手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

手稲第一教場 詩吟

2016-06-06 18:40:40 | 詩吟関係
  今日の教室も三階の料理教室だった。全員出席。昨日4名が資格審査を受けていますので、4名が新しい吟題の稽古です。でも先輩の吟を聞いてきているので、全く新しい稽古というほどのことはありません。特に注意の必要なところだけ注意をして吟じさせます。初めて五言絶句をやることになったFさんには、五言と七言の違いを話してあげ、転句の二つ落としの口の使い方を指導してあげたらすぐ上手にできました。Tさんは、吟声を使うこともできるのですが、どうかすると口先の声になります。昨日の審査でも悪い方の声になっていた。今日の稽古はとてもよくできていた。

 詩吟を始めて40年を過ぎているが、今の時代の吟法についてゆききれないでいる感じがする。何か北詩連の動きを見ていると、何か置いてきぼりにされているような感じがしたりする。北詩連の本質である各会派の独自性を尊重するというのは遠い昔の話になっている。今は北詩連という流派に衣替えしているように感じるのだけれど、衣替えをするならその新しい服を見せてくれるといいのだけれど何か曖昧に感じる。

 10年前に加盟したころアクセントの使い方が異常に感じたのでその点を指摘したりしていたら、いつの間にか私の期待した以上のアクセント重視に変わってきた。最近では、突然「渡り」という言葉が大手を振るようになってきた。私は「渡り」という言葉は知らなかったけれど、指導の中ではかなり厳しくやってきていることです。それがつい数年前から表立ったて来た。ひょっとして先生方の中でも此の「渡り」を知らない方がいるかもしれない。「渡り」は言語学上の言葉で、これが詩吟に使われるようになったのはかなり新しい思う。

 今、詩吟に音楽的手法、発声練習など高度な音楽的素養が要求されるようになってきているのかもしれない。そしてそれが現場にも要求されるようになってきているのだろうか。

 何回か経験しているのてだけれど、全国大会を見学に行って、楽しむ前につらくなって途中で帰宅してしまったことがある。

 確かに上手で、声もみんな同じ程度の高さ、時間も時計で測ったくらいきっちりみんな同じ。あの方たちと同じレベルなら楽しめるのでしょうが、私には楽しむ前に苦しくなるのです。上手すぎて楽しむ余裕が出ないのです。

 コンクールという登竜門があり、それを目指すのには、相応の技量が要求される。この問題がある限りローカル色などというは無理なので、コンクールに出るようになれるような人材育成、技量のを高める指導が要求されるのでしょう。

 いろいろと戸惑いながら、それでも詩吟を楽しめる指導をつづけます。
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手稲第一教場 詩吟

2016-06-06 18:40:40 | 詩吟関係
  今日の教室も三階の料理教室だった。全員出席。昨日4名が資格審査を受けていますので、4名が新しい吟題の稽古です。でも先輩の吟を聞いてきているので、全く新しい稽古というほどのことはありません。特に注意の必要なところだけ注意をして吟じさせます。初めて五言絶句をやることになったFさんには、五言と七言の違いを話してあげ、転句の二つ落としの口の使い方を指導してあげたらすぐ上手にできました。Tさんは、吟声を使うこともできるのですが、どうかすると口先の声になります。昨日の審査でも悪い方の声になっていた。今日の稽古はとてもよくできていた。

 詩吟を始めて40年を過ぎているが、今の時代の吟法についてゆききれないでいる感じがする。何か北詩連の動きを見ていると、何か置いてきぼりにされているような感じがしたりする。北詩連の本質である各会派の独自性を尊重するというのは遠い昔の話になっている。今は北詩連という流派に衣替えしているように感じるのだけれど、衣替えをするならその新しい服を見せてくれるといいのだけれど何か曖昧に感じる。

 10年前に加盟したころアクセントの使い方が異常に感じたのでその点を指摘したりしていたら、いつの間にか私の期待した以上のアクセント重視に変わってきた。最近では、突然「渡り」という言葉が大手を振るようになってきた。私は「渡り」という言葉は知らなかったけれど、指導の中ではかなり厳しくやってきていることです。それがつい数年前から表立ったて来た。ひょっとして先生方の中でも此の「渡り」を知らない方がいるかもしれない。「渡り」は言語学上の言葉で、これが詩吟に使われるようになったのはかなり新しい思う。

 今、詩吟に音楽的手法、発声練習など高度な音楽的素養が要求されるようになってきているのかもしれない。そしてそれが現場にも要求されるようになってきているのかもしれない。

 何回か経験しているのてだけれど、全国大会を見学に行って、楽しむ前につらくなって途中で帰宅してしまったことがある。

 確かに上手で、声もみんな同じ程度の高さ、時間も時計で測ったくらいきっちりみんな同じ。あの方たちと同じレベルなら楽しめるのでしょうが、私には楽しむ前に苦しくなるのです。上手すぎて楽しむ余裕が出ないのです。

 コンクールという登竜門があり、それを目指すのには、相応の技量が要求される。この問題がある限りローカル色などというは無理なので、コンクールに出るようになれるような人材育成、技量のを高める指導が要求されるのでしょう。

 いろいろと戸惑いながら、それでも詩吟を楽しめる指導をつづけます。
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