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【復刻版】夏の夜話 沖縄編

2017-07-17 10:25:45 | 日々の戯れ

画像は、慶良間の砂地の海底を泳ぐリュウグウベラギンポの群れである。
薄暗い海底をゆらゆらと泳ぐ姿は、死者の魂のようにも思える。

座間味島。
那覇の西約30kmの海上に浮かぶ、慶良間諸島の島々の1つなのだが、ダイバーで賑わう南国のリゾートというイメージとは裏腹に、悲惨な過去を持った島である。
太平洋戦争末期、アメリカ軍が最初に上陸したのがこの島であり、その時島民130余名が集団自決するという事件がおきた。
そして、それが凄惨な沖縄戦の幕開けだった。

現在、島で戦争の名残を探す事は難しい。
しかし、海底では朽ちた砲台や砲弾などをあちこちで見ることが出来る。
海が青ければ青いほど、空が明るければ明るいほど、歴史の哀しみはより深くなる。
過去は未だ終わってはいない。

古くから、唐や薩摩それにアメリカ、ニッポンによって搾取され続けた沖縄は、その厳しい歴史に呼応するかのように、不思議な話の多い島である。
しばしば沖縄を訪れているダイバー仲間や地元の人々と、酒席で夜話しをはじめると、不思議な体験話が次から次へと飛び出してくる。
これから語るのは、1993年の11月。
台風の影響の残る那覇市で僕が体験した出来事である。

那覇市泊港北岸、座間味島へ渡る高速船の乗船券売り場には、「欠航」の札がかかっていた。
予想はしていた。
前日沖縄地方をかすめた台風は、九州辺りだろうか?
僕達は伊丹から那覇まで台風の上を飛んできたわけだ。
僕達は翌日には、波がおさまることを期待して、那覇に宿を探す事にした。
ツアーメンバーは、MとH。
二人とも男で同い年だから、シャワー付きのシングルルームを取る必要はまったくない。
沖縄にはダイビングで何度も来ているので、安く泊まれる宿も何軒かは知っている。
僕はとりあえず寝場所を確保するために、カウンターの隅の公衆電話をかけようとして、1枚のチラシを見つけた。
それは、B5の青い紙でカウンターの上に1枚だけ裏向きに置いてあった。
手にとって見ると手書きのコピーで、宿屋の名前と宿泊費が、そっけなく書いてある。
一泊900円。
願ってもない。
もちろん、2人の仲間にも異存はなかった。
僕はチラシの番号に電話して「部屋はあるか。」と訊いた。 電話に出た女の答えは「お待ちしています。」だった。

僕達は、道路に出てタクシーを捜した、3人ともそれぞれ潜水器材を入れたバッグを引きずり、ニコノスやマリンパックを詰め込んだプロテックスをぶらさげていたのだから、この大荷物をどこかに置かない事には、何も出来ない。
タクシーが停まると、苦労して車内に荷物を押し込み、運転手に宿屋の名前を告げたが、彼はそこを知らなかった。
泊港から持ってきたチラシを見せると、運転手は首をひねりながらも、タクシーを発車させた。
「住所はこの辺りなんですが・・。」
国際通りから二筋ばかり外れた入り組んだ道でタクシーは停まった。
辺りを見回すと、右手の角の辺りに古びた2階建ての木造アパートのような建物が見える。
「あれとちゃう?」
タクシーを降りて建物を眺めてみる。
建物は横に細長い2階建てなのだが、一階は生垣の影に隠れている。
2階には規則正しい間隔で窓が並び、右端に鉄製の非常階段がついていて、そこが玄関のようだった。
僕達は、重い荷物を担ぎなおすと、非常階段を登っていった。
玄関の戸は開けはなたれていて、三和土から踊り場までサンダルや靴があふれていた。
「えらい、よーさん泊まったはんねんな。」
そのわりには、建物の中は森閑として物音一つしない。
奥に向かって続く廊下は暗く突き当りまで見通せない。
僕は靴を踏まないように三和土に入り、右手の管理人室らしい部屋に声をかけた。
すぐに女が出てきた。
40歳くらいだろうか?
沖縄ではちょっと不思議なくらい、色白で影の薄い女だった。
僕が名前を告げると女は
「あちらの部屋をお使いください」と、左側の2番目の部屋を指した。
一番手前は便所と洗面所らしい。
僕達はそれぞれに900円を払い、廊下に上がった。
鍵のついていない木製のドアを開けて部屋に入ると、まず正面の壁際に置かれている、古ぼけた鏡台が目に入った。
鏡には色褪せた布がかけてあり、手前にはブラシとカーラーの入った筒がポツンと置かれてある。
この思いがけない調度品に僕たちは戸惑いながらも、部屋に荷物を引きずり込んだ。
三方はモルタルにペンキを塗ったような愛想のない壁で、そのペンキもところどころ剥げ落ちている。
ドア側の壁は木製で、天井の下は欄間になっていた。
部屋の隅には4本足の古い型のテレビが置いてあり、その前に布団がたたまれて積まれている。
それだけの部屋だった。
Mが天気予報を見るためにテレビのスイッチを引っ張っると、「ぷーん」と言う音がしてブラウン管が明るくなったのだが映像が写らない。コントラストを調整しても白い画面の明暗が変わるだけだ。
音声もボリュームをいっぱいにあげてかすかに聞こえる程度。
「あかんな、こら。」
 Mがあきらめてスイッチを切ると、また「ぷーん」と言う音とともに画面が消え、しばらくの間ブラウン管の真ん中に白い光が残った。
僕達は、夕方まで部屋でのんびりと休んでから、街に出るつもりだったのだが、この部屋ではちょっとくつろぎ辛かった。

鍵のない部屋に器材を置いておくのがちょっと気掛かりではあったが、早々に部屋を出て、そして夜半過ぎまで呑み続けた。
かなり酔った。
久茂地の交差点でHが「犬のおまわりさん」を、唄いだすくらい呑んだ。
そろそろ限界だ。
僕達は道端の自動販売機でそれぞれ缶ビールを1缶ずつ買って、あの気味の悪い部屋に戻る事にした。
暗闇の中で見る宿屋はさらに不気味だった。
玄関は相変わらず開けっ放しだ。
部屋に入ってまず布団を敷こうとして、僕達は寝具が一人分しかない事に気付いた。
仕方がない。
まず、一番奥に色褪せてあちこち破れたマットレスを敷き、次にシミだらけの敷布団そして一番手前に薄っぺらい掛け布団を敷いて、それぞれの場所に寝転んだ。
僕は真ん中だった。
みんなそれぞれタオルやバッグを枕代わりにして、少しでも寝心地を良くしようとしている。
しばらくしてHが便所に立った。
そして顔を引きつらせて戻ってきた。
 「怖っ・・。」
そのうち僕も尿意を感じた。
朝まで我慢できそうもない。
意を決して便所に行く事にした。
電灯のスイッチを入れて扉を開けると中は思ったより広かった。
裸電球の黄色い光が濃い陰影を作っている。
まず右手に男性用の小便器、その奥が個室らしいのだがそのドアには「使用禁止」の張り紙がしてあった。
「大きいのがしたくなったらどうするんやろ?」
左の廊下よりにはコンクリートの洗面台があり、旧式の蛇口が2つついている。
その後ろは、二方が板で仕切られていて、その中に汚れた風呂桶が据えられていた。
中を覗き込んで見ると、底から3分の1ほど黒い水が溜まっている。
とても、営業中の宿屋とは思えない。
まるで廃屋だ。
廊下に出ると、相変わらず人の気配は感じられない。
僕たちの部屋から灯りが漏れているだけだった。

部屋に戻ると、MもHも目を閉じてはいるが眠ってはいないようだった。
僕は買ってきたオリオンビールを開けた。
一口飲んで見た。
味がなかった。
ただ炭酸が口の中でピリピリするだけ。
「霊気は物質の分子構造そのものを変化させる。」
ふいに、以前読んだ本のそんな一節が頭をよぎった。
体はどろどろに疲れているのだが、妙に神経が高ぶっている。
とても眠れそうにない。
僕はビールをあきらめて、バッグから読みかけの文庫本を取り出した。
うつぶせに寝転んで、本を読み始める。
目は活字を追っているのだが全然頭に入ってこない。
それでも僕は少しずつページを繰っていった。
開いたページの上に何かが落ちてきたのはその時だった。
それは、黒くて長い髪の毛だった。
もちろん僕達3人の誰のものでもない。
「どこから落ちてきたんやろ。」
僕はそれほど深く考えずに、それをふっと吹き飛ばした。
そしてしばらくすると、再び・・・。
さすがに背筋が寒くなった。
恐る恐る天井を見上げても何もない。
ふっと、鏡台の前に置かれている、ピンクのカーラーが目にとまった。

全身がぞわぞわと粟立った。
頭からすっぽり布団をかぶりたいのだがその布団もない。
僕は枕代わりのデイパックに顔を埋めると固く目を閉じてそのまま朝まで開けなかった。
それでも少しは眠ったようだ。
枕もとのダイバーズウォッチを見ると、すでに夜が明けている時間だった。
そのうち、MもHも起き出して来た。
僕達は、あの気味の悪い便所で小便をし、顔を洗うと早々に宿屋から飛び出した。
朝日が目にしみる。
今日は船も出そうな好天だ。
だるい体で重い荷物を引きずって歩き出そうとしたとき、立ち止まって振り向いたMがポツリと言った。
「俺らの泊まった部屋、窓なかったよな?」
僕は、今出てきたばっかりの建物の2階に目をやると、そこには規則正しい間隔で窓が並んでいた。

                                   
この話には後日談がある。
翌年のツアーの時のことだ。
帰りの飛行機の都合で、那覇で1泊する事になった僕達は、沖縄在住の友人Cを呼び出して、国際通りの近くで飲んでいた。
バーボンがだいぶまわりはじめた頃、僕たちは去年体験した、あの不思議な宿屋のことを話しはじめた。
Cは面白そうに聞いていたのだが、突然、
「話だけでは面白くない。これから行ってみよう!」と言い出した。
僕もMも歩いて国際通りまで出たのだから、だいたいの場所は覚えている。
さっそく、連れ立って出かけてみた。
しかし、見当をつけた辺りに、それらしい宿屋はなかった。
周りの風景は確かに覚えがある。が、ここだと確信した場所には普通の住宅が建っている。
それもこの1年以内に建てられたような新しい家ではない。
Cが近くに停めていた車を取ってきて、それに乗って辺りの筋をくまなく通ってみたのだが、結局「あの宿屋」を見つけることは出来なかった。

僕たちがあの日泊まった宿屋は現実のものだったのだろうか?
もしかしたら、何かのきっかけで別の世界に迷い込んだのではないのだろうか?
そして、もしあの時、あの鏡台にかかっていた布を捲ったら・・・・?

あれから10年が経ってしまったが、那覇を訪れるたびにあの宿のことを思い出す。
今でもこの街のどこかで客を待っているのだろうか?
そんな時、僕は気味が悪いというより、少し物悲しい気分になる。

(初出  ガジュマル雑記 2003年8月3日)  

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