政治は一体何のために存在し、機能しなければならないのか?安倍首相が盛んに「国民を守る」という言葉を繰り返しているの見て、政治の本来の目的を彼らは失っていることに気が付いた。
政治の果たさなければならない最大の任務は、富の再配分である。自由経済の元では、必ず大きな資本が市場経済で有利に展開する。大きな資本に富が集まるし、偶然による幸運が富もたらすこともある。
当然その反対のこともある。
政治が放置すれば、富める者はより金持ちになり、貧しいものはより貧困になる。富める者はより多くの機会を得られることになり、政治すら支配するようになる。貧しいものはそうした機会どころか、労働に追われ時間さえなくなる。先日放映ETV特集「本当は学びたい」を見て、つくづくこの国の政治の貧困を思った。子供たちの貧困の現状をルポしたものである。左の図は、貧困がもたらす子供たちに起きる、負のスパイラルである。
親が亡くなったり障害者だったりした結果、子供たちは経済的な貧困に陥る。現在子どもの6人に1人は、こうした貧困にあるそうである。
貧困の結果として、虐待や病気や不十分な衣食住の環境に陥り、孤立し勉強環境がなくなる。その結果子供たちは成長しても、さらなる貧困に陥ることになるというのである。
多くの場合母子家庭で、子供たちは中卒か高校中退となる。このような家庭環境の子供たちは、貧しいがゆえに社会のどこにいても結果だけを求められる。
小学生の7割が塾に通っているそうであるが、それも叶わない。友達が遠のくし学力が追いつかない。もちろん子供たちに責任があるわけではない。
雇用の多様化として、企業者に有利な制度が導入され、非正規雇用が圧倒的に増えたが、彼らの殆どがそうした不安定な雇用関係を強いられることになる。小泉と竹中が導入したものである。
新自由主義は、富める者を富ます考えである。貧困を産もうとしているのではないと反論するであろうが、恣意的でないと思うだけであって、極めて少数の富める者と結果として大量の貧困層を産むのであ
る。更にはその下に位置する、相対的貧困層を産むことにもなる。
殆どの国民にとって関係ない国益を振りかざし、日本を武装国家に変貌させることが政治の使命と思い込み、憲法を仇にすることが政治ではない。貧困は社会とっても大きな負担と不安につながり、人権すら侵害する。
安倍晋三の脳細胞には、政治の本来の姿を認識するDNAが存在しないのであろう。
青写真が崩れて、テンパっているのではないかと思う。
原発再稼働(私は反原発です)と言ってる割に、
まだ再稼働させてないのは、
やってみても貿易収支が黒字にならないからでは、と。
自分の失策をばらさないためにも、
原発再稼働は次の首相になってからかもしれない。
安倍シンゾウは再登板ながら同じ轍を踏むまいと周到な政治手法を取って居る様にみえる。
大量の円を刷り、円安誘導をし見せかけの株価上昇を見事に演出した。
原発再稼働に傾注し大企業優遇策を進め結局、景気が上向いた恩恵は裕福層だけである。
消費増税しても、社会保証にまわる話はみえないし貧困する人達が更に貧しくなるだけだ。
政治家は貧乏人の話を聞いたりしない。献金とパー券を買ってくれる大企業と金持ちの話しか聞こえない。
更に高齢社会の中で、お年寄りの機嫌を損ねると票が減ってしまうので老人福祉には一生懸命だ。
少子高齢化だと言うのに、若者に戦争に行き国の為に命を投げ出せと言わんばかりの議論。
なにも金銭ばかりが富ではない。
政治とは富の再配分だろうが
富に富を再配分している様におもえてならない。