
「風の谷のナウシカ」の原典が、オデュッセイアに登場するパイアキアの王女ナウシカであることは良く知られているが、単行本1巻の表紙裏には、ナウシカから堤中納言物語(宮崎駿は今昔物語と書いているが)に登場する虫愛づる姫君を連想し、ナウシカと虫愛づる姫君が自身の中で同一人物となったことから「風の谷のナウシカ」が誕生した・・と云うような事が書かれている。
この虫愛づる姫君、他にもさまざまな場所で引用されているので、御存じの方も多いだろう。
夢枕獏の人気シリーズ「陰陽師」にも、この姫君が登場する一編がある。
ここでは、従三位橘実之の娘露子姫と云うことになっているが、その性格は堤中納言物語の虫愛づる姫君をほぼ踏襲している。
つまり、人目を惹く美貌の持ち主ながら、年頃になっても眉を抜かず歯も染めず、子供のままの好奇心を持ち続け、烏毛虫(カワムシ=芋虫、毛虫の類)を飼い、観察し、羽化させることを無上の喜びとする、愛すべき姫君である。
私など平安時代に生きていたら一も二もなく結婚を申し込むところだが、当時としては非常識極まりない変人であって、もちろん嫁の貰い手もなかったとか・・・。
そんな娘の将来を案じた父親は、播磨の陰陽師蘆屋道満に相談を持ちかける。
道満は蟲毒の法を用いて、呪祖の掛かった烏毛虫を作り露子姫にあてがう。
際限なく成長する不気味な烏毛虫を見れば、虫への情熱も冷めるだろうという腹だったのだが、露子姫は意に介せず烏毛虫を飼い続ける。
牛ほどに育った烏毛虫が蛹になるに至って、橘実之が安倍晴明に泣き付いてくる・・・。
そんな話だ。
道満が蟲毒で作った烏毛虫から何が生まれるかは、飼っていた人の心が決めると言う。
「誰でも、人はその心の中に鬼を棲まわせている」
「だからこそ、人は、人を大事にするのさ」
「その鬼が自分の心の中から顔を出さぬよう、人は自分を大事にする」
「鬼が、人の心の中から顔を出さぬよう、自分と同様に人の事も大事にする」
やがて羽化したのは、一点の穢れもない美しい翅を持った式神だった。
心の底から生き物を愛する少女が育てたのだから、当然の結果だろう。
だから、私は生き物好きの人間は無条件で信用してしまうのだ。
そして・・・、生き物嫌いの人間を信用しないのだ。
不快害虫などという意味の分からないレッテルを貼って、身近な生き物を排除する人間が大嫌いなのだ。
ヤドちゃんカワイー・・とか書きながら、虫が嫌いと平然とのたまう、生き物嫌いのオカヤド飼いを大量生産した、株式会社トミー(現タカラトミー)を、未だに許せないのだ。
「鬼は、人の心の中にいる。しかし、その鬼が見えぬからこそ、人は人を恐れ、人を敬いもし、おしたい申しあげたりするのさ。この鬼が、本当に見えてしまったら、人の世は味気なかろう」
近頃、近隣が騒がしい。
虫愛づる心を持たぬ連中が育てた烏毛虫から孵ったのが、例のクソガキどもなのだろうが、私に云わせれば、自ら鬼だとか鬼女だとか称して悦に入っている板民も、胡乱な情報を無責任に二次発信、三次発信しているブロガーも、皆同類である。
「鬼と女とは人に見えぬぞよき・・・。」
心に棲む鬼を衆目に曝け出すことに、何の逡巡もない人間達がおぞましく渦巻くネット社会。
いつから人の世は、こんなにも味気なくなったのだろう?
彼らが育てる烏毛虫からは、いったい何が生まれてくるのだろう?
いと・・・あさまし。
この虫愛づる姫君、他にもさまざまな場所で引用されているので、御存じの方も多いだろう。
夢枕獏の人気シリーズ「陰陽師」にも、この姫君が登場する一編がある。
ここでは、従三位橘実之の娘露子姫と云うことになっているが、その性格は堤中納言物語の虫愛づる姫君をほぼ踏襲している。
つまり、人目を惹く美貌の持ち主ながら、年頃になっても眉を抜かず歯も染めず、子供のままの好奇心を持ち続け、烏毛虫(カワムシ=芋虫、毛虫の類)を飼い、観察し、羽化させることを無上の喜びとする、愛すべき姫君である。
私など平安時代に生きていたら一も二もなく結婚を申し込むところだが、当時としては非常識極まりない変人であって、もちろん嫁の貰い手もなかったとか・・・。
そんな娘の将来を案じた父親は、播磨の陰陽師蘆屋道満に相談を持ちかける。
道満は蟲毒の法を用いて、呪祖の掛かった烏毛虫を作り露子姫にあてがう。
際限なく成長する不気味な烏毛虫を見れば、虫への情熱も冷めるだろうという腹だったのだが、露子姫は意に介せず烏毛虫を飼い続ける。
牛ほどに育った烏毛虫が蛹になるに至って、橘実之が安倍晴明に泣き付いてくる・・・。
そんな話だ。
道満が蟲毒で作った烏毛虫から何が生まれるかは、飼っていた人の心が決めると言う。
「誰でも、人はその心の中に鬼を棲まわせている」
「だからこそ、人は、人を大事にするのさ」
「その鬼が自分の心の中から顔を出さぬよう、人は自分を大事にする」
「鬼が、人の心の中から顔を出さぬよう、自分と同様に人の事も大事にする」
やがて羽化したのは、一点の穢れもない美しい翅を持った式神だった。
心の底から生き物を愛する少女が育てたのだから、当然の結果だろう。
だから、私は生き物好きの人間は無条件で信用してしまうのだ。
そして・・・、生き物嫌いの人間を信用しないのだ。
不快害虫などという意味の分からないレッテルを貼って、身近な生き物を排除する人間が大嫌いなのだ。
ヤドちゃんカワイー・・とか書きながら、虫が嫌いと平然とのたまう、生き物嫌いのオカヤド飼いを大量生産した、株式会社トミー(現タカラトミー)を、未だに許せないのだ。
「鬼は、人の心の中にいる。しかし、その鬼が見えぬからこそ、人は人を恐れ、人を敬いもし、おしたい申しあげたりするのさ。この鬼が、本当に見えてしまったら、人の世は味気なかろう」
近頃、近隣が騒がしい。
虫愛づる心を持たぬ連中が育てた烏毛虫から孵ったのが、例のクソガキどもなのだろうが、私に云わせれば、自ら鬼だとか鬼女だとか称して悦に入っている板民も、胡乱な情報を無責任に二次発信、三次発信しているブロガーも、皆同類である。
「鬼と女とは人に見えぬぞよき・・・。」
心に棲む鬼を衆目に曝け出すことに、何の逡巡もない人間達がおぞましく渦巻くネット社会。
いつから人の世は、こんなにも味気なくなったのだろう?
彼らが育てる烏毛虫からは、いったい何が生まれてくるのだろう?
いと・・・あさまし。
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