「ひよ鳥」がやつでの実を食べに来ていました。といってもこれは昨年の今頃の写真です。今年は「ひよ鳥」の姿をあまり見かけません。どうしてなんでしょうか? ちょっと気になります。(fuka)
「もみの木」と「かやの木」、先日までは区別出来ませんでしたが、行縢山の県民の森で勉強しました。もう大丈夫です。では、その違いを画像で紹介します。(fuka)
もみの木の葉っぱは先っぽが2つに分かれており、葉っぱの長さに長短があります。
かやの木は葉っぱの先っぽが分かれておらず、葉っぱの長さも自然です。
画像の左側が「もみの木」で右側が「かやの木」です。 違いが分かると思います。
今年初めてのムカタンクイズです。
私は「もみの木」と「かやの木」の違いがよく分かりませんでしたが、行縢山の県民の森付近の木に「もみの木」という表示がつけてありました。 これを見て「もみの木」と「かやの木」との違いがよく分かりました。表示をして下さった方ありがとうございました。
そこでクイズです。下の写真は、「もみの木」でしょうか? 「かやの木」でしょうか?
今日(1月8日)恒例の新年登山を行ないました。 生憎yasu会長は仕事で参加できませんでしたが、その他の部員で、行縢山の県民の森で猪鍋・カッポ焼酎に舌鼓を打ちながら約3時間弱おしゃべりに花が咲きました。今年も安全登山を心がけましょう。宜しくお願いします。(fuka)
行縢神社のしめ縄→わら製ではありません。
県民の森付近の川原にはつららが出来ていました。
川沿いに上流を目指します。
魚が気持ちよさそうに泳いでいました。水が澄みきっているのが分かりますか?
県民の森へ荷物を置いて頂上へ、途中の渡渉点には岩場に鎖が取り付けてありました。
頂上からの眺めです、海が光って見えました。
猪鍋で乾杯!
発泡酒だろうが第3のビールだろうが、ビール以上の味にしてしまう「魔法の竹コップ」
今日(1月7日)は、旧暦の12月14日にあたります。12月14日と言えば赤穂浪士47士が吉良邸に討ち入った日ですね。江戸時代は旧暦を使用していたので、正確には今日なんでしょうね。泉岳寺に行ってみると、今でも47士のお墓に線香の煙は絶えることが無いそうです。(fuka)
泉岳寺
浅野公のお墓
大石良雄のお墓
大石主税のお墓
新年会用に「カッポ酒(正確にはカッポ焼酎)」の準備をしました。ついでに竹のコップも作り風流に一杯やろうと思います。 カッポ酒用の竹は酒を入れる所が2節以上あると「カポカポカポッ」という音がよく聞こえます。
鍋をつつきながらカッポ酒を酌み交わしながらの山での新年会、本当に良いものです。勿論、当日はハンドルキーパー付きです。(fuka)
正月に知人の家を訪ねたら、植木鉢に植えてある「パイナップル」に実がついていました。パイン畑のパイナップルは見たことがありましたが、植木鉢のものは始めてみました。熟れた頃にまた来ます、と言って帰って来ました。あとどの位で食べ頃になるのか気になるところです。(fuka)
昔の写真を見ていたら「龍のおとし子」の写真が出てきました。写した場所は「蒲江」のマリンカルチャーセンターで、2008年4月5日の日付がありました。今も生きているのでしょうか? しかし、龍の姿に似ているものですね。触ったことはありませんが、「龍のおとし子」にも「逆鱗」があるのでしょうか? もしあれば触って見たいものです。怒って暴れるかどうか見てみたいものです。(fuka)
ちなみに、逆鱗を調べてみたら次のような説明がありました。
「龍」は、元来人間に危害を与えることはないが、喉元の「逆鱗」に触れられることを非常に嫌うため、これに触られた場合には激高し、触れた者を即座に殺すとされた。このため、「逆鱗」は触れてはならないものを表現する言葉となり、帝王(主君)の激怒を呼ぶような行為を指して、「逆鱗にふれる」と比喩表現された。
この故事をもとに、現代では、「逆鱗に触れる」として広く目上の人物の激怒を買う行為を指すようになり、また「逆鱗」が目上の人物の怒りそのものを指す言葉として用いられることもある。
ということだそうです。
お正月の歌には、凧あげ・こま回し・羽根突きといった遊びが歌われていますが、最近はそういった風景は殆ど見ることがありませんね。
昨日、田んぼの中を散歩していたら、若い親子が凧あげをしていました。珍しかったので持っていたデジカメにその風景をおさめました。 でも、凧の形が私が子供の頃とは違っていました。昔は四角い凧で武者人形の絵が描いてあったと記憶しています。時代は変わりましたね。
ちなみに、「金に糸目はつけない」という諺がありますが、この「糸目」とは、揚げた凧のバランスを制御するために凧の表面につける数本の糸のことだそうです。糸目をつけていない凧は制御できないために風に任せて飛んでいってしまいます。そんな「糸目」をつけていない凧に掛けて、制限もなくお金を使うことを「金に糸目をつけない」というようになったそうです。
しかし、凧を知らない(?)現代人にこのような諺を理解してもらうには、まず凧から説明しないと理解してもらえないのでしょうか。
凧揚げの風景からふっとそのように思いました。 (fuka)