昼食時にオフィス街でよく見かけるキッチンカー。 別名、フードトラックと呼び移動式で料理を提供する。
店が満席で昼食にあぶれる会社員の胃袋を満たしてくれる救世主といわれている。 本格派のものや
珍しい国の変わった味のものなど多彩にあるという。
“いらっしゃいませ”。11月下旬、イタリア料理を提供するキッチンカーの前で女性が呼び込みを始
めた。 営業は、曜日ごとに場所を変えて営業するんだそうだ。 この日はオフィスビルの恵比寿
プライムスクエアタワー(東京・恵比寿)へ。 昼食時には行列ができるほどだという。
列に並んだ人は「毎日コンビニ弁当では飽きる。ここの出来たてでおいしい」と話しているそうだ。
脇のベンチでほお張る人は「昼はどの店も混む。移動販売はすぐに食べられ、時間が節約できる」と
利点を挙げてたそうだ。 値段も700円前後と都心の外食店よりお手ごろだという。
一番人気は豚肉料理、ポルケッタなんだそうです。 ハーブが豚肉のうまみを引き立て、柔らかい肉
が口の中でとろけるような感じだという。 それもそのはずで、調理する“谷口さん”は、飲食店
激戦区、東京・銀座のイタリア料理店「コルポデラストレーガ」のオーナーシェフだという。
(昨年、移動販売を始めてから昼食の売り上げは4倍に増えたという。)
道路交通法では原則、路上で1ヵ所にとどまる移動販売はできない。 だが、これらが出店している
のはオフィス街。 私有地なので所有者の許可があれば自由に営業可能だという。
ビル側も賃貸収入と昼食時の混雑緩和という一石二鳥だと考えているようだ。
先駆けでなはないかとされるのが2003年にワークストア・トウキョウドゥ(東京・大田)が移動販売
車を集めて出店した東京・大手町のサンケイビル正面広場だ。 同社は「賃貸交渉や出展者の募集
運営管理などをし、ビル側との交渉を担っている」(烏川社長)。
16年から仲介事業を始めたmellow(メロー、東京・渋谷)の“柏谷社長”も「出店者が料理と接客に集中
できるよう後押しする」と話す。 現在、キッチンカーが営業するオフィス街や大学構内は東京都
内を中心に全国200ヵ所以上ともいわれている。
実はこれらのキッチンカーの源流をたどると日本の屋台にいきつきそうだ? 全国屋台村連絡協議会
(青森県八戸市)の“中居会長”は「屋台とは移動可能な店のこと。 日本では江戸時代に出現、当時はそ
ばやすしを売った」と話す。 第2次大戦後、店舗を失った被災者らが屋台で営業していたが、法
律の規制で博多(福岡市)など一部地域を除いて次第に姿を消していったそうだ。
では、キッチンカーはいつくらいから登場したのか・・。 烏川社長によると、父親の“龍官氏”が
1963年に東京の晴海埠頭でホットドッグを販売した記録が残っているという。 その後、屋外
イベントに様々なキッチンカーが出店し始め、今日のスタイルとなったという。
世界のグルメを堪能できるのも魅力だという。 毎日、6台ほどが軒を連ねる東京都中野区の再開発
地域、中野セントラルパークでは日替わりで各国料理が楽しめる。 特に水曜日はなじみの薄い国
の味が登場。 ジャマイカ料理の“杉本さん”はレゲイ好きが高じて出店。
ハイチ料理の“高橋さん”はハイチ人男性と結婚を機に、この道に入った。
最近、人気を集めているのがヘルシーフード。 代表格が「ホールフーズまるごと」が提供するブッ
ダボウルだそうだ。 特徴は全て植物性素材を使うこと。ご飯は玄米、野菜は有機栽培にこだわる。
自然食に興味のあったオーナーの“岩竹さん”が「一人でも多くの人に知ってほしくて始めた」。
食べた方は、野菜の煮込みや豆の揚げ物などが入っていて食べ応えも十分だったと話している。
キッチンカーでは、調理空間が狭いなどの制約もあり当初は「大した料理じゃないだろ」と思って
いたそうですが、あなどるなかれ・・みな美味しかったと反省したという。
私が、利用したのは「夜鳴きラーメン(そば)」(これも屋台です)くらいしかない・・。
でも寒々としたときにこうした屋台で食べた温かいラーメンの味は今でも覚えています。
店が満席で昼食にあぶれる会社員の胃袋を満たしてくれる救世主といわれている。 本格派のものや
珍しい国の変わった味のものなど多彩にあるという。
“いらっしゃいませ”。11月下旬、イタリア料理を提供するキッチンカーの前で女性が呼び込みを始
めた。 営業は、曜日ごとに場所を変えて営業するんだそうだ。 この日はオフィスビルの恵比寿
プライムスクエアタワー(東京・恵比寿)へ。 昼食時には行列ができるほどだという。
列に並んだ人は「毎日コンビニ弁当では飽きる。ここの出来たてでおいしい」と話しているそうだ。
脇のベンチでほお張る人は「昼はどの店も混む。移動販売はすぐに食べられ、時間が節約できる」と
利点を挙げてたそうだ。 値段も700円前後と都心の外食店よりお手ごろだという。
一番人気は豚肉料理、ポルケッタなんだそうです。 ハーブが豚肉のうまみを引き立て、柔らかい肉
が口の中でとろけるような感じだという。 それもそのはずで、調理する“谷口さん”は、飲食店
激戦区、東京・銀座のイタリア料理店「コルポデラストレーガ」のオーナーシェフだという。
(昨年、移動販売を始めてから昼食の売り上げは4倍に増えたという。)
道路交通法では原則、路上で1ヵ所にとどまる移動販売はできない。 だが、これらが出店している
のはオフィス街。 私有地なので所有者の許可があれば自由に営業可能だという。
ビル側も賃貸収入と昼食時の混雑緩和という一石二鳥だと考えているようだ。
先駆けでなはないかとされるのが2003年にワークストア・トウキョウドゥ(東京・大田)が移動販売
車を集めて出店した東京・大手町のサンケイビル正面広場だ。 同社は「賃貸交渉や出展者の募集
運営管理などをし、ビル側との交渉を担っている」(烏川社長)。
16年から仲介事業を始めたmellow(メロー、東京・渋谷)の“柏谷社長”も「出店者が料理と接客に集中
できるよう後押しする」と話す。 現在、キッチンカーが営業するオフィス街や大学構内は東京都
内を中心に全国200ヵ所以上ともいわれている。
実はこれらのキッチンカーの源流をたどると日本の屋台にいきつきそうだ? 全国屋台村連絡協議会
(青森県八戸市)の“中居会長”は「屋台とは移動可能な店のこと。 日本では江戸時代に出現、当時はそ
ばやすしを売った」と話す。 第2次大戦後、店舗を失った被災者らが屋台で営業していたが、法
律の規制で博多(福岡市)など一部地域を除いて次第に姿を消していったそうだ。
では、キッチンカーはいつくらいから登場したのか・・。 烏川社長によると、父親の“龍官氏”が
1963年に東京の晴海埠頭でホットドッグを販売した記録が残っているという。 その後、屋外
イベントに様々なキッチンカーが出店し始め、今日のスタイルとなったという。
世界のグルメを堪能できるのも魅力だという。 毎日、6台ほどが軒を連ねる東京都中野区の再開発
地域、中野セントラルパークでは日替わりで各国料理が楽しめる。 特に水曜日はなじみの薄い国
の味が登場。 ジャマイカ料理の“杉本さん”はレゲイ好きが高じて出店。
ハイチ料理の“高橋さん”はハイチ人男性と結婚を機に、この道に入った。
最近、人気を集めているのがヘルシーフード。 代表格が「ホールフーズまるごと」が提供するブッ
ダボウルだそうだ。 特徴は全て植物性素材を使うこと。ご飯は玄米、野菜は有機栽培にこだわる。
自然食に興味のあったオーナーの“岩竹さん”が「一人でも多くの人に知ってほしくて始めた」。
食べた方は、野菜の煮込みや豆の揚げ物などが入っていて食べ応えも十分だったと話している。
キッチンカーでは、調理空間が狭いなどの制約もあり当初は「大した料理じゃないだろ」と思って
いたそうですが、あなどるなかれ・・みな美味しかったと反省したという。
私が、利用したのは「夜鳴きラーメン(そば)」(これも屋台です)くらいしかない・・。
でも寒々としたときにこうした屋台で食べた温かいラーメンの味は今でも覚えています。