手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

藤井先生が逝去

2010-10-31 19:25:03 | 身辺雑記
 藤井先生が亡くなった。今、お通夜から帰ってきました。
 彼と私は同じ年に札幌西陵高校へ赴任した仲間です。歳は私より二歳上で富良野高校から転勤となったのです。札幌に来て最初に住んだのが私と同じ手稲だったこともありすぐ親しくなった。

 公務分掌でも同じPTA関係にかかわったりしたことなどとても懐かしいおもいでがある。それにも増しての付き合いは、公務を離れての付き合いだった。彼は稚内時代から吹奏楽の指導をしてきていて、音楽には優れた才能を持っていて、カラオケがはやり始めて、私たちも飲みに出ては歌ったものですが、そうした場面のりーダーはいつも彼でした。私は歌が下手で、いつも彼に肩を叩かれながら歌っていたものでした。

 彼は、定年退職して、間もなくから喘息の発作が出るようになり、辛い思いをしていて、そのこぼし話をよく聞かされていました。そのうちに肺気腫となり、入院して酸素の吸入までするようになっていました。それでも調子のよいときは飲みに出たりしていましたが、数年前からは全く出歩くことが無くなっていた。それでも半年に一度くらい私に電話をくれて、病状を話してくれていたのです。

 最後が今年の6月頃だったでしょうか。肺癌になって、病院からも処置の仕様がないといわれ退院させられたといってきていた。彼の家は道路から一軒中に入る抜け道の無い所なので、その道はよく通るのですが、ついつい寄らないでいました。

 昨日、奥さんから電話で、亡くなったことを知らされました。退職後20年以上経過していて、もう私もかつての仲間との付き合いもなくなっていて、知らせる相手も無く、ただ一人仲間だったT氏に電話を入れたのですが、岩見沢に行く予定と重なっているということで、今日の通夜、一緒することもできませんでした。かつての同僚は私ともう一人だけでした。それでも、彼は退職後奥さんと一緒に俳句をやっていました。其の関係の方と思われる方がかなり会葬にいらっしゃっていました。

 肺気腫は私もそうなのですが、私の場合は、かなり歩くことが辛くなっていますが、まだまだ病人といえるような状況では有りません。同じ肺気腫でも人によって随分違うものなのですね。

 

 
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