もともと料理はそれほど得意ではないほうだが、あまり冒険をしなくなったせいか、最近はそんなに不味いものが出来上がることはなかった。そうやって安心しきっていた私は、先日、逆転満塁さよならホームランをくらう羽目になった。
それはある夜のこと。豆乳が安かったのに気をよくした私は、何か豆乳料理を作ろうと思い立った。ネットで軽く調べてみると、「豆乳雑煮」なるものに興味をひかれた。こいつは旨そうだ。幸い切り餅もあることだし。そして、例によって分量などは全く気にせず目分量にまかせて、雑煮は出来上がった。あまり味見をしないのが私の流儀だ。見た目にはおいしそうに見える。
帰宅したK氏とともに、食卓につく。一口飲んでみると、そう悪くもない。が、二口飲むと、何故かもう満腹を感じてきた。何と言うか、これは、何とも言えない味だ。滅茶苦茶不味い、というほどではないのだが、おいしいというにはほど遠いと言うべきか。食卓は静まり返って来た。私もK氏も、思考力を失い始めていた。どういうわけか、後頭部がしびれるような感じがする。豆乳雑煮の思わぬ特殊効果に慌てた私は、気をそらして何とか食事を続けようと思い、
「これは、ムズムズだな!」(ストルガツキー『ストーカー』に出てくるゾーンで手に入るアイテムのひとつ。記憶によると、精神を恐慌状態に陥れ、扱い方を間違えると鼻血が出たりする危険な代物)と何でもかんでもゾーンの方向に話をもっていく。
一方K氏は、
「悪魔のスープだ」(ブルガーコフ『悪魔物語・運命の卵』が元ネタと思われる。意味は不明)と対抗する。
しかし、大好きなロシア・ソヴィエト文学の話題も豆乳雑煮の威力にはかなわなかった。我々はなす術もなく途方に暮れ始めていた。仕方ない。これだけはやりたくなかったが、もうどうしようもないところまできているのだ。
「ほら、息を止めて飲めば、全然味がしないぞ!」
とK氏に必殺のアドバイスをしておいて私は飲み干した。こんなに空しい夕食は久しぶりだ。しかしともかく脅威は去ったらしい・・・。たまにはこんな大敗の日もあるさ・・・。
私がこの件で、最も不思議に思ったのは、こういうことである。食べられるものと食べられるものから作ったものが、どうして食べるに堪えないものになってしまうのかーー。人間の技術が物の価値を下げてしまうこともあるんだな、深い。と、しみじみしてしまった。材料が同じでも、その人の力量によって、出来上がるものの質には大変な差が生じてしまうのは、料理に限らず、あらゆる分野においても言えそうだ。たとえば、名文も駄文も材料は同じ日本語である。また、同じ布を繕っても、着られるワンピースを縫うのと着られないワンピースを縫うのでは大変な差がある。味見もしないで済ませるいい加減な私は、この問題についてもっとよく考えなければならない気がする。
むしろ作らなかった方がまし、そういうことにならないようにしたいものである。豆乳は、まだ半分以上残っているのだーー。