「ゆわさる別室 」の別室

日々BGMな音楽付き見聞録(現在たれぱんだとキイロイトリ暴走中)~sulphurous monkeys~

20070603

2007-06-03 | 矮小布団圧縮袋

○さっきのラジオのキンキラ(LF+R)のおはがきSPで光一氏が言っていてbrand new song もそうらしい、ってことで思い出した。今もKinKiの歌は2人スタジオで別々に、それも剛が歌う→その上に光一が載せる順で録音されているのだろうか。ツインボーカルならたまにそれを逆順にやったり、セッションで2人同時に一発録りだったりということはしないのだろうか。アルバム制作の際2人はVocalのその按配についてどのくらい一緒にスタジオで作業する工程具合なのか、など、そのへんのzeal for your work的なところを以前から知りたかったので教えてほしい、ということを自分ならおはがきに書いてツッコんで尋ねたい。と思うのが鹿野淳氏でなくともリスナーの人情である。参加豪華ミュージシャンはえらくテキストに載るようになったし、もう28歳の大人相手なのだから、アイドルとして聞いたら抵触するとかもあるまいし、聞いてもよかろう。そんなKinKiは、TBSのCDTVで来週シングルコレクションだそうだ。でも今週はラストまで切らずに全部見ながら録っててよかった。元気一杯(爆)。こんなのを見るとしみじみ考える。clickedの頃と違うわけだ。結局「15周年」なんて、会社が宣伝企画で言うものでもなく周囲の大人が庇護するものでもなく他人が流行の趨勢の面で気にするものでもなくテレビ局や広告屋さんのためのものでもなく、ファンが勝手な思い入れだけで熱くなるものでもない、本質的には本人たちのことであろう。どう見ても満身創痍で綺麗事ではない、長く続くという大変さやその時間の蓄積の実質の大切さの意味を、(時としてperformanceの充実度自体にも変質を及ぼすほどに)まぎれもなく本人たちがどう捉えて実感しているか、それを音楽に、performanceにどれだけ具現化できるかの実力じゃないのだろうか、「15周年」なんてものは。どんだけファンが思い入れ持ってるか、でもって文化財みたいに周りが保護してやらなきゃならんもんだ、なんてのは本人達がさほどでないなら本末転倒な気もするし却って失礼だろう。誰も長年そうやってきたからという意地だけでファンを続けるようなことはありえない、所詮entertainmentにすぎないものを。そんなことよりも、本人たちの演目にこもってるanniversaryの実感の方が圧倒的に濃密だったと思う、去年のやつは。何周年を祝うなどという幸福感はそういうところからしか生まれないのではないか。むしろ観客は引っぱられることを、そのデモーニックな力を望んで木戸銭払うものではないのかな原則的に。(20070603 2:20a.m.)

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