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福井の原発と関西電力の偶然

2019-10-04 22:07:09 | 社会・経済


 
消費税が10パーセントに大増税されて4日経ちましたが、みなさんいかがお過ごしでしょうか。

巷ではコンビニなどでの「イートイン脱税」なんて言葉も生まれる混乱があるようですが、そりゃ、
こんな複雑というか定義や線引きが曖昧な軽減税率なんてものがあるようでは、混乱も起きますわね。

そんなことは増税施行される前から予想されたでしょうに、制度を押し付ける役人や政治家なんて、
いつもの無策で、そんな現場のことなど真摯に考えちゃないでしょうが。

現場だってね、異なった税率の特定に労力かけることなんてアホらしくてやってられません。
そんな労力かけたところで、税金を納めるだけのことなんですから。

しかしアレですよね。

この消費税増税って、もともとブタ、じゃなかった野田センセーの民主党も進めていたことですが、
アベちゃんの自民政権になって実行されて、その政権が選挙を経ても結果的に国民に容認されて、
だとするとコレで社会保障が充実するのだなと、みんな歓迎してるのかと思いきや、
増税されて困る困ると言うじゃないですか。

いやいや、自公政権を選び増税を容認したのは国民なんですけどもね?


そんなカンジで、大増税の消費者への負担を減らそうとしてかなんなのか、
カタチとしての慰みにポイントバックの制度があるようですけども。

ナニやら原発ムラでは事業者と自治体の間で壮大なキャッシュバックが行われておるのですが。

もちろんコレは、福井県高浜町と関西電力とに限ったハナシだなんて誰も思ってないでしょう。
他の自治体でも、他の電力会社でも、原発に関わる他の事業者でも、中央の役人や政治家も巻き込んで、
こういった不正なカネの流れってのは日常茶飯事なのでしょう。

2日には関西電力の弁明が行われましたけどもね。
金品を授与した側の高浜町元助役に恫喝されて受け取り拒否できなかったとのことですが。

なんとも稚拙な言い訳ですが。
でもま、オトナの事情で、断り切れない関係性があったとしてもおかしくないとは思います。

ってことは、やっぱり原発ムラってのは、そういうトコロなワケですよ。
結局は贈る・受け取る関係が成り立っていたのですからね。

そんな利権を貪る原発が「ベースロード電源」ってんですからヘソで茶が湧きます。


んで、この高浜町と関西電力の件で、どうも登場人物が少ないなと思っていたら、
やっぱり政治家の名前が出てきたようです。

そうです、福井出身と言えばの元防衛大臣・稲田朋美センセーです。
高浜町元助役が役員を務める警備会社党から献金を受けており、
関連会社の社長は朋美センセーの後援会会長を務めていたのだとか。

まあ、ここまでは驚きもしません。
もっと汚いことがあっても驚きませんし、あるんじゃないですかね。
だいたい福井県の政治家なんて、原発と無縁でいられるワケないでしょう。(偏見です)

ただしかし、ここで名前が出た政治家というのが、元大臣をつかまえてアレですが、
朋美センセーなんて小物だけってことはないでしょう。本当はもっと大物もいる筈です。

だから、こんな大規模な不正、背任や贈収賄の疑いのある案件なのに、
特捜などがぴくりとも動かないのは、そうじた大物がうじゃうじゃいるからなのでしょうよ。

関電内の処分ってだけで終わらせてはいけない案件です。
その危機感や怒りを、国民は持っているのでしょうか。


さて、高浜町の森山元助役は今年の3月に亡くなっており、
ソレをきっかけに今回の案件が明るみになったというのですけども。

同じ3月に偶然にも、福井の原発と縁のあった関西電力の大物OBが亡くなっておりました。


 森井清二氏が死去 元関西電力社長

 関西電力社長を務め、大飯原発3、4号機(福井県)の建設など原発事業を推進した
 森井清二氏が2日午前9時19分、肺炎のため死去した。92歳。京都市出身。
 葬儀は近親者で行った。喪主は長男浩氏。

 1985年に関西電力の社長に就任。
 在任中の91年2月には、美浜原発2号機(福井県)で蒸気発生器の細管が破断し、
 国内の原発で初めて緊急炉心冷却装置(ECCS)が作動した事故が発生し、
 再発防止などの対応に当たった。

 関西経済同友会の代表幹事や関西生産性本部の会長も歴任した。


1985年に関西電力の社長に就任したとのことですから、森山元助役とも付き合いはあったでしょうねえ。

だとすると、高浜町元助役と先代の社長からあった付き合いを今さら止めるというのも、
関電には難しいのかもしれません。って、別に擁護する気はありませんが。


それから福井の原発といえばの熊谷組。
別に福井の原発を請負ってるのは熊谷組だけでもないですし、
熊谷組が福井の原発ばかりを請け負ってるのでもありませんが。

ですが福井の地元企業として、前述の森井元関電社長が担ったという大飯原発も、
もともとは大飯町に原発のハナシを持ちかけたのは熊谷組ですし、
若狭湾を「原発銀座」を言われるまでに尽力したのは熊谷組です。

で、熊谷組の創業家出身の元社長も今年になって亡くなっています。


 熊谷太一郎氏(熊谷組元社長)死去/業界の地位向上に尽力/後日お別れの会

 熊谷組の社長を19年にわたって務め、日本土木工業協会(土工協、現日本建設業連合会)の会長など
 業界団体の要職も歴任した熊谷太一郎氏が6月21日、心不全のため死去した。86歳だった。
 葬儀は近親者で済ませた。後日、「お別れの会」を開くが、日取り・会場は未定。喪主は長男の香太郎氏。

 福井市出身。早稲田大学卒。同社の2代目社長・太三郎氏を父に持ち、1958年4月熊谷組に入社した。
 名古屋支店長、取締役、常務、副社長を経て78年12月、4代目の社長に就任。
 97年11月に退くまで19年にわたって同社を率いた。

 80年代の熊谷組は、国内では得意とする大型土木工事や大規模都市開発事業などを展開するのに加え、
 香港から始まった海外事業を積極的に拡大。
 85年には受注高が1兆円の大台に到達し、経常利益は業界で首位となった。
 89年に完成した「香港東部海底トンネル」は日本の建設会社が手掛けた香港初の
 BOT(建設・運営・移管)事業として注目を集めた。

 しかし、90年代に入るとバブル経済崩壊の影響を受けて後半は業績が低迷。
 97年11月に社長を退き、会長に就任。同社の再建を側面から支えた。2000年社友に退いていた。
 業界団体では86年に52歳の若さで土工協会長に就任。90年まで会長を務め、
 公共発注機関との意見交換などを通じて契約の双務性確保や業界の地位向上に尽力した。
 日本建設業団体連合会(旧日建連)や海外建設業協会の副会長も歴任した。
 土工協や建築業協会などが合併して11年に誕生した日本建設業連合会では相談役を務めた。
 95年の阪神・淡路大震災発生時には直後に現地に入り、被災地で奮闘する社員たちを激励した。

 熊谷氏が社長時代に経営企画部長を務めていた社友の大田弘氏(元社長)は
 「非常に温厚な方で激した姿は見たことがなかった。一方で、本質を避けたその場しのぎの考え方は
 決して許さず、優しくも厳しく諭された。ご冥福をお祈りする」とコメントを寄せた。
 記者にも丁寧に説明してくれる経営者だった。

 プライベートでは、野球をこよなく愛し、同社の野球部が都市対抗野球で活躍する姿に目頭を熱くしたという。
 夫妻で観戦することも多く、大声を上げるのではなく、会社のチームを温かく見守っている姿が印象的だった。


太一郎氏の父・太三郎氏は社長・会長を務め、また、自民党の参議院議員でもあり、
通産省政務次官を経て原子力委員会委員長・科学技術庁長官も務めています。
つまり原発行政のトップにいたのですけども。


森山元高浜町元助役、森井元関電社長、太一郎元熊谷組社長と、
世代も近く、まさに福井の原発ムラの中心にいたであろう3人が、
今年に入って立て続けにお亡くなりになっているとは。

そのことが、今回の高浜町・関電の事件に繋がっているのでしょうか?

お3方とも高齢でしたので、亡くなっても不思議ではないとはいえね。
亡くなられたタイミングが近いのは、偶然なのでしょうかねえ。。

いや、偶然だろうと思ってますよ?

 

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