手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

手稲の酒場も寂しくなった  どこも同じでしょうが

2012-06-01 18:57:06 | 身辺雑記
 札幌に転勤してきたのが48歳。34年目になるのだ。随分変わった。定年まで12年結構な時間があるように思っていた。確かに定年までの時間は長かった。というより中身が詰まっていた。

 丁度札幌では高校生の急増期で一学年10学級のマンモス高校が次々に新設されるころだった。私自身もそんな新設高校の創立3年目の学校へ転勤してきたのだった。職員数は100名近いし生徒も1500名になる。札幌市も市民が膨張して手稲町から札幌市に編入され、西区手稲、そして手稲区と変わってきた。

 人口がどんどん増加する頃だったから、手稲の町も活気かあった。いい仲間も沢山居た。だから遊ぶことも多かった。なんといってもお酒を飲む楽しみが多かった。

 亡くなった藤井先生が私たちの遊びのリーダーだった。それにTO氏、KA氏と私が手稲をあひぞの本拠としていた。ただKA氏はTO氏と二人で行動することが多く、私はKA氏を抜いた三人で遊ぶ事が多かった。

 一週間に一度は手稲で飲んでいた。そして、梯子酒となる。いい店が沢山あって楽しかった。定年退職後も60歳代はこの仲間で遊ぶ事が出来た。

 70歳の頃から藤井氏が体調を崩して出てくることが出来なくなり、手稲の町の飲み屋さんも様変わりし始めた。飲みに来るお客が少なくなり、飲み屋さんが潰れてゆくのです。

 最後に残った行きつけのお店が「いの平」でした。いい友達が沢山いて、いつ行っても楽しく飲めて、歌えてよかったのですが、佐藤安弘さんが亡くなり、佐藤由さんも亡くなり、最後、俳人の俵氏が一昨年亡くなって、飲み友達も居なくなり出かける機会がなくなっていた。それが小野ママが病気で倒れ、店も閉店になってしまった。昨年はこれも馴染みだった「ペルシャ」も閉店し、気軽に呑みに行ける店もなくなっている。

 私は詩吟の教室を週5日教えていて、人の中に居ますから余り感じないけれど、これで周りから付き合う人が消えて行き、行きつけの飲み屋さんもなくなると、寂しくなる人も多いと思う。

 最近、昼カラに出かけることがしばしばなのだけれど、どこの店も毎日来ている常連が何人かは居ます。昼飯が出ますから、それを食べて午後を歌って過ごす、酒の好きな人は、夜と違って安く飲めますから昼間飲んで楽しんでいます。その気持ちがよくわかります。中に奥さんに先だだれた方何人かも知り合いになっている。そんな方は、店が気に入れば毎日となるのもよくわかる。半日1000円、酒を飲んでも3000円くらいで上がるのでしょう。

 昼カラは、暇老人の憩いの場で、カラオケを純粋に楽しむことの出来る店も少なくなってきている。

 私も詩吟を続けている間はいいのですが、全く詩吟を離れたらあの仲間に入ることになるのだろうか。そんなことになりたくない。

 



 
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