旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

ハイデガーの思想

2011年09月21日 20時14分29秒 | Weblog
徒然草第52段の「仁和寺にある法師」の話を引用すれば「少しのことにも先達はあらまほしき事なり。」ということになる。先達、木田元著「ハイデガーの思想」を読み進むにつけハイデガー哲学の少なくともその片鱗が見えてくるようになった。

木田によると、「ハイデガーは、第一次大戦後の焦土の上に裸で投げ出され、抽象的な理性主観としての自己をでなく、悩み苦しみ、絶望に打ちひしがれているおのれの事実的・具体的な生をまるごと問題にしうるような哲学を探し求めていた。」

「『存在論(事実性の解釈学)』という講義の序言でハイデガーは、探求の同伴者は若きルターであり、模範はルターが嫌ったアリストテレスだった。刺激を受けたのはキルケゴールであり、フッサールが私の眼を開いてくれたと述べた。」

また、「『存在と時間』は当初、<実存哲学>の原典として受け取られた。しかし、ハイデガー自身がこうした捉え方を終始拒否し、この本の狙いは人間存在の分析にではなく、<存在一般の意味の究明>にあるのだと主張している。」

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