平清盛の孫である平清経(平重盛の三男)は、壇ノ浦の戦いに敗れた後、四国の伊予へ逃げ延び、さらに豊後の緒方家を頼って九州へと辿り着きました。 そして、姓を緒方にかえて五家荘の白鳥山に住み着いたと云われています。
その後、清経の長男「盛行」が椎原、次男「近盛」が久連子、三男「実明」が葉木に移り住んでその土地を治めたと伝えられています。 この緒方家は長男の住んだという椎原にあり、今から約300年前に建てられたものだそうです。
緒方家のパンフレットより
昔は「五家庄」と書いていたそうですが、合併などにより「五家荘」になったそうです。
白鳥山の御池周辺にある「平清経」住居跡の標識
緒方家入り口
立派な石垣です。
カヤぶきの屋根。 1回葺き替えるのに約1,500万円~2,000万円位かかるそうです。 有形であれ無形であれ文化財を保存してという事には金がかかりますね。
勝手口を入ると昔懐かしい「かまど」が。
家の中から見ると土壁があって、この先は何もないように見えますが、実はこの向こうに隠し部屋があるんです。 最初は、隠し部屋から忍者屋敷のように隠し階段があり外に逃げられるようにお作られていたそうです。 近いうちに復元するようなことを言われていました。
2階の隠し部屋、6畳の間が2部屋ありました。
琵琶
床の間の天井。 天井の板を支えている材木は床の間に向かって平行です。
床の間の手前にある部屋です。 天井の板を支えている材木は、床の間を突き刺すように床の間に向かって直角になっています。 という事で、ここは「切腹の間」だそうです。 奥が床の間です。 天井の「材木」の違いが分かるでしょうか?
厠(かわや)、小さい方のものです。 温泉場とか居酒屋等でも見かけますね。
厠(かわや)、大きい方のものです。 左側の定規みたいなものは、袴の裾をかけるためのものだそうです。 従って、頭は右側です。
昔懐かしい、内側からの「かぎ」
囲炉裏
自在鈎
全部「木」で出来た戸
土の壁
高貴な人の家であることの印でしょうか?
緒方家の説明をされている方が言われていましたが、五家荘地区で、現在、杉などの樹木が植えれれている所は岩礁地帯ではないので、昔、焼畑が行われていた所だそうです。 椎葉湖あたりでもそうなんでしょうか?
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