「笑点」司会の、
三遊亭圓楽師匠が休養し、3月から冒頭の挨拶のみ復帰してから約1ヶ月。
5月14日の放送を最後に勇退し、後任の司会は現在代行している桂歌丸師匠が務めることが発表された。
昨年の10月、圓楽さんの入院の際に、これまでの「笑点」メンバーの変遷をまとめてみた。
今回、新メンバー発表を機に、改訂版を書いてみたい(以下、敬称略)。
「笑点」が始まる前、昭和40年3月12日より「金曜夜席」という番組が放送された。演芸コーナーの司会は立川談志・大喜利の司会は三遊亭圓楽が務めていた。すぐに圓楽は司会を降りて解答者に加わり、当時のメンバーは、ほかに三遊亭圓楽・桂歌丸・柳亭小痴楽・柳家きん平(「笑点」開始直前に自殺)・三遊亭円弥(昭和47年9月より三遊亭圓彌)。のち円弥が降り、林家こん平が加入。
日曜日の夕方に移って「金曜」という名前がつかえなくなり、昭和41年5月15日より「笑点」として改めて放送開始。引き続き立川談志が司会を務めた。大喜利メンバーは三遊亭圓楽・桂歌丸・柳亭小痴楽(44年より春風亭梅橋→59年1月25日歿)・林家こん平・三遊亭金遊(43年より三遊亭小圓遊)。座布団運びは三升家勝松(昭和46年より立川談平、昭和55年より桂文字助)。
翌42年1月29日より、座布団運びは石井伊吉[いしい・いよし](のち談志が毒蝮三太夫と命名)に交替。
人気が定着し、談志がブラックな内容に持っていこうとしたところ、レギュラー陣が反発し、メンバー全員が44年3月30日で降板。そこで4月6日より大喜利メンバーを柳家かゑる(51年より鈴々舎馬風)・三升家勝二(平成6年より三升家小勝)・柳家さん吉・三遊亭好生(昭和53年圓生一門を破門され、春風亭一柳→昭和56年7月9日自殺)・春風亭栄橋に入れかえるが、視聴率が大幅に下がった。
44年11月9日より、談志と漫才をやったこともある前田武彦が2代目司会者に。これを機会に現在のテーマ曲も作られ(前武が
歌詞を付けたが、それは流行らなかった)たのもこの頃。
かゑる・好生・栄橋が降り(11月2日限り)、メンバーは桂歌丸(復帰)・三遊亭小圓遊(復帰)・三升家勝二・柳家さん吉・三遊亭歌奴(昭和45年より三遊亭圓歌、現落語協会会長)・三遊亭金馬・柳家小きん(若手大喜利出身、昭和55年より柳家つば女→平成16年6月12日歿)・林家木久蔵に。座布団運びは三遊亭笑遊(60年より三遊亭圓遊)に交替。
45年6月21日よりまたメンバーが変わり、勝二・さん吉・歌奴・金馬が6月14日で降りて、圓楽が弟弟子三遊亭圓窓を連れて復帰。座布団運びは桂米助(タレントとしてはヨネスケ)・小野千春が務めた。
司会は45年12月20日より、「てんぷくトリオ」から独り立ちしたばかりの三波伸介に交替。
46年7月18日より座布団運びは「手を挙げて横断歩道を渡りましょう、松崎真でございます」。
47年7月30日限り小きんが降板、8月6日よりこん平が復帰。52年3月27日、“落語の精進に専念するため”圓楽が卒業。8月28日圓窓が降り、9月4日より圓楽弟子の三遊亭楽太郎と三笑亭夢之助が加わる。
54年9月9日、夢之助に代わって(9月2日限り)林家九蔵(58年より圓楽門下に移って三遊亭好楽)が加わる。
55年10月5日、小圓遊が急逝(ちょうど放送日。「小圓遊さんは本日亡くなりました…」というテロップが出たらしい)。11月2日放送分から、若手大喜利より古今亭朝次(60年より桂才賀)が加わる。
57年12月8日、司会の三波伸介が急死。収録済みの12月26日放送分限り降板となった。
注目の58年1月2日の正月スペシャルは愛川欽也とこん平が司会代行。
そして58年1月9日放送分より三遊亭圓楽が司会として復帰。当初は“とりあえず代行”ということで2回限りの予定であったが、いつの間にやら歴代最長を数える。
58年10月9日限り好楽が降りて、16日より三遊亭小遊三が加わる。
59年10月7日より、座布団運びは、以前ちびっこ大喜利から「ずうとるび」としてデビューしたこともある「座布団と幸せを運ぶ」山田隆夫(実は「鈴々舎鈴丸」という高座名を持っている)に交替した。
63年3月27日で降りた桂才賀に代わって、4月3日より好楽が復帰。
平成16年9月12日よりこん平が休業し、12月26日のスペシャルで、「出場権争奪戦」を勝ち抜いた弟子の林家たい平が代役として登場。
17年10月13日、圓楽は脳梗塞のため入院。16日放送分で一旦休養し、23日より歌丸が冒頭挨拶。大喜利は23日が歌丸・30日は楽太郎・11月6日は小遊三・13日は好楽・20日は木久蔵が司会。
一廻りして、27日より司会は歌丸に固定。18年1月1日、特番「大笑点」で圓楽がゲスト出演(
観賞記参照)。3月26日より冒頭の挨拶のみ圓楽復帰、大喜利は引き続き歌丸が代行。
4月22日、圓楽が5月14日の放送をもって勇退を声明。司会は歌丸が正式に務め、春風亭昇太(実は「争奪戦」の司会で、誰も出場権を得られなかったら自分が出る…と言っていた)が加入、たい平が正式メンバーに昇格。こん平は?
以上、簡単に振り返ってみたが、さすがに40年も続く番組である。名前も知らない方々が多い。
歌丸さんの回答が聞けないのは寂しいが、新メンバーの加入もあり、さらなる継続を望む。
※「金曜夜席」出演者の三遊亭圓彌師は平成18年4月29日に亡くなられた。ご冥福をお祈りします。
人気blogランキングへ