ニコ、酒場で戯言

Always look on the bright side of life.

なべ presents

来集軒 元町店@加須 「ラーメン」

2013-04-23 00:00:00 | ラーメン(埼玉)
元町店のメニュー冒頭にはいきなり答えが書かれています。

「昭和3年東京都台東区入谷277番地、来集軒一号店として開店しました。
 昭和16年に現在の加須市元町に移転以来~」

浅草合羽橋総本店の移転前はお弟子さんを多く抱えた中華料理店でしたが、
その開業昭和25年前に、入谷に真の一号店があった。そこから出た卯都木豊松さんが
実家のあった加須にお店を出します。そして、次男の卯都木常三さんが浅草総本店
ができたときに料理長となります。

製麺所は落合さん一族が「麺部」として現在まで継承していますが、
料理店としての歴史を築いたのは実は、竹町の元ご主人卯都木常三さんを
はじめたとした卯都木一族なんです。もともとは製麺所で働いていたという
卯都木一族は麺を卸していた中華料理店で話を聞きながら独学でラーメンを
はじめとした料理の知識を得ていった。その話はまた別の機会に。

加須に移った豊松さんの元町店は手揉み麺のラーメンを出し続けています。
それが今の浅草店の一杯に近い、いや、浅草がこちらのラーメンに近い、というのが
正解なんでしょう。来集軒製麺所で特別に手揉みしてもらっているという浅草店の
麺は、この自家製麺のがモチーフになっているんでしょうか。

浅草店で聞いた

「うちは餃子はないけど焼売はあるのよ」

というのは加須も同じ。今日鴻巣の店舗も含め3店すべてで焼売を食べましたが、
つなぎが多めのグニュッとしたもので浅草店に近いのはやはりこの元町です。

180cmの体躯で、とにかく聞くエピソードがすべて豪快だった豊松さんは
いつもテレビで浅草店が取り上げられる度に、なんでえなんでえ、と文句を
言っていたそうです。職人の矜持でもあり、ある意味真実だったのでしょう。

加須に移ったとき、料理に使うお酒を手に入れるために浅草橋まで女将さんを
お遣いに出したそうです。当時加須から浅草橋の闇市まで行くことは、相当な
労力だったと思いますが、その浅草で遊べると喜んで出て行ったそう。
時代を感じさせるエピソードですね。

全ては紹介できませんが、もうひとつエピソードを。
元町店は2代目(現在の店主のお父さん)のときに客が入らず、
空のオカモチを持って近所を駆けまわったそうです。
繁盛店だと評判を呼ぶための演出。
ステルスマーケティング、古くはサクラ、芸能人に
ブログでアピールしてもらう現代には考えられない“営業努力”ですが、
現在まで地元に愛されているお店を眺めていると
微笑ましい以上の感情がわいたりします。

一方竹町。常三さんが今年七回忌。
釣りが好きだったという常三さんを思い、竹町のスープに
魚介の香りがするのは、と夢想したくなります。

現在はホントにかわいいおばあちゃんと娘さん二人で
営業時間を最小限にして続けています。

個人的に一番好きな竹町。
続けていってほしいな、なんてわがまま勝手に
思ったりしますが、それは歴史的な価値があるから
ではなく、

「常三さんが体調悪いときも、近所の常連さんが
 続けてほしいほしいって懇願したらしいよ」

という話にあります。
地元に愛され、必要とされるお店でいつまでも
あり続けてほしいなあ、と思うのでした。

本流は加須と竹町にあり。
味の連続性よりも、歴史は確かにそう言っています。
真実を知る人がほとんどいなくなってはいますが、ホントに
溜飲を下げた一日でした。

ちなみにノスタルジックなんて呼んでいますが、愉しみの源泉は
決して懐古主義じゃない。長く続いているという魅力、お店とお客さんとラーメンが
商売できちんと成り立って、喜びに満ちている幸せのトライアングルが
長く保たれている、それを味わうことが無性に楽しいんです。

形式的にレトロな雰囲気ではなく、地元の親子が同じラーメンをずっと
食べ続けて、それが代を重ねたりしているそんな光景を一緒にお裾分け
させてもらったりすることが無性に愉しいんだな、と強く感じます。

そして、すべてのお店がいまだ愛されているのは、
個性的で美味しいから。

あー、今日も愉しかったなあ。
お付き合いありがとうございました。

今後もこのシリーズは続きます。

※ちなみに史実としてのデータや年表は
 今日も一緒だった

がぶさんがまとめてくれます!
スゴイですよ!

 

 

住所 埼玉県加須市元町8-17
営業時間 11:00~20:00
定休日 月曜日