4月15日のNHKの視点・論点で東京工業大学名誉教授の芳賀 綏さんが「『3丁目』から半世紀」と題してNHKの番組らしくないユニークな持論を展開していた。
多分聞き漏らした方も多いと思うので概略を紹介する。
簡素、質素、慎ましい、人情の温もりがあった時代
・『3丁目の夕日』という言葉が広まった。あの『3丁目の夕日』に描かれたのは、ちょうど50年前で昭和33年の日本だ。
あの頃は、まだ日本はシンプルな社会で、世の中に集中力があった。熱気があって活気があった。大相撲では栃錦・若乃花の栃若時代。プロ野球では、鉄腕稲尾投手の大活躍、新人長嶋茂雄との対決も見られた。
・このような盛り上がった時代にも行き過ぎもあった。冷戦で米ソ対立、日本にも色濃くその影が落とされていた。
・熱気過剰なそのあの頃は、同時にハングリーの時代で、人々の暮らしはまだ戦前のままだった。簡素、質素、慎ましい飽食に関係がない。人情の温もりは江戸時代につながっているとさえ感じられた。携帯もなかった、インターネットもなかった、だから人と人とが、もうじかに触れ合い結びついていた。
経済の発展と風格なき社会の発生
・あの頃から高度成長は始まっていたが、人々は実感しなかった。昭和元禄なんて全然予想しにかった。GNPという言葉が知られるようになったのは、まだ、昭和35年の後半になってからであります。
33年にビジネス特急こだまが走って東海道線に、東京・大阪日帰りが可能になり、39年になると新幹線の開通だ。世の中は唸りを上げてスピードの時代、大量生産、大量消費の世の中になりった。そして同時に環境破壊も進んだ。たちまち超経済大国にのし上がった。
・当事の為政者たちは、高度成長は「衣食足りて礼節を知る」ためであると説明したが、結果は、礼節を知らない飽食の時代になった。昭和45年に大阪万博の前後に時の佐藤栄作総理大臣が、「風格ある社会をつくろう」と呼びかけたがこれは空振りに終わり、国民は関心を示さなかった。
・右肩上がりの繁栄の裏側に、風格なき社会ができた。精神的落ち込み、冷え込みが進んだ。世の中は豊かになったのにけだるくなった。シラケの時代、無関心の時代、心の張りがなくなった集中力・求心力のない社会になった。
社会学者デュルケムが、これを「アノミー」と言った。つまり基準が緩んで筋目もけじめもなくなった混沌状態だ。社会的アノミー、そして、心理的アノミー、人々に無力感、孤独感が漂うようになった。なんと衣食足りたのに生き甲斐を求める自分探しをしなきゃならん、こういう心理状態になってしまった。
価値観の液状化と無脊椎社会、国家
・価値観の多様化ということが、言われたが、私はこの価値観の多様化というのは、聞けば恰好いいけれど、眉唾ものだとずーっと思っていた。多様化ならいいが、価値観の液状化だ。崩れてしまったのだ。だから、社会も国家も軸を失った。背骨のない社会、国家になった、つまり無脊椎社会、無脊椎国家だ。
・だから外国からも、日本の発するメッセージがはっきりしない、毅然としていない、顔の見えない日本、などと言われるようになって、経済大国でありながら尊敬されない日本人という情けないことになった。
人の心は金で買える?
・『3丁目』の人々を省みると、今から見ればダサイ恰好をしている。高学歴化のまだ前で知識も情報も乏しい。今のほうが何か人々があか抜けし、小ぎれいになった。これは進化したのかもしれない。
・ところが、小ぎれいになった裏側で、今の日本人は精神的に薄汚れたと思う。何故なら、「人の心は金で買える」などというこういう思想が、公然と言われるようになった。「たしなみ」が消えた。高学歴、無教養社会、これを象徴する発言であり思想であると思う。
50年前の『3丁目』の人たちはね、仮に万一人の心は金で買えると、ちらっと思ったとしても、口にはできなかった。それはたしなみがあった、口で、みんな恥を知っていた。恥を知っていれば、そんな精神をおおっぴらに言えるものではない。
・一人や二人の人物が突出したというのならまだしも、私が驚いたのは、ある学校の小学校6年生が卒業文集にわれもわれもと、「人の心を金で買うような英雄になりたい、人物になりたい」と書いたんだそうです。なお驚いたのは、校長以下教員もそれを疑問と思わないで文集ができてしまった。
これはある事情で回収されたけれど、こういうことに小学生まで憧れるということになると、これは一億の精神総崩れだ、総崩れになるなんて『3丁目』の人々は思わなかっただろう。『3丁目』の人たちが見たら、50年後の日本人に驚きあきれ、嘆くだろうと思う。
[私の意見]
原文を見て頂ければ判るが、テレビで聴いた芳賀さんの口調は悲憤慷慨といった感じで、まさに私たち戦前派や戦中派の「昔は良かった」、「今の若い者は」と言うのに良く似ていた。
私は「礼節を知らない」「シラケ」「無関心」「精神的に薄汚れた」人達は今でも少数だと思うし、「人の心は金で買える」など言う人はさらに少ないと思う。
同じことを書いた小学6年生の学校も余程変わった教師がいて、それに感化されたのだと思いたい。
然し「顔の見えない日本人」と言われるのは今のビジョンも、独自の価値観を持たない多くの政治家の責任だと思う。
それと芳賀さんの言う、無脊椎社会、無脊椎国家はまさに今の日本が考えなければいけない事だと思う。
芳賀さんの言う様に価値観が多様化→液状化したのは、戦後の民主主義、権利意識の考え方の導入で、日本古来からの価値観の良い所や芳賀さんの言う慎ましさ、コミュニティーの温もり、恥を知るなど美風まで軽視してしまったところから来ていると思う。
そして、市場経済主義や経済のグローバル化に伴う金儲け一本槍、無国籍的な日本人が増えてきたことだ。
グローバル化と言っても、外国の人達は日本人を日本人としか見てくれない。
私達は日本古来からの良い所と戦後導入された民主主義などの良い所を組み合わせて、日本独特のそして、世界から尊敬される考え方を持った日本人になりたいものだ。
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民主主義とか権利意識そのものは良いことですが、この考え方がヘンに理解されているため、世の中の風潮が悪い方向に向かっているように思います。特に権利意識の拡張的解釈には首をかしげたくなります。個人個人の権利を主張していくと必ず衝突が起こります。衝突を避けるには、どちらかの主張をひっこめるか、ある程度妥協して中間部分で双方の合意を形成するかしか方法がありません。つまり、権利はお互いに有するもので、絶対的なものではありません。
人権とか生存権などは、対国家的な概念であり、個人が個人に対して主張する概念ではありません。もしお互いが自己の権利を主張すると収拾が付かなくなります。それこそ、アメリカ的な訴訟社会になってしまうことでしょう。そのような訴訟社会になることは望ましい日本の姿ではありません。
東京工業大学名誉教授の芳賀 綏さんご指摘の諸問題は、まさしく現在日本のかかえる根本的な問題であると思います。戦後世代は、「経済成長」の掛け声の下、会社に自己を適合させ、自己と家庭、会社を作り上げてきました。したがって、ひたすら会社人間であり、政治的にはほとんど他人迎合的で、政治的なことは自分の頭で考えることはほとんど無かったのではないかと思います。また、真に大切な国家とか国防について深い考察をすることなく、うやむやにしてきました思います。その結果、「無脊椎社会、無脊椎国家」といわれるような国柄になったのではないかと思います。
もちろん、戦後世代だけを責めるわけにもいきません。国民一人一人がそのように望んだから現在のような社会になったのでしょう。いまさら昔に返れといわれても、そんなことはできるわけがありません。
ではどうするか。国の大元は憲法で定めています。憲法改正について日本中で論議が湧き起これば、日本のありようについて国民的議論が巻き起こります。そのことが日本の国の「仕切り直し」となり、日本を立ち直らせることに繋がると思います。
民主主義とか権利意識そのものは良いことですが、この考え方がヘンに理解されているため、世の中の風潮が悪い方向に向かっているように思います。特に権利意識の拡張的解釈には首をかしげたくなります。個人個人の権利を主張していくと必ず衝突が起こります。衝突を避けるには、どちらかの主張をひっこめるか、ある程度妥協して中間部分で双方の合意を形成するかしか方法がありません。つまり、権利はお互いに有するもので、絶対的なものではありません。
人権とか生存権などは、対国家的な概念であり、個人が個人に対して主張する概念ではありません。もしお互いが自己の権利を主張すると収拾が付かなくなります。それこそ、アメリカ的な訴訟社会になってしまうことでしょう。そのような訴訟社会になることは望ましい日本の姿ではありません。
東京工業大学名誉教授の芳賀 綏さんご指摘の諸問題は、まさしく現在日本のかかえる根本的な問題であると思います。戦後世代は、「経済成長」の掛け声の下、会社に自己を適合させ、自己と家庭、会社を作り上げてきました。したがって、ひたすら会社人間であり、政治的にはほとんど他人迎合的で、政治的なことは自分の頭で考えることはほとんど無かったのではないかと思います。また、真に大切な国家とか国防について深い考察をすることなく、うやむやにしてきたと思います。その結果、「無脊椎社会、無脊椎国家」といわれるような国柄になったのではないかと思います。
もちろん、戦後世代だけを責めるわけにもいきません。国民一人一人がそのように望んだから現在のような社会になったのでしょう。いまさら昔に返れといわれても、そんなことはできるわけがありません。
ではどうするか。国の大元は憲法で定めています。憲法改正について日本中で論議が湧き起これば、必然的に日本のありようについて国民的議論が巻き起こります。そのことが日本の国の「仕切り直し」となり、日本を立ち直らせることに繋がると思います。
私は更に遡り幕末の志士、尊い命を先の大戦で失っていった英霊の方たちが今の日本(人)を見たらどう思うかこちらに思いをはせます。
新渡戸稲造著「武士道」の精神、人としてあたりまえのことの教育勅語、等々これらが封建制、軍国主義の下と言う事で否定されがちな今日です。
良きものを伝承し、新しきを融和させ日本の文化、伝統、歴史に尊崇の念と基軸をもてば無脊椎社会、国家にはならぬはずです。
あとついでを申せば人権、人道、思想、表現の自由、これらの錦の御旗を掲げ自分たちの主義、主張を誘導してるかのような戦後のマス・メディアも大きな特徴かもしれません。
いま、映画「靖国ーYASUKUNI」の上映問題は典型的な例ではないでしょうか。
私を悲観させた若者たちも、就職活動を通じて感じるところがあったのか、それなりに成長していきました。
この頃、価値観の多様化(液状化とは上手い表現ですね)によって、人々が拠り所を失って疲れてきたせいか、とりあえず、長年人々が大切に守ってきたものを見直そうという動きがある(動きをしかける人たちがいる)ことは確かだと感じています。人々が長年大切にしてきたもの、すなわち伝統です。
私の仲間には時代の潮目が変わったことを敏感に感じ取って、学生たちの手本となるべくふるまう者、相変わらずな者と分かれてきました。最近の入学生はきわめて真面目ですが、大切に育てられすぎたせいか、これまでやったことのない新しいことに挑戦することを回避しようという傾向が強く見受けられます。挑戦して失敗したらどうしようという不安が強いのだということがこの1週間ほど、新入生と接してみてわかりました。だったら、不安を取り除いてやればよいと、見守っているから少々の失敗を怖れずに挑戦しなさいと背中を押してやるようなことを講義の始まりに言うことになりました。高校まででここまでは身につけてきているはず、という考えは頭の中から一掃しました。一年一年目の前の若者たちをよく観察して、何が必要か考えてから必要なことを教えていく。もう少し、社会が秩序を取り戻すまでは、それしか方法はないですね。
今では、私は伝統への回帰が見えるので、将来をそんなに悲観はしていません。いつの時代でも人が生きるところにさまざまな問題は生まれますので、問題だ問題だと騒いで不安を煽り立てる人ばかりが目立つようではそれこそ問題だと私は思います。煽る人ばかりで前向きに解決していこうという姿勢を見せる人が情けないくらい少ないですね。解決する力がないのだったら、せめて黙っておれというのが若者に夢を語ることも職責である私の率直な感想です。