旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

駱駝と獅子

2012年08月16日 20時47分15秒 | Weblog


「ツァラトストラはこう言った」岩波文庫ワイド版から。

『新しい価値を獲得するための権利を獲得すること、これは辛抱強い、畏敬を旨とする精神にとっては、思いもよらぬ恐ろしい行為である。まことに、それはかれには強奪にもひとしく、それならば強奪を常とする猛獣のすることだ。

精神はかっては「汝なすべし」を自分のもっとも神聖なものとして愛した。いま精神はこのもっとも神聖なものも、妄想と恣意の産物にすぎぬと見ざるをえない。こうしてかれはその愛していたものからの自由を奪取するにいたる。この奪取のために獅子が必要なのである。』 


ニーチェ

2012年08月16日 11時35分34秒 | Weblog

日常生活に関わる何かが軌道に乗り始めると本棚の「ツァラトストラ」を読みたくなる。学生の頃ゼミで読んだ「悲劇の誕生」が発端だ。私の人生の節目にはニーチェが現れる。泉谷閑示著「『普通がいい』という病」を読んでいたら、「ツァラトストラ」から数節が引用されていた。何年ぶりになるだろうか、久しぶりに岩波文庫ワイド版「ツァラトストラはこう言った」を紐解いた。

「ツァラトストラの教説 三段の変化」から。

『精神がもはや主なる神と呼ぼうとしないこの巨大な竜とは、なにものであろうか?この巨大な竜の名は「汝なすべし」である。だが獅子の精神は「われは欲する」という。・・・新しい価値を創造する。それは獅子にもできない。しかし、新しい創造のための自由を手に入れること、これは獅子の力でなければできない。自由を手に入れ、なすべしという義務にさえ、神聖な否定をあえてすること、わが兄弟たちよ、このために獅子が必要なのだ。』