Do you remember rock'n' roll radio?

Macとか音楽とかサッカーとか気にくわないニュースとか、独りよがりの邪推と妄想

なでしこ謝罪の不思議

2016-03-06 21:54:10 | フットボール・スポーツ
リオデジャネイロオリンピック出場を賭けた女子サッカーのアジア予選、
日本女子代表は3試合終えて1分け2敗、勝ち点1となっております。

3試合目の中国戦は1-2の敗戦となったのですけれども、
この結果で予選通過がかなり厳しい状況になったことを受けてか、
試合後に選手や監督からは謝罪の言葉が相次ぎました。


そりゃあ、負けて、オリンピック出場が難しくなってしまった、
その試合結果が悔しく、また、応援してくれた人々への期待に応えられなかった、
そんな無念があったのはわかるんですけども。

でも、謝罪する選手や監督を見ていて思ったのです。

彼女等は一体誰に謝っているのだろうと。
そもそも、どうして謝っているのだろうかと。


だって、極めて小さいながら、まだ可能性はあるのですよ。
なのにこの時点で謝罪というのは、事実上の敗北宣言ですよね。
それって、どうなのでしょうか。

まあ、現実的には絶望的な状況ではあるとしても、
敗退が確定するまで闘う姿勢をウソでも見せるべきなんじゃないのでしょうか。


勝利という結果を残せなかったことで、サポートしてくれるあらゆる人々へ
ごめんなさい、という気持ちが選手達にあるのは、まぁわからないでもないです。

でも、謝る必要なんてあったのでしょうか。


オリンピック出場を逃すとして、一番悔しがるのは選手本人達なのですよ。
なのに、それ以外の人々に向けての謝罪なんて必要なんでしょうか。

確かに国民を代表して出場しているって意識はあるのでしょうけど、
はっきり言って、一般のサポーターのためにやっているワケではないでしょう。
選手達は自分自身のためにプレーしている筈です。


とはいえ、そうも言ってられない、そういう重荷を背負わざるを得ないほど、
女子サッカーが巨大なコンテンツになってしまったのですな。

そんなプレッシャー、日本の女子サッカーは世界でもトップレベルであり、
主要国際大会に出場して当然のチームでもあるというプレッシャー、
そして、ここで負けたら「澤がいないとダメ」と評価されかねないプレッシャー、
そうしたものが選手達にはのしかかっていたかもしれません。

だからって、負けたからってわざわざ国民に謝らなくてもいいのに。


これは、今の日本に巣食う病理がそうさせているのでしょうか。

スポーツだけじゃなく、仕事や教育やその他社会生活一般において、
ちょっと期待を裏切るようなことをすると即、謝罪しなければならない風潮。

そんな重苦しい空気が、なでしこを包んでいたのかもしれません。

記者のインタビューに、あの試合直後ですから、
謝罪しなければとの無言の圧力を感じてしまったのかもしれません。

そしてその奥にあるのは、謝罪の場面を見たいという視聴者がいるのです。
もしくは、我々の期待を裏切ったのだから謝るべきだと考える人々だっているでしょう。

そんな空気感がなでしこを謝罪に追いつめたのではないでしょうか。

そうです。
きっと、記者を含めた一般のサポーターや国民が、謝罪を強いたのです。
それが無意識だったとしても。


他者に過剰な潔癖を求め、過ちの際にはすぐに謝罪を迫る。
そうした際には即座に謝罪などの対応をしなければならない、企業体など。

コンプライアンス症候群。
そんなものが、日本社会全体を覆っているのです。


もしくは、敗戦の後の記者会見で謝らないでいると傲慢だとか国民に批判されることを恐れて、
負けたら謝れ、との広報マニュアルでもあるんでしょうかね。

それにしても、なでしこを取材した記者達は謝罪がおかしいと思わなかったのでしょうか。
もしくはあの謝罪がおかしいと考える、自分がおかしいのでしょうか。