旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

シャンソンナイト

2007年02月25日 00時50分39秒 | Weblog
ディナーショー風のささやかなシャンソンコンサートに出かけた。全日空ホテル22階のレストランバーが会場であった。市内でシャンソンの歌唱指導をしている宮瀬征子さんの「シャンソンナイト」なので、お弟子さんの風の観客も多く、どちらかというと家庭的もしくは手作り風のコンサートだった。食事はイタリア料理のコースである。着席するやいきなり、チケットの手配をお願いしていた女性から「まあ、はやとさん、今日はハーレムね?」と言われてたじろいだ。こちらにはKさんという女性の同伴者がそばにいたのだ。

コンサートは、「愛の賛歌」に始まり、いま流行の「千の風に乗って」で終わった。宮瀬さんは、エンゲルベルト・フンパーディンクやプレスリーが歌った「太陽は燃えているか」をスペイン語で熱唱した。「千の風に乗って」や「太陽は燃えているか」がシャンソンの範疇であるかどうかは知らない。しかし、フリオ・イグレシアスの「青い瞳のナタリー」をスペイン語で歌って、周りをあっと言わせようと目論んでいる身からすると大いに参考になった。

もともと「食べて・歌って・恋をして」のラテン系の日本人だからシャンソンは好きだ。以前はアダモやアズナブールの宇宙人のような歌声や歌詞が好きだった。最近では年相応にピアフやシャンソンのスタンダード・ナンバーもも悪くはないと思えるようになっている。宮瀬征子さんのコンサートは2度目である。前がそうであったように見渡せば会場の90名ばかりの観衆のなかに男性の姿は10もなかった。「命短し、恋せよオヤジ。」である。

「セシボン」がサッチモ(ルイ・アームストロング)によって発掘されたシャンソンであり、まずアメリカ国内でヒットして、後フランス国内のシャンソンの定番になったというエピソードの紹介があった。ドリフターズまたはプラターズの「ラストダンスは私に」が、純粋なアメリカンポップスであるにもかかわらず、シャンソンの名曲として知られるようになったのことと対比しみると興味深い。

年齢を重ねると、恋の始まりを告げるときめきや、やがて訪れる別離の悲しみの心模様を実感として掴めるようになってくる。だから、愛することの喜びを高らかに歌いあげるシャンソンへの思いはつのる。最近になって、わたしが好きなシルビー・バルタンの「アイドルを探せ」がシャルル・アズナブールの作詞作曲であることを知った。何か、騙されてきたような気がしてならない。それでも、シャンソンへの思いは熱い。

Kさん、どうだった?





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