普通のおっさんの溜め息

戦前派から若い世代の人たちへの申し送りです。政治、社会、教育など批判だけでなく、「前向きの提案」も聞いて下さい。

英語屋さん振り回される初等英語教育

2006-08-03 17:09:26 | 教育問題

今、小学校に英語教育を導入することが問題になっていますが、最初に私の貧弱な経験を聞いて下さい。

<<外国人と話をしたり物事を進める上で大切なこと>>

<日本有数の重工業会社のプロゼクト失敗の原因>

私が南米の化学工場のメンテナンスの為に長期出張していたとき、その周辺に大きな石油化学コンプレックスの建設計画がありました。

そして、日本で有名な重工業会社もその保全部門に入る計画があり、同社と繋がりがあった私たちの会社も応援することで、私の友達も出張して来ました。

しかし、結果的には、同社は参入出来ないことになりました。

その後私の勤めていた現地の会社の人からその理由を聞いて考えさせられました。

<何も言わぬので必要に技術を持ってないと思われた>

現地側が参入を拒否した一番大きな理由は、現地側との会議の時に、そのプロゼクトの責任者が一言も発言しないと言うのです。

確かに同社は世界的に有名な会社ですが、化学工場の保全の経験は殆どありません。そのため私の同僚が来たのです。

勿論、責任者も英語は出来るし大切な会議ですから、通訳もついていた筈で、会話のスキルは充分だったでしょう。

<言いたいことを積極的に相手に判らせる努力の不足>

これかは私の想像ですが、一番頼りになる保全専門の私の同僚は英語が出来が出来ないため、英語で行われた会議の雰囲気に呑まれたのでしょう。
それで、本来責任者にとって代わって積極的に発言しなければならなかってのに、遠慮したのが現地側から見れば、責任者が何も知らない(結局は会社が何も知らない)と取られたのでしょう。

<プロゼクト成功の条件>

これで言えるのは、一番大切なのは、話す内容を(ここで言えば保全)知っていること

次にそれをそれを充分に相手に理解させる事、その次に話すための英語力を持つ事でしょう。

<<受験英語は本当に役立たないか>>

その後出向した建設・保全専門のA社の部下を連れて、中東に出張した時の感想です。

A社は大卒の作業者を持っていることを売り物にしていました。
私の部下にも何人か大卒(私大ですが)がいました。

そして私達の他に私の出身のB社からも何人かの技術者が来ていました。
皆国立の大卒ばかりでした。

出張した当初A,B社の人達は現地の人との会話に戸惑っていましたが、一番始めに仕事に差し支えない程度に会話出来るようになったのはB社の技術者でした。

それに反して私の部下は私が離任するまでの一年半経ってもゼスチャーまじりの会話しかで来ませんでした。

その差は言うまでもなく、B社の人達は私の部下より、大学受験で英語の勉強の遥かに多くの時間を使ったことにからくる、基本的な英語の知識の差による物でしょう。

悪名高かったて昔の受験英語ですが、現地の人と会話を交わす内に、それが生きて来たのです。

<英語による文書の作成>

特に外国では文書作成のチャンスが多いのです。

国立大卒の受験英語で書く、文法は合っているが英語表現にぎこちなさの残る文章と、英会話クラスで覚えた、慣用語が良く使われているが文法が目茶苦茶な文章とでは、私の経験からしても前者のほうの評価が高いのは当然です。

<受験英語と英会話に使われる時間の比較>

何よりも受験英語で絞られる時間のほうが、いくら頑張っても、外国人の会話に使われる時間数は遥か少ないでしょう。

英語をやられた人はお判りのように、英語力は英語に接する時間に比例すると思いますので、英語力を付ける上で、否応なしに勉強させられる受験英語は非常に大切だと思います。

<英語屋さんが言わないこと>

英語のリスニングの教材の宣伝にはよく、「今までいくら勉強してても」、聞き取れなかった英語を、通勤中に英語をテープを聞いているうちに、自然に自分のものになったなどあります。

実はその前にその人が「いくらも勉強していた」事実が隠されています。

彼らの旧来の学校英語で充分に習得してきた基礎知識が、英語テープを聞く事で花開いたと言うのが事実でしょう。

<英会話ばかりやった人の英語力>

私達の英字新聞輪読会にも、いきなり英語会話を始め、そのまま、10年近く週に約4回も会話のクラスに通っている人がいますが、未だに英検で言えば、4級にも達していない実力しかありません。

私は彼になるべく多く原書を読む事、辞書を引く事、暇があれば文法を勉強することが、英会話の習得にも役立つのと言うのですが、聞き流されるだけです。

<<海外の人とのコミュニケーションで大切なこと>

延べ約5年間の短い期間でしたが、私の海外出張の経験から言えば、海外の人とのコミュニケーションで大切なのは、次の順だと思っています。

本人の品性話す題材の知識それを相手に判らせる意欲→その道具として言語力読み書きの能力会話力(会話を円滑に進めるためのテクニック(ユーモア、雑学等の知識を含む)→リスニング、スピーキングのスキル)))

私の場合ではで言えば、出張の帰りの飛行機の中でいつも会話を進める為のテクニックを、勉強せねばといつも反省していたのですが、それも出来ないままで今まで来ています。

<小学校に英語教育の導入の目的のそのやり方>

そして今度の初等教育から英語のカリキュラムの導入の目的は何でしょう。

外国人の仕事を進めるためのスキルの向上でしょうか。
それにしては、何かと口を出す経済団体から反応があまりないのは何故でしょうか。

それとも外国人との交流の促進でしょうか。
それではゆとりの時間を利用して、中学生が習った英語で、片言でもどんどん外国人に話す(コミョニケーションの重要度3位)機会を持つ方がもっと有効だとおもいますが。

初等教育の英語のカリキュラムの重点は、何でしょうか。
テレビなどで見る小学生の英語教育は将来どのように役立つのでしょうか

このような事を考えると、初等教育に英語を加える一番の目的は、私の言うコミュニケーションに必要な技術の重要度で言えば、最下位のヒアリング、スピーキングのスキルの不足の解消に余りにも囚われ過ぎていると思います。

それより、とかく悪く言われがちの従来の学校英語のほうがはるかに重要だと思います。

<<英語屋さんから振り回される英語教育の導入>>

その背景としては、実業界の意見を余り聞かずに、私の言う所謂英語屋さんの意見や、英会話屋さんの宣伝の振り回されているような気がします。

このような些細な目的のために、今でも問題になっている貴重な授業時間を割くのは大きな問題だと思います

<<外国人のコミュニケーションで一番大切なこと>>

それより外国人のコミュニケーション能力の向上のためにも、(重要度1,2位の)品性の向上や話す題材の知識の基本的な問題(今学校教育で求められている基本的なな問題)にもっと力を入れるべきだと思います。


スーパーマンを要求するのか、教員の免許更新制度

2006-08-01 15:31:49 | 教育問題

最近小、中学校の教員の免許更新が話題になっています。

それに関して「教えてgoo」の中でも時々講義が面白くないとか、先生が尊敬出来ないのが、学力低下や教育の荒廃の原因だと言う議論を見かけます。

<可哀相な先生>

私のブログを見ていただければ判る様に、私は教師や日教組に対して批判的な立場ですが、この問題については、先生方に同情しています。

<<何故授業がいつも面白くなければならなぬのか>>

講義を面白可笑しくやるのは確かにいいことと思いますが、授業の算数、国語、社会どれをとっても面白い題材ではありません。

仮に、タモリさんや神助さんを連れてきても、一年中生徒を飽きさせず、授業を進めるなど不可能に近いと思うし、今の先生方と同じように、授業を面白くするための準備に、物凄い労力で疲れ果てて仕舞うでしょう。

<面白くない授業もたまには必要だ>

考え方によっては、面白くない授業でも、我慢して聞かせ、99を自分自身の努力で覚えさせることも、今の生徒達の将来にとって、ずっと役立つこともあると思います。

<<スーパーマンを要求される先生>>

しかも、タモリさんも、神助さんも生徒達から尊敬される人にならなければならないのです。

面白くて、尊敬される人は一種のスーパーマンだと思います。

今の先生達が何故、普通の人、持っている知識を生徒に教える普通の技術を持っている人ではいけないのですか。

勿論、私の言う普通の人と言うのは、社会から爪弾きされないような品性や常識を持つ人のことで、この面から振るいにかける必要があるのは、致し方ないと思います。

<<今の授業に欠けているもの>>

しかし、今の初等教育に欠けているのは、授業の技術のでなくて、生徒の勉強の仕方を教えないことだと思います。

面白い授業という点で言えば、例えば九九を苦労して覚えたことの達成感や喜び、社会のことを学んだ知識を応用出来た時の喜びなどを生徒に教えることだと思います。

授業態度でいえば、授業中の集中力の大事さ、他の生徒の授業への集中妨げないこと、家での勉強の仕方、判らないときは、先生にどんどん質問すること、出来る生徒に他の生徒が聞いてきたら、喜んで教えてあげること、そのことが本人の勉強にもなることなどなどでしょう。

つまり、余り面白くない例えば算術の授業をいかに、自分から興味を持ちながら、面白い点を自分で見つける方法を教えることではないでしょうか。

<<免許更新の前にやらねばならぬ事>>

<教師希望者の教育>

免許の更新を考える前に、教師希望者が社会人として恥ずかしくない人の育成、つまり、現代社会の歪みから出てきた、昔なら考えられないような、例えば社会への適応性を養うとか、倫理観、我慢する力の養成、地域社会の一般的な知識、基本的な教養などなど、希望者の徹底的な教育が必要だと思います。

これらのことは、生徒の勉強の仕方のノウハウと同じに 、教員養成の大学で教えられるべきだと思います。

<躾け教育>

それと、面白い授業も大切ですが、今までの教育の荒廃の一つの大きな原因は、生徒達が甘やかされてきたことにあると思います。

躾けなどは本来家庭の責任ですが、父兄がそれまでも学校に頼ってきたこと現実も考えて、初等教育に躾け教育に重点を置いた、基本的な教育方針を考える必要があると思います。

特に小学校では、徹底的な躾け教育をすべきでしょう。

<<教育委員会の役割>>

これには、戦後の中途半端な教育を受けて来た父兄からの反発も予想されますが、教育委員会も、日教組全盛時代から引き継いできた、教師の管理だけてなく、教師の防波堤になるような方針の変換も必要だと思います。

例えば、生徒が明らかに非があるときに、教師が生徒を思う余りに、つい暴力を振るい、父兄が怒鳴り込んで来た場合、教師に対して適切な処置をするのは当然ですが、父兄に対しても、生徒の指導面での適切な助言を与えることです。

<<普通の先生でも指導出来る教育制度>>

このように,教員の免許更新制度を設ける前に、普通だけれど人として立派な先生が、普通程度の労力で、ある程度の成果を得られるような、現実に則した、そして長いスパンで考えた、教育制度やカリキュラムを考えるのが先決ではないでしょうか。