旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

蓄電

2013年10月18日 07時05分38秒 | Weblog

 

    柘榴に柿 

放電状態が4日間続いて、ややオーバーヒート気味だ。布施明、平尾正晃「おもいで」、シャープ・フォークスト&シャープ・ファイブ「遠い渚」、プラターズ「サマータイム」、プレスリー「明日に架ける橋」、ベンチャーズ「二人の銀座」「北国の青い空」、ゴールデン・カップス「もう一度人生を」「銀色のグラス」、マモル・マヌー「サンゴ礁の娘」、三根信宏「哀愁のカレリア」「さすらいのギター」、安全地帯「ワインレッドの心」「恋の予感」、キャロル「ファンキー・モンキー・ベイビー」、井上陽水「リバーサイドホテル」、西郷輝彦「17歳のこの胸に」「君だけを」ほかを聴く。


技法

2013年10月18日 05時23分34秒 | Weblog

カウンセラーに必要な3つの条件のひとつに「絶対的な肯定的尊重」という技法がある。娑婆では他人に対してこのような態度で臨むことは稀なので、条件というよりも技法ではないかと考えている。他は「自己一致(同一)」と「共感的理解」という2つの条件だ。

文字通り受け取れば、「お客さまの身になって誠心誠意対応させていただきます。」が常套文句であるように、「共感的な理解」は営業の世界ではありふれた技法であるし、日常生活では「自己同一(一致)」に疑問を呈するような他人とは付き合わないにこしたことない。だから、この2つの条件は理解できる。

「絶対的な肯定的尊重」が問題なのだ。この短いフレーズを記憶しようと試みたが、なかなか覚えることができなかった。解説を読み返して意味をくみとる努力をしてみたら難なく暗記できた。理解と記憶と現実や経験の相互関係について知りたいと思うようになった。


広島南道路

2013年10月15日 20時58分00秒 | Weblog

商工センターから伸びた橋と観音から伸びた橋が太田川放水路のうえで結ばれたのは10月の初旬だ。ほぼ毎日、通勤の途上で工事の進行具合を見てきた。職場から現場は近い。現在の職場で働き始めて1年と7か月が過ぎた。勤め始めたころには既に架橋工事が始まっていたので、放水路の両岸から伸びた橋が一本の橋になるまでに2年ばかりかかったことになる。何かが終わって寂しいような気もするが、来年の4月からは高速道路として活躍を始める。

 


2013年10月14日 19時29分17秒 | Weblog

秋を尋ねて千代田町の土師ダム界隈までドライブにでかけた。いまだ紅葉の気配は薄い。今日は体育の日だ。ダム湖の周りは予想以上の数の親子連れでにぎわっていた。高く青い空のもとで何艘ものボートが湖面に浮かび、サイクリングロードでは風を切って自転車が行き交う。

帰りに地元の農産物の直売所に寄って、4個の富有柿とつるし用の渋柿を20ばかり、大ぶりのさつまいもを一個に、熊本産の大玉みかん10キロを函買いした。富有柿をひとつだけ食べて渋柿の皮をむく頃に陽は落ちて、秋がそこまで来ていることを感じた。


小説「1Q84」

2013年10月14日 06時47分19秒 | Weblog

「はやと先生、早口で多くしゃべるからついていけない。」と来日6年目の彼女。「でも、これくらいの会話についていけないと、接客や事務の仕事に就けない。」とスパルタンのわたし。日本語教室では他国語を学ぶことのむずかしさがよくみえる。

昨日、村上春樹の「1Q84」の英訳を買って読み始めた。村上の平明で語るような文体は英語によく馴染む。日本語原著も蔵書しているのだが、今回は英訳で通読してみることにした。

 


花火

2013年10月13日 13時00分09秒 | Weblog

昨夜は花火の打ち上げ現場をみた。もちろん、頭上に向けて打ち上げられた大輪の花火も満喫させていただいた。目の前で打ち上げられた花火が、オレンジ色の糸を引くように天空めがけて駆け上がり、ドドと頭上で大輪の花火となって降り注ぐ。近くから見た花火は荘厳というよりほかにない。

2度の打ち上げの合間に、向かい側の山裾から打ち上げられた花火のカウントダウンを聞くことができた。小さな花火が輝いてから数秒後の闇に、打ち上げ音が轟いた。


会合

2013年10月12日 09時19分46秒 | Weblog

穏やかな休日の朝を迎えた。部屋の中を秋風が吹き抜ける。パッションフルーツに日がさして窓の影が揺れている。やり残した仕事があって夕方は街にでる。明日から休養のためのほんとうの連休が始まる。

昨夜は中学時代の同級生7、8人との会合があった。語らい、食べ、そして飲んだ。わたしについて正確にいうならば、ここのところ酒を控えているので、もっぱら食べ、喋り、聴いた。年に数回あるこのメンバーの会合に加わって、すでに25年の月日が流れた。


2013年10月11日 04時55分51秒 | Weblog

早朝の3時ごろに目が覚めた。仕事のせいでとうとう不眠症かと嫌な予感が脳裏をよぎった。寝つきが良いので、ひとたび寝床に就くと目が覚めることはめったになかった。間もなく、家をゆするような激しい雨音と風の音に気がついた。闇の向こうは嵐だ。久しぶりに真夜中の読書を楽しむことにした。気にかかっていた藤本修著「メンタルヘルス」(中公新書)を読み始める。

ADHD(注意欠陥多動性障害)は薬物で症状を抑えることができるという。ADHDは薬物で治療ができるということだ。だからといって、ADHDの症状を呈する者をすべて、薬物による対症療法で治せばよいということにはならない。それでは患者を取り巻く環境という問題がなおざりにされてしまう。

「赤面恐怖は、精神医学的には社会不安障害と診断される。対人恐怖は日本人が人の目を気にする傾向が強く、人見知りしがちであり、相手に依存したり、あるいは相手との一体感を求める心性を強く持っていることと無関係ではない。赤面恐怖症を含めた対人恐怖症とは、高所恐怖や蛇恐怖と違って赤面や醜形を恐れているのではない。

対人恐怖症の本質は、同年代の他者が同席する場で特異な心的状況になっている人の状況をひとにさらすことを恐れることなのだ。」(ごく一部を改改竄)。若かりし頃、赤面恐怖症に悩まされた。原因を理解できたにしても赤面してしまうのは神の悪戯か、私の不徳か?


昼食

2013年10月10日 19時49分00秒 | Weblog

台風で1日休んだら今日は3日分の仕事が大きな口を開けて待っていた。ようやく陽が落ちて家路を急ぐ頃に気がついた。昼飯をとっていない。7時に朝食をとったあと口にしたのは飴玉3つに麦茶とコーヒーが一杯ずつ。それでも、あと1日ふんばれば念願の3連休に入る。


ライオン

2013年10月10日 05時54分47秒 | Weblog

昨日はよく眠ったのでたっぷりと充電ができた。

「老人と海」は、「道の向こうの小屋では、老人がふたたび眠りに落ちていた。依然として俯伏せのままだ。少年がかたわらに坐って、その寝姿をじっと見守っている。老人はライオンの夢を見ていた。」というシーンで終わる。(福田恆存訳 「老人と海」 新潮文庫)

さあこれからカジキマグロを釣りにいかなくては、仕事に行かなくては。


潮騒

2013年10月08日 05時36分17秒 | Weblog

いくら頼りにされているからといって、仕事のことしか頭にないというのは最悪の事態だ。こころの余裕と、自分のペースを取り戻すために、どこかの浜辺で潮騒を聴くとか、深い森の静けさを楽しむとか、そういう種類の保養が必要になっている。


錦江湾

2013年10月06日 22時08分25秒 | Weblog

多読であるがゆえに雑念が多い。先月の末あたりから、キャリア論などという複雑怪奇な学問に手を染めているうちに土日が通り過ぎて行った。明日の月曜日からようやく生活が常態に戻る。今週は、「戦国仏教」と「西郷隆盛」(いづれも中公新書)を引き続き読む予定にしている。

特に、西郷の「『恥多き』生」の章、錦江湾での僧月照との入水事件が興味深い。固く抱き合って水底に沈んだふたりだが、引き揚げられた月照は息絶え西郷にはかすかに脈があった。


三省

2013年10月04日 20時09分30秒 | Weblog

あっという間に1週間が過ぎて明日から心待ちにしていた土日の連休がくる。今日(金曜日)は年次休暇をとったので3連休になった。早朝、仕事に追われる夢をみて目が覚めた。昨日まで頭を悩ませていた難問が昼前に解決したので心が落ち着きを取り戻している。

曾子がいった。「わたしは日に何度もわが身について反省する。人のために考えてあげてまごころからできなかったのではないか。友だちと交際して誠実でなかったのではないか。よくおさらいもしないことを(受けうりで)人に教えたいのではないかと。」金谷治訳「論語」(岩波文庫 ワイド版)

「人のために考えてあげてまごころからできなかったのではないか。」とは妙な訳だ。意訳になるが「まごころを尽くして人の相談にのることができなかったのではないか。」(はやと訳)の方がわかりやすい。

 


聖徳太子

2013年10月01日 19時36分57秒 | Weblog

どうにもこうにも、これまで使ったことがないくらい頭を使っている。フル稼働というやつだ。脳の処理能力が落ち始めたのか、絶対的な情報量が多過ぎて脳がオーバーヒート気味なのか定かではない。喧騒と思考・判断のさなかに身を置くことが嫌いではない。日々なすことがないよりはましだ。

それにしてもねえ・・・。聖徳太子じゃありません。ひとりで同時に8人の相手をさせられると、わたしだって疲れます。