銀河後悔日誌、つぶやき

2017年10月22日より新発足しました。よろしくおねがいします。

「死」のあと

2007-07-09 23:59:18 | 常用平易な日々
 7日はいったん家に戻り、8日、再び美唄へ。まだ、祖父は自宅にいる。

 14時半頃、棺が運ばれる。
 祖父を棺に入れる前、みんなで体を拭き取る。ここで、初めて祖父の顔を見た。眠っているかのよう、しかし、ピクリとも動かない。

 棺に入れられ、小銭を入れる。そして、15:10頃、家の外へ運ばれる。もう、二度とこの家に戻ることはない…。

 近くの会館に、棺が搬入され、祭壇の前に安置される。既に、花輪や灯籠などが立っている。

 18時、通夜が始まる。80席ほど設けられた座席は、いっぱいになっている。お坊さんの読経が始まる。浄土真宗の経を聞くのは初めてだ。読経に独特の節がついている。手を合わせる場面では、住職が「ご一同に合掌…」と。


 焼香が始まる。葬儀に出たのは、平成5年12月に亡くなった、父方の祖父の時以来。この時、祖父はガンで入院していた。ただし、本人は知らないままであった。「こんなことしなくたって、すぐ仕事に行けるのに…」と言いながら、それほど遠くないうちに亡くなっている。


 通夜が終わり、近親者のみ残った。線香を絶やしてはいけないので、何人か番をしていた。
 わたしは、通常どおりラジオを聴いていた。別に番をすることもなく、しかし、やることがない。とは言え、香典が入った金庫を押入れにしまっていたので、その部屋で寝る。ここは、お坊さんの控え室にもなっていた。
 食事が出されたが、夕食に弁当を食べたこともあり(ただし、16時半頃)、あまり進まない。結局、大量に残ってしまった。


 9日(今日)、普段早番で出るくらいの時間に起きる。
 朝食におにぎりを食べる。
 そろそろ手伝いの人が来るので、金庫を押入れから出そうとするが、親戚のおばちゃんが寝ていた。「お坊さんの控え室になるから…」とごまかし、追い出してやれやれ。

 10時、告別式が始まる。いわゆるお葬式である。昨日は日曜日で参列者も多かったが、今日は平日月曜日。若干参列者は少ない。ちなみに、土曜日もそうだが、今日も仕事は欠勤。

 今度は、一人ひとり立ち上がって、祭壇の前で焼香。面倒な順番は、昨日のうちに決めておいた。「喪主」(祖母)・「施主」(伯父)・「娘夫婦」(わたしたち一家)・「本家ご一家」(祖父の長兄の子息一家)以下、男女関係なく、早く生まれた祖父の兄弟、または子どもの一家。伯父の会社(東京から通夜のみ参列、すぐに帰京)、父の会社…といった具合。

 終了後、棺が中央に置かれ、花を添える。
 ふたを閉め、釘を少しずつ打ち込む。しかし、わたしは怖くなって少ししか打てない。こんな気が小さいのでは困るが、いや、本当に困った。

 伯父が遺影、母が位牌、わたしは骨壺を持って、霊柩車へ。クラクションが鳴らされ、出棺。光珠内にある、「美唄斎場」へ。霊柩車に乗るのは初めてだが、あまり乗りたくないね。

 斎場は、できてから2年くらいの新しい建物。
 説明があり、焼香。そして、最後に顔を見る。これで、見慣れた祖父の顔は見納め。本当に、納めである。
 納棺。祖父は遠くなっていく。


 1時間30分ほどの時間がかかる、という。昼食、また弁当。

 放送があり、変わり果てた祖父のお骨が取り出される。つい1時間半前には人間の姿をしていたが、もう、焼け残った骨、である。ここに集まっている人のなれの果て、とも思ってしまった。恐ろしいことである。

 箸で骨を拾い、骨壺へ納める。のど仏の由来などが説明された。最後に頭蓋骨を入れ、ふたが閉められる。
 祖母は位牌、伯父は骨壺、父が遺影、わたしは小さい骨壺を持つ。

 帰りはバス。再び会館へ。

 骨壺などを祭壇に安置し、14時より、「骨上げ」の式。これまでお坊さんは住職含め2人だったが、ここは住職お一人。お布施と引き出物を控え室へ。引き出物は、帰りにわたしがお運びすることになった。

 これで一連の葬式儀式は終了。住職が帰られるので、引き出物を車まで持っていく。「お孫さん?」(はい)・「孫さんは何人?」(2人)・「いくつ?」(今年で30です)・「おじいさまも成長を楽しみにしてたでしょう…」などと訊かれた。


 会館から祖母宅へいろいろなものが運ばれ、にぎやかな祭壇となった。とりあえず、四十九日まではお骨を安置しておく手筈になっている。


 祖母と祖父は、結婚してちょうど60年。60年間一緒だった二人だが、今日からは一人になってしまう。心配ではある。


 わたしは残っても役に立たないので、明日からは普通に出勤する。さようなら、おじいちゃん…。

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