“遊ぶ”といってもいろいろある? 若い時ならいざ知らず・・この年になったら残念ながら何もない!
この年にならなくても、貧乏の育ちなので元来“遊ぶ”事はなかった? そんな余裕は全くなし!
社会人になってからは“遊ぶ”と言ったら「寄席通い&ラグビー観戦」が主流(安かったから)
‘酒に元々飲まない’・‘勝負事は気が小さく向かない’など・・貧乏人体質がもろに出ていた。
それが今も残っているような人生かも知れない。 ちゃうか今は「安価な旅」が加わったかな?
違う・違う・・今の最高の“遊びは家庭菜園”での「土遊び」があったな~ 呑気なもんだ!
その“大事な遊び”がなかなかできない!今年は。「寒さと天候不順」で・・早く遊びたいのにな
ここんところの「雨」もあって“菜園”に入れない! ‘じゃが芋’など早く植え込みたいのにネ。
ボケ~っとしていたら、することないから・早いけれど「節句の飾り出す」って、カミサン
〔今年の我が家は例年と違って「端午の節句」は一大イベント!息子達の分だけでなくなって〕
「よし出そう!飾ろう!」と、気合はよかったが飾るのは‘これだけ’(甲冑飾り) 遊びながら・・
〔折角いただいたのに、息子達二人で散々遊び・・結局は壊したのだ!〕
親達は‘貧乏育ち’で大事にしたが、子達は教育が悪かったのか・・これが現状
今になって、親達が‘遊び心’で? 「孫」誕生で思い出して! どっちでも今年な~嬉しい
終わって、さて一服・・・ カミサンが「甲冑の飾り」を前に、先般・和裁の友達から‘抹茶’をいただいてきたあるのでそれで一服などと風流に・・
残念だが「茶わん」はあるが(陶器がそこそこ好きなのでなんとなく)、他の洋品はない! 適当にして‘味わって飲もうか’となった。
思い出しました~・・社会人になって最初の勤務先で、営業の先輩から取引先のお茶の先生がいるから習わない!って誘われやった事を。
勿論・私一人ではなく「女子社員」が中心で(10人くらいいた記憶)、男子は付き合いで数人(最後の方まで残ったのは私一人でしたが・・)。
正座して「茶わん」の持ち方・回し方らの基本から、茶のたて方・飲み方の作法など一通りでした。 約一年半くらいだったの記憶です・・?
「茶道とは招く相手や季節によって“掛け軸・花・菓子・道具の取り合わせ”などを吟味し、もてなしの心を学ぶもの」です!なんて教わった?
今はもうなくしてしまったが「懐紙・扇子・帛紗(ふくさ)」などを持ってましたョ。 作法などほとんど忘れましたが一つ二つ・・・
なぜ茶わんを回すの?=茶わんには模様や絵柄がもっともきれいに見える「正面」がある。
茶わんを回すのは、自らは正面を避ける!と言う謙虚な精神を表すため。 だったと思います?
畳の縁を踏むなの理由=畳の縁を踏まない事は茶席での最低限の重要なマナーと、最初に教えられた。
かつて畳の縁には、座る人の位を表す紋章をあしらった高価な織物が使われていたため。
すっかり忘れていた「茶道」・・ひょんな事から思い出されました! こんな風にして“茶”を飲む(味わう)のも、ちっちゃな“遊び心”の一つ?
それは大袈裟で言い過ぎですよネ。 飲み終わってから、オィ!“和菓子・和菓子は?”なんて・・まったくもう締まらない“遊び”でした。
「暇&貧乏人」にとっては、これでも“遊べた~”って・・・全くもう、しょうもない老夫婦の“遊び”・・じゃないかな?
今週後半くらいからは、今度は「家庭菜園」での“土遊び”ができるかな? 早くそうなってほしいで~す!お願いします!
内緒の話 私が習ったのは・・遠い昔の事なので定かではないが、流派は『宋徧流』です。
ここからは先ほど調べたもので、私の記憶からではありません!
千利休の後妻の連れ子である「千少庵」の流れを汲む流派
創始者は「山田宋徧氏」 千宗旦の高弟 利休正風を称する茶法を伝承されたと書かれていました。
この年にならなくても、貧乏の育ちなので元来“遊ぶ”事はなかった? そんな余裕は全くなし!
社会人になってからは“遊ぶ”と言ったら「寄席通い&ラグビー観戦」が主流(安かったから)
‘酒に元々飲まない’・‘勝負事は気が小さく向かない’など・・貧乏人体質がもろに出ていた。
それが今も残っているような人生かも知れない。 ちゃうか今は「安価な旅」が加わったかな?
違う・違う・・今の最高の“遊びは家庭菜園”での「土遊び」があったな~ 呑気なもんだ!
その“大事な遊び”がなかなかできない!今年は。「寒さと天候不順」で・・早く遊びたいのにな
ここんところの「雨」もあって“菜園”に入れない! ‘じゃが芋’など早く植え込みたいのにネ。
ボケ~っとしていたら、することないから・早いけれど「節句の飾り出す」って、カミサン
〔今年の我が家は例年と違って「端午の節句」は一大イベント!息子達の分だけでなくなって〕
「よし出そう!飾ろう!」と、気合はよかったが飾るのは‘これだけ’(甲冑飾り) 遊びながら・・
〔折角いただいたのに、息子達二人で散々遊び・・結局は壊したのだ!〕
親達は‘貧乏育ち’で大事にしたが、子達は教育が悪かったのか・・これが現状
今になって、親達が‘遊び心’で? 「孫」誕生で思い出して! どっちでも今年な~嬉しい
終わって、さて一服・・・ カミサンが「甲冑の飾り」を前に、先般・和裁の友達から‘抹茶’をいただいてきたあるのでそれで一服などと風流に・・
残念だが「茶わん」はあるが(陶器がそこそこ好きなのでなんとなく)、他の洋品はない! 適当にして‘味わって飲もうか’となった。
思い出しました~・・社会人になって最初の勤務先で、営業の先輩から取引先のお茶の先生がいるから習わない!って誘われやった事を。
勿論・私一人ではなく「女子社員」が中心で(10人くらいいた記憶)、男子は付き合いで数人(最後の方まで残ったのは私一人でしたが・・)。
正座して「茶わん」の持ち方・回し方らの基本から、茶のたて方・飲み方の作法など一通りでした。 約一年半くらいだったの記憶です・・?
「茶道とは招く相手や季節によって“掛け軸・花・菓子・道具の取り合わせ”などを吟味し、もてなしの心を学ぶもの」です!なんて教わった?
今はもうなくしてしまったが「懐紙・扇子・帛紗(ふくさ)」などを持ってましたョ。 作法などほとんど忘れましたが一つ二つ・・・
なぜ茶わんを回すの?=茶わんには模様や絵柄がもっともきれいに見える「正面」がある。
茶わんを回すのは、自らは正面を避ける!と言う謙虚な精神を表すため。 だったと思います?
畳の縁を踏むなの理由=畳の縁を踏まない事は茶席での最低限の重要なマナーと、最初に教えられた。
かつて畳の縁には、座る人の位を表す紋章をあしらった高価な織物が使われていたため。
すっかり忘れていた「茶道」・・ひょんな事から思い出されました! こんな風にして“茶”を飲む(味わう)のも、ちっちゃな“遊び心”の一つ?
それは大袈裟で言い過ぎですよネ。 飲み終わってから、オィ!“和菓子・和菓子は?”なんて・・まったくもう締まらない“遊び”でした。
「暇&貧乏人」にとっては、これでも“遊べた~”って・・・全くもう、しょうもない老夫婦の“遊び”・・じゃないかな?
今週後半くらいからは、今度は「家庭菜園」での“土遊び”ができるかな? 早くそうなってほしいで~す!お願いします!
内緒の話 私が習ったのは・・遠い昔の事なので定かではないが、流派は『宋徧流』です。
ここからは先ほど調べたもので、私の記憶からではありません!
千利休の後妻の連れ子である「千少庵」の流れを汲む流派
創始者は「山田宋徧氏」 千宗旦の高弟 利休正風を称する茶法を伝承されたと書かれていました。