農業じゆう人

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もう1年か~・・

2012年03月11日 15時59分17秒 | 私事
   “もうなのかorまだなのか”・・この1年は? 私にとっては“もう1年が過ぎた!”の感じが強い!
    ラジオを聴いていて、カミサンと‘半分居眠り’しながらだったと思う・・「1年前の午後2時46分」は!
   後は、震源地から遠い我が地でも『震度5強』(後でわかった事)。柱につかまりながら窓を開けた
   ヨタヨタと玄関ドアも開け“登山靴” 物置小屋から“長靴”  しばし経ってから「非常用用品袋」を・・・
   後は電気傘が天井にぶつからないが? 壊れて落ちてこないか? そうしながら耐えるのみで
   いつのタイミングで逃げ出すか? 外に出ても大丈夫か? 表の道路には、人が座り込んでいる。
   ‘あたふた・あたふた’とした“長ァ~い時間”を過ごした・・・それから“もう1年たったのか”

   被災地だけでなく日本全体が「3.11以前」にはもう戻れぬ対岸になった。
   振り向けば「橋は流れ消え、隔てる川・海は流れ・深い。温かい心の手が『絆』となってきたように思う。
   その『絆』の文字も、今はやや過剰な使用に摩耗気味に思えます。 なんでも「絆」「絆」とはな~


             “井上しさしさん”が健在なら「つるつる言葉」と呼ぶかもしれない?と新聞に書かれていた。 私も同じように思いましたが・・・
             大変・意味のある“いい言葉”なんですが、便利に使われ過ぎて意味も実態もすり減ってしまう言葉を、そう称している・と


      言葉と言えば、作り物でない真の言葉がある。 陸前高田市の電器屋さん・・【泣きてえけど、上手に泣けねえ。涙が出ねんだ】
          奥さんと7歳の娘を津波に奪われ、仮設住宅で暮らすお父さん・・40歳

      福島県の小5女児は、遺体安置所で父と対面した。  (あしなが育英会の震災遺児作文集から)
      【そこには、お母さんが先にいって、お父さんの顔を、泣きながら見てました。私は、お父さんの顔を見たら、血だらけで、泣きました】
          子どもたちには、気兼ねなく胸中を明かせる場所が必要では・・尽きぬ思いを言葉にしたら、少しは心が軽くなるのでは・・?と

      今を生きる証として、それぞれの「ひとつかみの時」のどこかに、きょうも新たな言葉が刻まれるといいのですが・・今は無くなったような?

      今日『2012年3月11日』 人生初の‘恐ろしい体験’をした・・震える思いで過ごした日から「もう1年過ぎた」 (なにかきのうのよう)
      その今日は、新聞・テレビ・等のマスコミが、こぞって取り上げ放送している・・「皆さんが。聞き見ている」とおりです。
       現在・これだけ取り上げて報道するのは結構なんですが、日本の一番悪い癖である「いっときのみ」は、やめてほしい! 
       わァ~と取り上げて、時期が過ぎると・・さァ~っと・ひいてしまい、‘あれ~・あれはなんだったの’などとならないようにお願いしたいもの
       特に「福島県の原発問題」などは、これから何十年と続くであろう重大な問題だと思います。 是非・継続的に現況を知らせてほしい。

       先ほど「東日本震災の追悼式典」が、天皇皇后両陛下の御臨席のもと行われた。 私どもの時刻に合わせて「黙とう」しました。

                             
             福島の現状を伝える新聞               黙とう                  少しは明るく?梅の開花


       追記・・・これだけの未曾有の大災害が起こって1年経って学んだ事(私は直接の影響は受けなかったが)
              いざと言う時には『国は頼りにならない! 対応がメチャクチャ遅い!』 再度これだけがハッキリとした