普通のおっさんの溜め息

戦前派から若い世代の人たちへの申し送りです。政治、社会、教育など批判だけでなく、「前向きの提案」も聞いて下さい。

スーパーマンを要求するのか、教員の免許更新制度

2006-08-01 15:31:49 | 教育問題

最近小、中学校の教員の免許更新が話題になっています。

それに関して「教えてgoo」の中でも時々講義が面白くないとか、先生が尊敬出来ないのが、学力低下や教育の荒廃の原因だと言う議論を見かけます。

<可哀相な先生>

私のブログを見ていただければ判る様に、私は教師や日教組に対して批判的な立場ですが、この問題については、先生方に同情しています。

<<何故授業がいつも面白くなければならなぬのか>>

講義を面白可笑しくやるのは確かにいいことと思いますが、授業の算数、国語、社会どれをとっても面白い題材ではありません。

仮に、タモリさんや神助さんを連れてきても、一年中生徒を飽きさせず、授業を進めるなど不可能に近いと思うし、今の先生方と同じように、授業を面白くするための準備に、物凄い労力で疲れ果てて仕舞うでしょう。

<面白くない授業もたまには必要だ>

考え方によっては、面白くない授業でも、我慢して聞かせ、99を自分自身の努力で覚えさせることも、今の生徒達の将来にとって、ずっと役立つこともあると思います。

<<スーパーマンを要求される先生>>

しかも、タモリさんも、神助さんも生徒達から尊敬される人にならなければならないのです。

面白くて、尊敬される人は一種のスーパーマンだと思います。

今の先生達が何故、普通の人、持っている知識を生徒に教える普通の技術を持っている人ではいけないのですか。

勿論、私の言う普通の人と言うのは、社会から爪弾きされないような品性や常識を持つ人のことで、この面から振るいにかける必要があるのは、致し方ないと思います。

<<今の授業に欠けているもの>>

しかし、今の初等教育に欠けているのは、授業の技術のでなくて、生徒の勉強の仕方を教えないことだと思います。

面白い授業という点で言えば、例えば九九を苦労して覚えたことの達成感や喜び、社会のことを学んだ知識を応用出来た時の喜びなどを生徒に教えることだと思います。

授業態度でいえば、授業中の集中力の大事さ、他の生徒の授業への集中妨げないこと、家での勉強の仕方、判らないときは、先生にどんどん質問すること、出来る生徒に他の生徒が聞いてきたら、喜んで教えてあげること、そのことが本人の勉強にもなることなどなどでしょう。

つまり、余り面白くない例えば算術の授業をいかに、自分から興味を持ちながら、面白い点を自分で見つける方法を教えることではないでしょうか。

<<免許更新の前にやらねばならぬ事>>

<教師希望者の教育>

免許の更新を考える前に、教師希望者が社会人として恥ずかしくない人の育成、つまり、現代社会の歪みから出てきた、昔なら考えられないような、例えば社会への適応性を養うとか、倫理観、我慢する力の養成、地域社会の一般的な知識、基本的な教養などなど、希望者の徹底的な教育が必要だと思います。

これらのことは、生徒の勉強の仕方のノウハウと同じに 、教員養成の大学で教えられるべきだと思います。

<躾け教育>

それと、面白い授業も大切ですが、今までの教育の荒廃の一つの大きな原因は、生徒達が甘やかされてきたことにあると思います。

躾けなどは本来家庭の責任ですが、父兄がそれまでも学校に頼ってきたこと現実も考えて、初等教育に躾け教育に重点を置いた、基本的な教育方針を考える必要があると思います。

特に小学校では、徹底的な躾け教育をすべきでしょう。

<<教育委員会の役割>>

これには、戦後の中途半端な教育を受けて来た父兄からの反発も予想されますが、教育委員会も、日教組全盛時代から引き継いできた、教師の管理だけてなく、教師の防波堤になるような方針の変換も必要だと思います。

例えば、生徒が明らかに非があるときに、教師が生徒を思う余りに、つい暴力を振るい、父兄が怒鳴り込んで来た場合、教師に対して適切な処置をするのは当然ですが、父兄に対しても、生徒の指導面での適切な助言を与えることです。

<<普通の先生でも指導出来る教育制度>>

このように,教員の免許更新制度を設ける前に、普通だけれど人として立派な先生が、普通程度の労力で、ある程度の成果を得られるような、現実に則した、そして長いスパンで考えた、教育制度やカリキュラムを考えるのが先決ではないでしょうか。