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そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

キューバ危機に学ぶ敵基地攻撃の危険性

2022-12-24 | 岸田文雄
1962年10月のキューバ危機は世愛が最も核戦争に近づいた時と言われている。ソビエトがアメリカ資本を追い出した、カストロのキューバ政権支持しミサイル基地を建設していることが明らかになった。アメリカのケネディー大統領は政権内では、発射準備寸前だったミサイル基地を空爆するべきとする、ルメイ空軍参謀総長の意見が圧倒的であった。
ソビエトを支持する東側諸国の反応を恐れたケネディーは、マクナマラ国防長官の海上封鎖を選択した。ケネディーは、太平洋戦争を戦い抜いた古参のルメイの意見を排除し、同世代のマクナマラの提案を受け入れた。ただ海上封鎖という作戦は、余りとられたこともなく宣戦布告に近い戦術でもあった。
ケネディーはすでにこの時、ワルシャワ機構とNATOが対峙し核発射の準備態勢に入っていたことに危機を感じていたのである。フルフチョフがこれに応じたことも大きいが、
敵基地攻撃は敵を怯ますと、岸田文雄は妄想している。敵基地攻撃で敵は怯むことなく、むしろそれを期に敵は団結することになる。真珠湾攻撃という奇襲作戦は大きな戦果を挙げた。それで日本が勝ったわけではない。日本は大きな経験をしているにも拘らず、保有することが抑止になるというのである。
ケネディーはソビエトに自らの作業で撤退するよう仕向けたのである。アメリカもフルフチョフの要求を受け入れ、トルコの基地の撤去をアメリカの手で行っている。
ケネディーが行ったことは、キューバには敵基地攻撃能力を持たさないという意味でもある。岸田文雄は、過去の軍事国家が通った妄想を抱いているに過ぎない。そして現代では単にアメリカ軍事産業の振興にすぎにだけである。
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