○粛々と業務が続くのである。でも頭の中ではずっと音楽が鳴っている。
本日のBGM:
Television / Japan (『Adolescent Sex』)
初期のやつのBassはファンキーな色が強いと思う。時々Roxy Musicかと思った(うちのMP3シャッフル君には、Japan関係のは以前からRoxyと同じフォルダにまざって入っている)。だからそういう系統のJohn Tayler先生が追悼文を寄せるのにも納得だ。久しぶりに聴いて眠ったら、Prince殿下がTelevisionをカバーしてる歌が聞こえてくる夢を見た(自分の夢は、色つき音声つきBGMつきである)。あっても全然おかしくないような気もし、勝手に脳内MAD機能が作動しちゃったみたいだ。今聴けばNine Inch Nailsやマリリン・マンソンからL'Arcに至るまでにせよそういったVocalな奴はざらにいるようになってきたから(Sylvian先生自身は若気の至りと赤面するかもしれないとしても)それほどでもないのだろうが。だが30年前はそんな90年代にぼこぼこ出てきたような面妖な奴らは、まずおらへん。BeatlesかQueenかKissあたりから洋楽を知りかけていた(まだグラムもRoxyも背景もなんも知らんし)小中学生にとっての、夜中の小林克也の「Pop in Pops」から突然流れてきて初めて聴いたThe Unconventional(妖しい絆って邦題の飛躍度にも程がある><)の、ぐねぐねした「きも」さの衝撃度は、喩えつくせない。その後はYMO関連で次第に定着していって、だんだん「かっこいい」流れで「軽音楽部的な人たちの、みんなが」知っていたというのが、共通の話題になる所以だと思う。訃報の衝撃は、アニメ声優の話で喩えるならば「塩沢兼人や鈴置洋孝がこの世を去ったと知った時の衝撃」に近いかもしれない。先日からnetで続々と押し寄せ流れるミック・カーン氏への追悼文を読みながら、ギター小僧ならぬ「ベース小僧」が、よもやこんなに市井にぎょうさん潜伏しておったとは!伊賀者かおのれらは!ということが、感慨深くもある。
ちなみに、7日夜の天知茂の明智先生「化粧台の美女」を見ながらふと気づいたのだが、江戸川乱歩・美女シリーズの、お約束の美女が襲われたりその死体が発見されたりする時のSE(荒井注の波越警部が「ひでーなー」とか言ってあいかわらずの演技を展開してるときの効果音)で、このTelevisionの冒頭の「がしゃーん」という破壊音ぽいのと、末尾のいかにもコンピューター音というか「びこびこびこ」ぽい、それ風の音が使われているのに気づいた。電気音楽+ロック的な昭和55年前後の音色のようでありながら、しかしこうして曲を聴くとMick KarnのBassのノリというかグルーブはいつ聴いてもとんがっていて、Steve Jansenのドラムと左右別々に動いているようで合っている。4つか5つ位同時に別の旋律が絡みながらポリフォニックに進行していく。しかもフレーズはどこかPOP。機械を使っているのに計算じゃなくて最終的なところは完全に人間の感覚のセンス。こういうのを子供の頃からラジオとかで日々聴いて育ったのである。金もITも無く不便で貧乏だったが工夫する豊かな文化に育まれたものだと思う。30年語の今の日本の流行の音楽の「一斉に斉唱の応援歌」みたいな進行の歌がぐったりぬるく聴こえる。彼らが出るのが30年早かったのではなくて、その後の30年間で世界の方がそうなっていっちゃって、かつ、気がついたら彼らのようにやろうとしてもそうはできないというところが、改めてとんでもない話であるとしみじみ思いながら、惜しみつつ、また聴く。(20110107 25:31)