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もやもや日記

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『箱男』

2005年06月13日 | 読書日記ー日本
安部公房 (新潮文庫)



《あらすじ》

ダンボール箱を頭からすっぽりとか
ぶり、都市を彷徨する箱男は、覗き
窓から何を見つめるのだろう。一切
の帰属を捨て去り、存在証明を放棄
することで彼が求め、そして得たも
のは? 贋箱男との錯綜した関係、
看護婦との絶望的な愛。輝かしいイ
メージの連鎖と目まぐるしく転換す
る場面。読者を幻惑する幾つものト
リックを仕掛けながら記述されてゆ
く、実験的精神溢れる書下ろし長編。



《この一文》

” だが、本当に楽観的だったのだろうか。ぼくらは最初から、ただ希望を放棄していただけなのだと思う。情熱とは、燃えつきようとする衝動なのだ。ぼくらは燃えつきようとして焦っていただけなのかもしれない。燃えつきる前に中断することは恐れていたが、現世的な持続を願っていたかどうかは、疑わしい。   ”



あまりの生々しさに悶絶しました。あまりに生々しい。物語はそうやって非常な衝撃をもって押し寄せてくるのに、ではどういうお話だったのかということは、どうにもまとめられません。物語の複雑さに全然追い付いていないですが、それでも私なりに考えてみることにします。
「箱」はむき出しの自分を覆うための装置でしょうか。誰でも多少はその装置を持っていそうですが(例えば衣服)、「箱男」は実際の箱を被り人間の形をとることをやめることで、世間から認識されなくなり、よって社会から離脱した彼は「見られること」なしに「見る」という既存の価値観に束縛されない新しい視点を獲得する。しかし「見ること」が「見られること」を誘引し、「見るだけの箱男」が「見られ」始めたら?
という話だったのでしょうか・・・だめだ・・・。全然まとめじゃない、これではただ設定を反芻しているだけですが(それでさえないかも)、今の私にはこれが理解の限界です。一体何を読んだのでしょう。面白いと思ったのは確かなのですが、「贋箱男」と「箱男」ってどういう違いがあるんだっけ? 看護婦は見られるのが平気だったのにどうして最後には去ってしまうのでしょう? 始まる前に終わってしまった劇ってどういうこと?
はあ・・・分からないことが多過ぎて、読み終えてからだいぶ時間が経っているのに、全くまとまりません。読み返してみてもさっぱりです。しかし全く理解を示すことができない私にとっても、物語は面白さを失いません。どうにもこうにも分からないというところがかえって魅力なのです。そしてしびれるほどの文章が目白押しであるのも安部公房の魅力なのです。例えばこんな一文。

”贋魚は待つことにした。意志までが、海の青さに染って、青ざめてしまったようだった。”

なんて格好良いんだろう。
それにしても、「見られたくない」のに「見たい」って、姿をあらわさず意見も伝えないまま他人の考えを知りたがる覗き屋って、まるで私のことではないですか。物語の真相はよく分からないながらも、何気なく過ごしている日常がふいに揺らぎはじめるような恐ろしさと驚きに私は硬直してしまうのでした。誰にでも「箱男」になる可能性はあるのではないだろうか。「箱男」になるには必ずしも実際の「箱」は必要ないんじゃないだろうか。私は既に目に見えない「箱」に覆われているのではないだろうか。『箱男』を読んだ人は多少なりともこんな風に感じるのではないかという気がしたのですが、どうなのでしょうか。間違っていたらどうか教えて下さい。私は混乱し過ぎていて、正しく考えることができないでいるので。