながら、このShadow ParadiseとKeep Your Viewの流れていた遠い陸前国の「感じるままの」風景を悼もうと思う。震災以来の何かにつけて空虚で大仰な物言いは嫌いで用いたくないがあえて言うと、自分にとっての音楽とは、このようにふと湧き上がってくる感覚に影響する力のあるものである。(20120305)



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