ブッダは、当時、インドで説かれていた宇宙の創造主としての
梵天王(ブラフマン)を認めず、敢然として仏教を立ち上げた。宇
宙の発生を「自然の化生(けしよう)」(自然の法則によって発生し
たという意味)、自然法爾(じねんほうに・何の力を加わることな
く自ら然かあらんこと、という意味である)。ともに同じ意味であ
る。したがって仏教は無神論である。
ところが、人間の苦悩を解消するためと称して、後世の仏弟子た
ちによって、いろんな仏が作られるようになった。病気で苦しむ人
たちには薬師如来、悪いことなどをした人には阿弥陀如来、さらに
仏だけでは足りず、菩薩まで作られた。いずれも架空の仏、菩薩で
ある。そればかりか、宇宙の創造主として大日如来まで作られたの
である。この流れは大乗仏教と呼ばれるものである。一方、南方仏
教(小乗仏教)は、ブッダ以外の仏は今でも認めていない。いわゆる
釈迦一仏である。
これらの一連の仏教の流れに対して疑問をもった日蓮は、敢然と
して反駁したのが「四個(しか)の格言」である。真言亡国、禅天魔、
律国賊、念仏無間の四句を云う。これは各宗祖に対する反駁であっ
て、一般の檀信徒を対象としたものではないことを、先ずお断りし
ておきたい。
「真言亡国」であるが、「大日」とは、もとは太陽の公照の意味
であったが、後に宇宙の根本としての仏の呼称となり、宇宙の根源
としての根本仏として大日如来となったものと思われる。いわゆる
宇宙の創造主と同じ意味となったのである。これは明らかに架空仏
で、ブッダが否定した「梵天王」と同じ概念である。これに対し、
日蓮は真言亡国と反駁したのである。いかに仏弟子が作った仏典と
はいえ、ブッダの教えに反しているのは明知のことである。小学生
でも分かることである。大日経の著者達は仏弟子とは云えない。
「禅天魔」であるが、禅宗では、「以心伝心」、「教外別伝(き
ょうげべつでん)」、「不立文字(ふりゅうもんじ)」と説かれてい
る。概略すれば、ブッダの悟りの内容は、文字で表すことはできな
い。したがって、仏教経典は仏の真意をあらわしていない、という
経典否定の考え方である。これでは仏教という宗教そのものが成り
立たなくなってしまう。ブッダの遺言として、「私は表裏なくすべ
ての法(教え)を説いてきた。弟子に隠すような秘密の法はない」、
「自らをよりどころとし、法をよりどころとせよ」、というのがブ
ッダの遺言である。その経典に説かれているブッダの教えを否定す
るのであれば、天魔の所業であると日蓮は反駁したのである。天魔
とは、仏法を妨げる者、人が善事をなそうとするとき邪魔をする魔
王の意味である。ただし禅宗は、南無釈迦牟尼仏と唱えているので、
仏教といえないこともない。
「律国賊」であるが、ブッダの説く戒律は、末法には合わないも
ので、民衆を惑わす教えだと日蓮は説いている。しかし、戒律はブ
ッダの説いたものである。日蓮が云いたかったのは、末法になると、
誰も戒律を守る人はいなくなる、ということを云わんとしたものだ
と思われる。
「念仏無間」であるが、阿弥陀仏も明らかに架空仏である。歴史
上に存在した仏ではないからである。日蓮は「念仏無間地獄抄」の
中で、「父なる釈尊を捨つる故に五逆罪のものなり」、「此の仏を
捨てて、弥陀、薬師、大日等をたのみ奉る人は、二十逆罪の咎に依
って悪道に堕つべきなり」、「もし人、この経(法華経)を信ぜずし
て捨てて謗(そし)れば、その人命終して阿鼻地獄に入らん」、と説
かれている。
これが四個(しか)の格言の意味である。いずれにしても、日蓮が
云いたかったのは、仏教の開祖であるブッダを捨てて、架空の仏を
勝手に作り、いかにもご利益があるかのように説く宗祖達に対する
日蓮の反駁と信念である。しかし、一般人の信仰を妨げるものでは
ないことをご理解いただきたい。
梵天王(ブラフマン)を認めず、敢然として仏教を立ち上げた。宇
宙の発生を「自然の化生(けしよう)」(自然の法則によって発生し
たという意味)、自然法爾(じねんほうに・何の力を加わることな
く自ら然かあらんこと、という意味である)。ともに同じ意味であ
る。したがって仏教は無神論である。
ところが、人間の苦悩を解消するためと称して、後世の仏弟子た
ちによって、いろんな仏が作られるようになった。病気で苦しむ人
たちには薬師如来、悪いことなどをした人には阿弥陀如来、さらに
仏だけでは足りず、菩薩まで作られた。いずれも架空の仏、菩薩で
ある。そればかりか、宇宙の創造主として大日如来まで作られたの
である。この流れは大乗仏教と呼ばれるものである。一方、南方仏
教(小乗仏教)は、ブッダ以外の仏は今でも認めていない。いわゆる
釈迦一仏である。
これらの一連の仏教の流れに対して疑問をもった日蓮は、敢然と
して反駁したのが「四個(しか)の格言」である。真言亡国、禅天魔、
律国賊、念仏無間の四句を云う。これは各宗祖に対する反駁であっ
て、一般の檀信徒を対象としたものではないことを、先ずお断りし
ておきたい。
「真言亡国」であるが、「大日」とは、もとは太陽の公照の意味
であったが、後に宇宙の根本としての仏の呼称となり、宇宙の根源
としての根本仏として大日如来となったものと思われる。いわゆる
宇宙の創造主と同じ意味となったのである。これは明らかに架空仏
で、ブッダが否定した「梵天王」と同じ概念である。これに対し、
日蓮は真言亡国と反駁したのである。いかに仏弟子が作った仏典と
はいえ、ブッダの教えに反しているのは明知のことである。小学生
でも分かることである。大日経の著者達は仏弟子とは云えない。
「禅天魔」であるが、禅宗では、「以心伝心」、「教外別伝(き
ょうげべつでん)」、「不立文字(ふりゅうもんじ)」と説かれてい
る。概略すれば、ブッダの悟りの内容は、文字で表すことはできな
い。したがって、仏教経典は仏の真意をあらわしていない、という
経典否定の考え方である。これでは仏教という宗教そのものが成り
立たなくなってしまう。ブッダの遺言として、「私は表裏なくすべ
ての法(教え)を説いてきた。弟子に隠すような秘密の法はない」、
「自らをよりどころとし、法をよりどころとせよ」、というのがブ
ッダの遺言である。その経典に説かれているブッダの教えを否定す
るのであれば、天魔の所業であると日蓮は反駁したのである。天魔
とは、仏法を妨げる者、人が善事をなそうとするとき邪魔をする魔
王の意味である。ただし禅宗は、南無釈迦牟尼仏と唱えているので、
仏教といえないこともない。
「律国賊」であるが、ブッダの説く戒律は、末法には合わないも
ので、民衆を惑わす教えだと日蓮は説いている。しかし、戒律はブ
ッダの説いたものである。日蓮が云いたかったのは、末法になると、
誰も戒律を守る人はいなくなる、ということを云わんとしたものだ
と思われる。
「念仏無間」であるが、阿弥陀仏も明らかに架空仏である。歴史
上に存在した仏ではないからである。日蓮は「念仏無間地獄抄」の
中で、「父なる釈尊を捨つる故に五逆罪のものなり」、「此の仏を
捨てて、弥陀、薬師、大日等をたのみ奉る人は、二十逆罪の咎に依
って悪道に堕つべきなり」、「もし人、この経(法華経)を信ぜずし
て捨てて謗(そし)れば、その人命終して阿鼻地獄に入らん」、と説
かれている。
これが四個(しか)の格言の意味である。いずれにしても、日蓮が
云いたかったのは、仏教の開祖であるブッダを捨てて、架空の仏を
勝手に作り、いかにもご利益があるかのように説く宗祖達に対する
日蓮の反駁と信念である。しかし、一般人の信仰を妨げるものでは
ないことをご理解いただきたい。
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