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Mars&Jupiter

おおくぼっちの屋根裏部屋へようこそ!

アストル・ピアソラの「6つのタンゴ風練習曲」を聴きながら星川駅から横浜まで歩く

2008-06-25 04:18:05 | 古典~現代音楽ブラジル・メキシコ以外の中南米編
昨日は星川駅から横浜まで歩きました。
途中聴いたのは、1921年生まれのピアソラの作品。
アルゼンチンのマル・デル・プラタで生まれた彼は、
一家で移り住んだニューヨークで、
8歳の時にバンドネオン奏者にレッスンを受け始め、
11歳の時にはテレビに登場したということだから驚きである。
その後祖国アルゼンチンに戻ってからは、
タンゴの楽団に入ってバンドネオン奏者として活躍し、
1940年代半ばからは作曲活動にとりかかるようになった。
だから、彼の音楽の根底にはタンゴがある。

「5つの小品集」は、1980年に作曲された。
ギターのためのこの作品は、タンゴのリズムや
ミロンガ(タンゴの前身)の要素がみられる作品のようで、
これを聴くとやはりピアソラだなあという感じは受ける。
3曲目や5曲目の作品は弾むリズム感がいい。

1987年に作曲された「6つのタンゴ風練習曲」は、
無伴奏フルートのための作品である。
タンゴの音楽の世界を無伴奏フルートで、
創造しようとする大胆な発想はユニークである。
テレマンの無伴奏フルートのための12の幻想曲や、
バッハの無伴奏フルートのためのパルティータなどを
思わせるような練習曲集であるが、練習曲第2番は、
どことなくドビュッシーのシランクスを想起させる。
この練習曲集のなかでは一番長い曲である。
それをいうと練習曲第4番の下降するフルートの音型は、
まさしく、そのシランクスや牧神の午後の最初に似ている。
練習曲第3番は、タンゴの音楽とバロック音楽が、
融合したかのような軽快で華やかな音楽である。
多くの練習曲はそのタンゴ風というのを感じさせる。
地味ではあるが、なかなかの作品である。

有名な「タンゴの歴史」は1985年頃に作曲された作品。
「ボーデル 1900」、「カフェ 1930」、
「ナイト・クラブ 1960」、「コンサート 現在」という
4つの曲から構成されるフルートとギターのための作品である。
フルート奏者のマルク・グローウェルスと、
ギター奏者のグイ・ルコフスキーのために作曲したらしい。
マルク・グローウェルスが演奏しているCDもあるが、
ここではトッパーというフルート奏者によるものを聴く。
「ボーデル 1900」からして軽快で心地よい曲だ。
「カフェ 1930」は、ギターの哀愁漂う伴奏がいい。
三部形式で書かれた中間部は明るい音楽で、対照的でいい。
「ナイト・クラブ 1960」は、ピアソラらしく、
タンゴ風のリズムカルで軽快な曲である。
「コンサート 現在」は、伝統的なスタイルにこだわらない
「タンゴの革命児」ピアソラが、これからのタンゴの音楽の
進むべき一つの方向性を示したようなモダンな曲である。

グラウコ・ヴェラスケスの「ロマンティックなワルツ」を聴きながら二俣川から西谷駅まで歩く

2008-06-24 08:07:44 | 古典~現代音楽ブラジル・メキシコ以外の中南米編
昨日は二俣川から西谷駅まで歩きました。
今回からは器楽曲・室内楽曲の紹介は、中南米編に入る。
昨日途中聴いたのは、1884年生まれのブラジルの作曲家
グラウコ・ヴェラスケス(Glauco Velasquez)のピアノ曲。
ヴェラスケスは、ナポリに1884年3月23日に生まれ、
1884年リオ・デ・ジャネイロで亡くなった夭折の作曲家だ。
彼の幼少の生い立ちについては、分からない部分がある。
スペイン人の父とブラジル人の母の間で生まれ、
幼い頃にその両親は亡くなり、プロテスタントの牧師に育てられ、
その後、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロの上流社会の
アラムバリー家に引き取られ育てられたという話が一つ。
もう一つはリオ・デ・ジャネイロの音楽界でよく知られた人物で、
ポルトガル出身のバリトン歌手エドゥアルド・メディナ・リバスが父で、
独身女性のアデリーナ・アラムバリー・ルスが母であるという話だ。
CDの英文の解説によれば、最近の調査ではこちらの方が
説としては有力となっているように思える。
彼女が彼を身ごもった時に独身であったこともあり、
緊急避難的にイタリアへ行き、そこで彼は幼少期学校に通った。
彼が11歳の時の1896年にブラジルに渡り母に引き取られたようだ。
1898年から国立音楽学校で学び、フランシスコ・ブラガなどに師事し、
1911年には作曲家として頭角を現すようになったようだ。

ヴェラスケスは1903年から1913年の間に、
100以上の作品を作曲したようだ。
歌曲や室内楽曲、合唱曲などを残しているようで、
オルガン曲や弦楽四重奏曲もあるようだが、
そのほとんどは現在聴くことはできない。
CDにおさめられているピアノ曲は1905年から、
1911年の間に作曲されたものばかりである。

1910年に作曲された「ロマンティックなワルツ」は、
印象主義を思わせるようなところがある
ゆったりとした、しかし時に情熱的な曲。
同年作曲された「悪夢(Brutto Sogno)」は、
冒頭の暗い部分や終わりの迫りくるような音楽が悪夢の感じである。
1906年に作曲された「夢」は、おだやかな曲。
1905年に作曲された「遅いワルツ(Valsa lento)は、
ショパンのピアノ曲を思わせるような作品である。
「前奏曲とスケルツォ」は、1910年に作曲されている。
少し哀愁を漂わせる短い前奏曲と
軽やかで即興的な感じのスケルツォである。
1905年に作曲された「前奏曲第1番」と
「ディヴェルティメント第2番」は、古典的な様式で、
バッハなどを思わせる印象的な短い曲。
「小組曲」は、1905年に作曲された作品で、
ガヴォット、メヌエット、ミニョーネのワルツの3曲からなる。
最初のガヴォットがかわいらしい感じで印象的である。

「前奏曲第2番」は1908年に作曲された情熱的な曲。
「アルバムのページ第1番」、「アルバムのページ第2番」は、
1905年に作曲された共にロマンティックな曲だ。
「メヌエットと近代的なガヴォット」は、
1910年に作曲された古典スタイルとロマン的な音楽が、
融合したような曲で、印象主義的な部分も感じさせる。
「妖精の踊り」は、作曲年代は不祥だが、
古風な感じの軽快な短い曲で、ラヴェル風でもある。
「変なカンツォーネ」は、1907年に作曲された曲。
よりどころないような感じで、サティ風でもある。
「即興曲」は、1906年の作品で、リストの曲のような
情熱のこもった、ダイナミックな部分をもった曲。
「メランコリー」は、1910年に作曲された感傷的な曲である。
「夢(Davaneio)」は1911年の作品で、
このピアノ作品集の中では晩年に近い。
やはり印象主義的な音楽でドビュッシー風な曲だ。
いろいろ聴いてみるとヴェラスケスの曲には、
いろいろな作曲家の影響がみられるものの、
確立した自分のスタイルというものは見当たらない。
しかし、彼がもう10年、20年生きていたら、
きっと、自分なりのスタイルを生み出したのかもしれない。

フリードリヒ・クーラウのフルート五重奏曲第1番を聴きながら二俣川から緑園都市駅まで歩く

2008-06-23 07:50:44 | 古典~現代音楽スウェーデン編
昨日は二俣川から緑園都市駅まで歩きました。
途中聴いたのは、1786年生まれのクーラウの室内楽作品。
クーラウは、北ドイツのハノーヴァー近くのウェルツェンで、
9月11日に生まれたが、ピアノやフルートの楽器を習い、
作曲法も学び、その後コペンハーゲンに移住し、
宮廷作曲家としてデンマークで活躍したので、
ここでは、デンマークの作曲家としてとりあげる。
室内楽の分野でいろいろな作品を残しているが、
フルートの作品がその中でも多くを占める。
フルート五重奏曲は3つあるのだが、
これらは1823年頃に作曲された作品のようである。

フルート五重奏曲第1番ニ長調作品51の1は、
彼の友人でフルート奏者のブルーン(Bruun)に献呈されている。
第1楽章アレグロのフルートの軽快な演奏はすがすがしい。
フルートをクーラウが楽器として愛していたことが、
フルートの演奏技巧の凝っている部分からも分かる。
ソナタ形式で書かれているが、その展開の仕方は、
ベートーヴェンと似ているなあと思わせるところがある。
第2楽章メヌエット:アレグロ・コン・スピリートは、
弦楽器中心の優雅な音楽にフルートが彩りを添える。
やはり主題の展開の仕方ベートーヴェン風である。
第3楽章アダージョ、マ・ノン・タントは、
フルートがカンタービレ風にじっくり旋律を歌う。
長調と短調が時々切り替わり、曲に変化を与える。
ヴァイオリンとフルートとで掛け合う部分が印象的だ。
第4楽章アレグロ・アッサイは、フィナーレらしく、
フルートの吹く旋律が華やかで、印象的である。
ベートーヴェン風の音楽ではあるものの、歌うような旋律が、
歌劇などの作品を残しているクーラウらしいところなんだろうなあ。

なお、今回とりあげた器楽曲・室内楽曲の北欧編に関する
CD等の情報は、以下のアドレスに載せてあります。
http://www1.ocn.ne.jp/~bocchi07/chamber-music-cd-n-eu.html
を参考にしていただければ幸いです。

エドヴァルド・グリーグの叙情小品集第1集作品12を聴きながら鶴ヶ峰から二俣川まで歩く

2008-06-22 13:33:39 | エドヴァルド・グリーグの作品
一度も聴かず未開封の状態にあったグリーグのピアノ曲全集、
ステーン=ノックレゲルグのピアノ演奏によるCDの封を空け、
1843年生まれのグリーグの叙情小品集作品12などを聴く。
あいにくの雨模様だったので、ウォーキングは鶴ヶ峰駅から二俣川まで。
途中聴いた叙情小品集作品12は、1864年から1867年に作曲された。
この叙情小品集第1集作品12は、「アリエッタ」、「ワルツ」、
「夜警の歌」、「妖精の踊り」、「民謡」、「ノルウェーの旋律」、
「アルバムの踊り」、「祖国の歌」の8曲で構成され、
グリーグのピアノ音楽の魅力を味わうには十分な作品である。
「民謡」はソルヴェイグの歌を思わせるような
北欧らしい哀愁ある旋律が印象的である。
ステーン=ノックレゲルグのピアノ演奏は、
グリーグの音楽への共感しているのがわかり、なかなかいい。

叙情小品集第2集作品38は、1883年に出版され、
第1集との開きは、16年間もある。
「子守歌」、「民謡」、「メロディ」、
「ハリング」、「飛び跳ね舞曲」、「悲歌」、
「ワルツ」、「カノン」の8曲から構成される。
短調と長調が交互に切り替わる旋律は北欧的である。
「ハリング」、「飛び跳ね舞曲」などの、
ノルウェーらしい舞曲風の音楽は楽しい。
それにしてもグリーグのピアノ曲を聴いていると、
ふと北欧の大自然の中に一人取り残されたような、
そんな孤独感と哀愁を感じてしまうのである。
(もちろん、ノルウェーに行ったことはないので、
あくまでも想像の世界の話である。)
聴いていて何か人恋しくなるような曲だ。

レイフ・セーゲルスタムのA NNNNOOOOOWWW

2008-06-21 06:37:31 | 古典~現代音楽フィンランド編
昨日はウォーキングを休みました。
途中聴いたのは1944年生まれのセーゲルスタムの作品。
セーゲルスタムは現在指揮者として活躍し、有名である。
A NNNNOOOOOWWWは管楽器のための作品で、
1973年に作曲されている。

不思議な音楽体験を得ることのできる作品である。
北欧的な部分を感じさせるところもあるし、
動物たちの叫びを聴いているような感覚もあり、
この作品が、管楽器を使っているからか、
ストラヴィンスキーの作品を感じさせるところもあり、
しかし、彼独自の音楽の世界が作られており、
フィンランドの自然を感じさせるところもある。
管楽器でこんな音楽の世界を作れるんだというところがおもしろい。
電子音楽を管楽器でやったらどうなるか、
といったことを意識しているかはわからないが、
そんなことも想像させる不思議な音楽である。
きっと、演奏者からみると難曲なんだろうなあ。