「横断歩道橋や公衆電話」は今や影が薄くなった社会のインフラの一つではないでしょうか・・。
なかでも横断歩道橋は、交通事故対策で1970年前後に全国で大量に設置されたが、高齢化に
伴い撤去の憂き目になっているようです。
一方でバリアフリー化など社会ニーズに応える整備も始まっているという。
時は高度経済成長期。 戦後復興とモータリゼーションで交通量が急速に増え、60年代から
70年代に交通事故死が急増した。 死者が70年に過去最高の1万6765人を記録した。
「交通戦争」という異名をとったほど苛烈だったのだ。 (私も記憶にあります)
もちろん国や自治体は、歩行者と車をガードレールで分離するなど対策を急いだ。
そんな安全対策の決定版こそ横断歩道橋の設置。土木建築に詳しい、ものづくり大学(埼玉・行田)
の“増渕名誉教授”によれば、我が国の第1号歩道橋は西枇杷島歩道橋だそうです。
59年、愛知県西枇杷島町(現・清須市)の幹線道路に架けられた。
道路を横断して小学校に通う児童の交通事故が目立ち、「PTAが町や警察に働きかけたことが
きっかけ」だという。 この第1号歩道橋は2010年に架け替えられたが、空中分(長さ12
㍍、幅2.5㍍)は、名古屋大学の橋梁保全技術施設「ニュー・ブリッジ」に保存されている。
その後、第2号登場までには少し時間を要した。 「道路上に人道橋を渡すという考えに、道路
法や建築基準法が追いつかなかった」と増渕名誉教授はいう。
市区町村道、県道、国道で道路管理者が分かれ、調整が難しかったことも影響したようです。
62年に北九州市にできた第2号に続き、同年中に岐阜市や東京都に少なくとも15橋が設置さ
れた。 マイカー元年(66年)目前の65年、国は道路法を改正して歩道橋設置の根拠となる
規定を整備、歩道橋の標準設計案も考察した。 こうして大量架橋時代が始まり、70年代半
ばまで国と自治体は歩道橋増設を急いだそうです。
歩道橋の存在感が増すと同時に、非難の声も出るようになったという。
歩道橋自体が自動車優先の表れだという思想的な側面や、高齢者や自転車の横断に向かないと
いう機能的な面からだといわれる。 日照被害が起きる、土地価格が下がる、環境が悪化する
など住民訴訟も相次いだ。 そんな声に耳を傾け、標準設計は味気ないとして景観を配慮し
ようとの動きも始まった。 77年の蓮根歩道橋(東京・板橋)は、なだらかな形態と中央広場の
ベンチが特徴で、歩道橋として初の土木学会田中賞を受賞した。
近年は少子高齢化に伴い、バリアフリー化が求められるようになった。 自転車用のスロープの
追加やエレベーター併設タイプもできています。
歩行者と車の分離が徹底され、現在、交通事故死は過去最低の3694人(17年)に・・。
一方で60~70年代に架橋された歩道橋は老朽化が進んでいる。 東京都は都道に590橋を
管理しているが、8割がこの頃のものだという。 住民から撤去要望が出るようになり、都は
この20年で100橋を撤去したんだそうだ。 全国では国と自治体合わせて1万1699橋
(12年)あるが、同様に撤去の動きは広がっていて、歩道橋大量撤去時代が始まっているという。
東京都の“本間橋梁構造専門課長”は撤去には3つの基準があると話しています。
①歩道橋に隣接して横断歩道がある ②利用者が12時間で200人未満 ③通学路の指定が
ない・・などだそうです。 それでも「自治会や警察との合意形成に時間が必要で、撤去に
地元要望から4年ほどかかることが多い」という。
今後、歩道橋はどうなるのでしょうか? 第1号橋を保存する名大大学院の“中村教授”は、
「まちづくりと一本化した繊維強化プラスチック(FRP)製の橋などが生まれると思うが、
数は減り続ける」と予測しているという。 景観対応、バリアフリーに加え、街の一部と
してどんな機能を担うかで、歩道橋の姿が決まりそうですな~・・。
津波避難タワーの機能を持たせた横断歩道が、2013~14年、静岡県吉田町の町道上6カ所
に出現したそうです。 歩道橋部分に拡幅して人口広場とした構造で、最大のものは1200
人収容できる。 高さは6.5㍍。 地区の想定浸水高3.7㍍に対応しているという。
これからはこういったような歩道橋を考える時期に来ているのではないでしょうか。
なかでも横断歩道橋は、交通事故対策で1970年前後に全国で大量に設置されたが、高齢化に
伴い撤去の憂き目になっているようです。
一方でバリアフリー化など社会ニーズに応える整備も始まっているという。
時は高度経済成長期。 戦後復興とモータリゼーションで交通量が急速に増え、60年代から
70年代に交通事故死が急増した。 死者が70年に過去最高の1万6765人を記録した。
「交通戦争」という異名をとったほど苛烈だったのだ。 (私も記憶にあります)
もちろん国や自治体は、歩行者と車をガードレールで分離するなど対策を急いだ。
そんな安全対策の決定版こそ横断歩道橋の設置。土木建築に詳しい、ものづくり大学(埼玉・行田)
の“増渕名誉教授”によれば、我が国の第1号歩道橋は西枇杷島歩道橋だそうです。
59年、愛知県西枇杷島町(現・清須市)の幹線道路に架けられた。
道路を横断して小学校に通う児童の交通事故が目立ち、「PTAが町や警察に働きかけたことが
きっかけ」だという。 この第1号歩道橋は2010年に架け替えられたが、空中分(長さ12
㍍、幅2.5㍍)は、名古屋大学の橋梁保全技術施設「ニュー・ブリッジ」に保存されている。
その後、第2号登場までには少し時間を要した。 「道路上に人道橋を渡すという考えに、道路
法や建築基準法が追いつかなかった」と増渕名誉教授はいう。
市区町村道、県道、国道で道路管理者が分かれ、調整が難しかったことも影響したようです。
62年に北九州市にできた第2号に続き、同年中に岐阜市や東京都に少なくとも15橋が設置さ
れた。 マイカー元年(66年)目前の65年、国は道路法を改正して歩道橋設置の根拠となる
規定を整備、歩道橋の標準設計案も考察した。 こうして大量架橋時代が始まり、70年代半
ばまで国と自治体は歩道橋増設を急いだそうです。
歩道橋の存在感が増すと同時に、非難の声も出るようになったという。
歩道橋自体が自動車優先の表れだという思想的な側面や、高齢者や自転車の横断に向かないと
いう機能的な面からだといわれる。 日照被害が起きる、土地価格が下がる、環境が悪化する
など住民訴訟も相次いだ。 そんな声に耳を傾け、標準設計は味気ないとして景観を配慮し
ようとの動きも始まった。 77年の蓮根歩道橋(東京・板橋)は、なだらかな形態と中央広場の
ベンチが特徴で、歩道橋として初の土木学会田中賞を受賞した。
近年は少子高齢化に伴い、バリアフリー化が求められるようになった。 自転車用のスロープの
追加やエレベーター併設タイプもできています。
歩行者と車の分離が徹底され、現在、交通事故死は過去最低の3694人(17年)に・・。
一方で60~70年代に架橋された歩道橋は老朽化が進んでいる。 東京都は都道に590橋を
管理しているが、8割がこの頃のものだという。 住民から撤去要望が出るようになり、都は
この20年で100橋を撤去したんだそうだ。 全国では国と自治体合わせて1万1699橋
(12年)あるが、同様に撤去の動きは広がっていて、歩道橋大量撤去時代が始まっているという。
東京都の“本間橋梁構造専門課長”は撤去には3つの基準があると話しています。
①歩道橋に隣接して横断歩道がある ②利用者が12時間で200人未満 ③通学路の指定が
ない・・などだそうです。 それでも「自治会や警察との合意形成に時間が必要で、撤去に
地元要望から4年ほどかかることが多い」という。
今後、歩道橋はどうなるのでしょうか? 第1号橋を保存する名大大学院の“中村教授”は、
「まちづくりと一本化した繊維強化プラスチック(FRP)製の橋などが生まれると思うが、
数は減り続ける」と予測しているという。 景観対応、バリアフリーに加え、街の一部と
してどんな機能を担うかで、歩道橋の姿が決まりそうですな~・・。
津波避難タワーの機能を持たせた横断歩道が、2013~14年、静岡県吉田町の町道上6カ所
に出現したそうです。 歩道橋部分に拡幅して人口広場とした構造で、最大のものは1200
人収容できる。 高さは6.5㍍。 地区の想定浸水高3.7㍍に対応しているという。
これからはこういったような歩道橋を考える時期に来ているのではないでしょうか。