私はこの根室原野に住むようになって、45年が過ぎた。今では原野と呼ぶことすら憚れるほど、道路が整備され森は草地へと変わって、のっぺりとした平原のようになってしまった。
先日私とほぼ同時にこの地に移り住んだ、鳥仲間の友人が亡くなった。文筆家でもあった友人は、その当時のことを、広がるお花畑と鳥たちの囀る楽園の地と表現していた。
こののっぺりした土地に、多くの観光客は感動する。北海道らしいと称賛するのである。しかし、50年前までは森がこの地を覆い尽くし、羆が徘徊する土地であった。それこそこの根室台地の原風景なのである。
人が生活するためには、森を切り拓き農地としての牧草地と変えて行くのは、経済活動あるいは生産活動として、脈々と人類が行ってきたことである。
そしてそのことは、人々を豊にし経済的に安定させ、幸福をもたらし繁栄させるためのはずであった。ところが、30年ほど前からこの地のほとんど唯一の産業である酪農が、巨大化してきたのである。牛の餌となるものも、大量にアメリカから輸入して与えるようになった。今では太陽の下で草を自由に食べさせて貰っている牛は、僅か10%足らずになってしまった。
時を同じくして、酪農家がこの地を離れて行ったのである。豊かさの基準は曖昧なところが多くあるが、少なくとも人々が大勢いることこそ優先されることではないかと思われる。とりわけこの地の様に、へき地では人々が支え合わなければならない。人が去ってはその基盤すらなくなるのである。
私が現在診療に行ってるある集落であるが、戦後ここには小学校があり、地域には農家などが40戸近くあった。現在は酪農家が5戸、離農した方が多いが7戸ほど他にある。高校生以下で酪農を継ぐ可能性のある子どもが僅か2人である。明らかに限界集落である。TPPは更にこの動きを加速させる。
せっかく豊かな自然が残されていたこの土地である。日本で最も遅く開拓された地域であるが、それが限界集落となったのでは、徒に土地を破壊したに過ぎない。気が付いたら森がなくなっていたと嘆いていた、亡くなった友人の言葉がいつまでも胸に残る。
私はこなやをやっている垂井と申します。
ずっと以前から貴殿のHPを読ませていただいています。
私のHPでTPPとMGOについてもこちらの記事から転載させていただいたきました。
また最近は牛乳についてのことにも触れています。
事後承諾になりますがお許しのほど、よろしくお願いいたします。
もっと早くご連絡すればよかったのですが、
おそまきながら御挨拶させていただきました。
根釧原野にはとても引きつけられていますので
時間を作って行ってみたいと思っています。
限界集落と聞いただけで思わずコメントをいたしました。
お体に気を付けられて厳しい冬を乗り切ってください。
失礼いたします。
コメントありがとう。引用は一向に構いません。
貴殿のホームページはお店屋さんなのでしょうか?
気ままな私の駄文に付き合っていただきありがとうございます。
なんで、そういう気持ちになったのか、よくわかりません。
ご友人が亡くなられたからか、
集落が元気がなくなっている様子を読んだからか、
悲しくなる理由は予想が付きながら、わからないまま悲しくなりました。
自分は、僻地に住みたい人間です。
でも、一人で住む根性がなくて、でも家族は、へき地には住みたくなくて、今の、中途半端に田舎な暮らしをしています。
私は、ヒグマの徘徊する地に住みたくありません。
猟師の資格を取って、銃を扱えるようになりたくて、それが出来れば、住んでもいいのですが、生来ドジなので、人を誤って撃つ自信があります。
電気がなくなれば、冬凍えること間違いないしな生活も恐ろしいです。
薪ストーブにして、立派な薪小屋を作ればいいです。
薪ストーブと薪が完備できたとしても、
江戸時代後期、
ロシアの脅威に備えて幕府が警備を送り込んだけれども、冬を越して生き残れたものがわずかしかった、当時はアイヌ人でさえ冬は別の場所に移動したとも聞いた道東で、住むことは恐ろしいです。
自分が悲しくなったのは、
そういったところに住むべきじゃないか、それなのに、へなちょこな私は何やってんだろう、という自責の思いもあるのかな、と思いました。