マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

香束・牛滝まつり調査に道案内受けた神武さんの丘

2023年11月20日 07時23分16秒 | 吉野町へ
奈良県内に行われている「牛滝さん」行事を調べていた。

かつては、各地それぞれ。

数多くの地区に見られた「牛滝さん」行事。

農耕作業に活躍くれた牛や馬。

祭神の農耕の牛馬の神をまつる神社もあった。

働いてくれた牛馬は、今では見ることもない時代。

耕運機にとって変わった牛馬。

保食神(うけもちのかみ)を祭る牛滝神社の存在も・・

平成25年の9月15日に訪れた橿原市の一町(かずちょう)

天満山長法寺に牛滝祭を行っているとわかり、訪問した。

行事に牛は登場しないが、かつては農協主催に牛の品評会をしていた。

品評会会場は、長法寺の境内。

農耕に飼っている牛の背中にかけた化粧まわしのような襷(たすき)。

それは美しかった、と・・

その後の昭和32年のころ。

子どもや大人が、消防ホースをマワシにして奉納相撲をしていたそうだ。

年代は、異なるが明治三十四年に奉納された「奉納 大日如来」の絵馬に、飼っていた牛に袈裟をかけてお参りする姿だ。

品評会をしていた昭和の時代よりもずっと前に行われていた当時の牛滝祭の様相であろう。

一方、大淀町内の村に牛滝神社がある、と知った。

大字は、馬佐(※ばさ)。

字名は”馬”であるが、神社名は”牛”。

いずれも農耕に働いてくれた”馬”や”牛”。

今では、全国のどこを探しても、農耕に働く”馬”や”牛”は見られない。

農耕における機械化への発展。

トラクターの登場によって、今や、稲作に”馬”や”牛の姿は、見ることもない。

一挙に入れ替わったワケではなく、徐々に浸透していった機械化、自動化。

およそ10年のあいだ、日本の農業から”馬”や”牛”は見なくなった。

昭和の時代の東京オリンピック。

昭和39(1964)10月10日に開幕した。

同年の昭和39年10月1日、東京~新大阪区間を開業した新幹線。

つまり、東京オリンピックの開幕に合わせて開業、運行したのである。

実は、そのころから、急激に変化したのが日々の暮らしである。

文化的な生活に大転換が始まったワケだ。

昭和45年(1970)3月14日。

雪が舞うその日に開幕した昭和時代の大阪・万国博覧会。

稲作を営む農家にとって家族のように扱ってきた”馬”や”牛”。

農家に貢献していた”馬”や”牛”たちは、昭和30年代から40年代にかけて、徐々に変化していた暮らしの文化。

気がついたときには、すでに農耕に貢献していた”馬”や”牛”は日本から消えた。

今じゃ、写真か、動く映像にしか残っていない暮らしの文化。

村の行事にあった牛滝まつりに、牛が消えた。

牛は、登場しなくとも、行事のあり方に変化が起こった。

それらもできる限り聴き取りなど、調査しておかねば、と思って出かけた大淀町馬佐の「うったきさん」こと「牛滝まつり」。

平成25年9月16日に行われた「牛滝まつり」
であるが、本来は15日であったが、ハッピーマンデー法令により月曜の祝日に移った敬老の日。

令和時代の東京オリンピックの開会に伴い、一時的な変則対応、その年限りの祝日移動。

結局は、これまで通りの、9月の第三月曜日に戻した。

ところで、奉納、寄進された絵馬に興味深い牛の絵馬に出逢えた。

その地は、大和郡山市の田中町。

氏神社は甲斐神社。

正月飾りに簾型しめ縄かけ取材していた平成24年12月31日。

しめ縄には、なんと活きている伊勢海老を括り付ける珍しい形式。

その後、訪れる何人かのカメラマンが撮影にくるようになった甲斐神社。

飾り付け作業の合間に拝見した割拝殿に掲げていた絵馬。

数頭の牛を姿を描いた絵馬の寄進者は、町内の「牛講」。

明治四年に奉納された絵馬の額にあった記録。

寄進者は「氏子牛講中」


どのような活動をされていたのか、現在に伝わっていないが、珍しい牛講絵馬。

貴重な絵馬だけに、この1件も紹介しておく。

一方、奈良市三条添川で行われている野神行事がある。

ここでは、馬の姿を描いた絵馬をケヤキの幹に数枚束ねて奉納する。

もう一つの事例は、同じく野神行事。かつては農耕牛を祀ったとされる牛塚に毎っていたが、拡張工事によって存在が消えたため、その昔の姿を描いた牛塚に参る牛の姿を描いた掛け軸を、会所にかけて参拝するようになった奈良市法蓮町で行われていた野神行事

いずれも、農耕に働く”馬”や”牛”に、感謝を込めて奉納、参拝していたのだろう。

行事取材になにかとお世話になっていた大和郡山市・小林町に住む高齢者たち。

普段でも、行事のときでもおしゃべりが停まらない元気な高齢者男女が話した云十年前の体験い記憶。

県立民俗博物館の学芸員からお願いした体験記憶を語っていただく会合。

当館会議室の場に集まり、聞き取り会が行われた。

語っていただいたサブテーマは、八つ。

一つは、「農耕に飼っていた牛は、山間地域とに貸し借りしていた」

二つ目に、「牛の貸し借りに行く博労さんにはソラマメを袋に入れて持たせた」

三つ目は、「唐耒(※カラスキ)や、馬鍬掻き(※マンガカキ)は手綱(たづな)でもって「チャイ チャイ」と云いながら引っぱった」

四つ目に、「宇陀の榛原には赤牛がいた」

五つ目は、「ムギは皮を剥いてぺしゃっとして柔らかく」

六つ目、「小林町・杵築神社に奉納していた絵馬」

七つ目、「牛は田んぼの盛り土を歩く」

八つ、「雌牛に角があった」


今では語られることのない、牛は農耕牛であり家族の一員であった時代の体験。

小林町は奈良県の平坦中央部が所在地。

尤も、北部、南部、西部、東の方角の所在地での牛の営みは若干違いがあったろう。

それぞれの地域文化はさまざまである。

さて、本題は香束の牛滝まつりであるが、先に知った吉野町山口に行われた牛滝まつり。

取材日は、平成30年9月24日。

本社山口神社の神事でなく、意賀美神社(おがみじんじゃ)に続いて行われた牛滝社の行事
だった。

現在は、御供を奉り、拝礼するだけになったが、かつては牛滝社の前身、本地堂が建っていた地である。

由緒板に、「・・云々・・明治の神仏分離のため廃寺となり、最初は竜門小学校に転用されたか、明治十年ころ、破損甚だしく、取り壊された。その跡地に牛の守り神である牛滝さんとして祭り続けてきている」と、あった。

行事を終えて話してくださった「牛滝さん」の記憶。

「今では想像もできないが、相撲の土俵があった。やや高い台地がかつての土俵。男の相撲だけでなく、女相撲もしていた。当時をとらえた写真も残されている。その土俵周りを牛が歩き回った。手綱をひく牛飼いの田主が連れてきた農耕牛が土俵の周りを歩かせる牛参りをしていた」。

牛滝まつりの原点は、牛をひき連れて廻る牛参りだった。

その様相は牛の品評会だった、とYさんが話してくれた。

そこでだ。気にかけていた隣村で行われていたであろう、と推定していた吉野町香束(こうそく)の牛滝まつりである。

その、香束の牛滝まつり。

写友のUさんが、4月3日に現地訪問。

予め調べていた情報を伝えてくれた。

牛滝神社の牛滝まつり行事は、9月の第一日曜。時間帯は、わからないだけに、身体状態の関係に自宅を出る時間調整が難しい。

情報によれば、「牛滝神社の祭神は、農耕牛馬の神である保食神(うけもちのかみ)。昭和六年、畜産振興の風潮が高まり、当地もその一環として古老達が区有地を開いて放牧場を作り家畜の育成につとめた。当時、牛は四十頭余り、耕地は田、畑とも二十町歩以上あった。ここに香束の牛滝の神を祀り、畜産の振興・豊年満作・家内安全・無病息災を祈った。祭日にはごく撒き・牛の品評会、相撲などのイベントがあった。時が移り農業の変化が著しく、祭祀の意義が薄れていった平成十三年、県の施設が設けられたのを機会に祭祀の便を考え、現在地に牛馬のいない現在であるが先人の心を心として祭りを続けている」とあった。

なるほど、である。

大淀町馬佐、吉野町山口、橿原市五条野、橿原市一町と同じように、昭和6年ころの畜産振興の高まりにはじまった牛の品評会・相撲行事が行われた牛滝まつりだったのだ。

行事の時間はわからない。

牛滝神社の場も知らない。

下見の気持ちで車を走らせた9月5日。

午前10時30分、途中下車に訪れた奈良市・旧都祁村の白石に立ち寄り。

三重県名張に調査した刺しさば状況の報告に伺った


場を離れた直後にかかった電話。

山添村・切幡に住むT家からだ。

ぶとくすべのつくり方を知りたくて、取材をお願いしていた件である。

村の選挙の選挙に忙しく、駆けずり回っていた。

それも昨日で終わり、今日、やっと解放されたから、つくってあげるから、こっちに来るかい、という連絡だった。

もちろん、受諾したが、現在は吉野町の香束に取材があるので、時間帯は午後になりますが、是非ともお伺いさせてもらいます、と伝えた。

それからも走った大宇陀付近に見た稲穂景観。

そこに建っていた朱塗りの鳥居


午前11時10分から11時20分。

立ち寄った宇陀市の大宇陀。

平尾の鳥居に野依の韓国とうがらし干しを緊急取材していた。

正午時間の午後12時10分。

ようやくたどり着いた吉野町・香束(こうそく)。

まずは人探し。本日に行われる牛滝神社の牛滝まつり。

村の人であれば、存じている可能性が高い。

車を停めた道路下におられた男性に声をかけた。

たしか、ここはハザカケをしていた場だ。

作業を止めたM夫妻に牛滝まつりの件を尋ねた。

そのことなら、任期2年の自治会長をすることになったTさんが、知っているからと、電話をかけ、紹介してくださった。

取材主旨を伝えたところ、今年も昨年もコロナ禍のため、みなが集まることを避け、午前中に自治会長だけが参拝することにした。

供物を供えて、祭事を終えた、という。

本来は9月3日に行っていた牛滝まいり。

例年であれば、固定日だった3日から移行した第一日曜日の午後1時にはじめている行事。

ゴクマキもしている、と教えてくださった。

牛滝まつりの状況がわかったところで、M夫妻があっちの方にある小社のジンムサンのまつりもゴクマキをしている、と話してくれた。

じゃぁ、案内するから、と軽トラに乗って、場を案内してくれた。

道路南にある苔むした階段。



割合に長く続く階段を登った。

そこは、小高い丘。



広地の左下にぽつんと鎮座している小社。

扉に龍の造形。



見事にひかり輝いている海老錠をかけているが、小社の祭神は知らないそうだ。

だが、右上前方に建つ、まるで碑のようにも見える大岩が社らしく、こちらが神武さんのようだ。



大岩に年号などがあれば、いいのだが・・。



実は、ゴクマキはここからしている、という。

小高い位置に建つ大岩に祭具がある。

どことなく仏具のように思えるソレはおそらくローソク立てであろう。

案内してくださったMさん。

おもむろに話してくれた、ここ香束に住まいすることになった経緯。

実は、話してくれたMさんの出里は、川上村。生まれも育ちも金剛寺がある神之谷地区。

筋目らしく、御朝拝(※おちょうはい)式典によばれるので参列、例年営まれる御朝拝の儀。

懐かしい響きに、思わずえっ、と返答した。

まさかのまさか。

吉野町香束の地と川上村神之谷金剛寺・御朝拝の地にどういう関係があるんだろうか。

御朝拝式は、平成17年2月5日に平成19年2月5日の2回、取材に訪れたことがある。

特に、2度目に訪れた平成19年は記念すべき550年祭だった。

御朝拝式は、神之谷とは別に川上村高原の地においても筋目衆によって行われていた

平成16年2月5日に取材した高原の御朝拝式は、その年を最後に、550年祭をもって、両筋目衆は合同でされることになった。

御朝拝式は、新たなる時代を迎え、神之谷金剛寺の地におき、村民全体の行事に転換、将来に亘り絶やすことなく、今後とも継続されることになったのだ。

京都・淡交社から出版した著書『奈良大和路の年中行事(2009刊)』に掲載した「御朝拝式」。

550年の節目に出逢えたことは、私としても嬉しい限り。

3頁にわたる記事および裏表紙写真も載せさせてもらった著書もまた記念になった。

香束と神之谷との繋がりは、かつて勤めていた大手企業のトヨタの整備工場時代のころにご縁があった。

M家に婿入り。生まれた娘さんは、吉野山蔵王堂に近く、柿の葉寿司を営業している「やっこ」にご縁があったそうだ。

学生時代に知り合ったやっこの家に嫁入りした娘さんは、テレビにもよく出演している。

と、いうのも来店レポーターの多くがタレントさん。

自然な応対に、お店をコマーシャル。

口コミ評価も高い

Mさんは、将来を考えて、孫たちが伸び伸びと遊べるように、案内してくれたこの地を所有者に依願し契約したそうだ。

草木はともかく草刈り機で除去できたが、ここらは湿気が多く、何層にも積み重なった苔類の除去に難儀した、と話す。

その証拠に軽トラにも苔、苔、苔がまとわりつく。

いくら除去しても、また苔、苔・・・などなど会話がとまらない。

今、何時に・・正午時間も過ぎた午後1時。

奥さんにご迷惑かけてしまった。

場を離れて、目的の牛滝神社の所在地を教えてもらって車を走らせた。

自治会長のTさんは、午前中に供物を供えて参拝していた、と話していた。

それから数時間の経過。

供物は果たして残っているだろうか。



ようやく、というか、やっと出会えた香束の牛滝神社

何年か前は、もっと上にあった小社を今の位置(バス亭下香束)に下ろし、札を立てていた香束の牛滝神社。



お供えは・・・消えていた。

おそらくは野鳥が喰い荒らしたか、小動物かも・・・

小社周りの草むらをみれば、どことなく違いがわかる。



たぶんに洗い米に清めの塩であろう。



そこらに撒かれたようでもある。

はっ、と気づいた小社の裏側に収めていた札のような物体。



錆が蔓延している物体に、文字らしきものが見えるが、判読はできない。

写友のUさんに電話を入れた。

香束の牛滝神社の現状を伝えた。

Uさんが、昨年に撮られた高札。

撮っておいて、よかった、と電話口でそういった。

(R3. 9. 5 SB805SH 撮影)

名城食品の瓦焼きそば・牛肉炒め錦糸卵盛り

2023年11月19日 07時26分33秒 | あれこれインスタント
食べ始めの日は、先月。

8月12日に初めて口にした名城食品の瓦焼きそば

むちゃ旨いとわかった名城食品の瓦焼きそばに惚れ込んだ。

その日の調理は、ハーブ鶏のムネ肉。

細く切ったムネ肉は味付けに塩、胡椒。錦糸卵を添えて食べた瓦焼きそばはつけ汁に浸けていただく。

麺の食感は、これまでいくつもの麺を食べてきた中でも特異な存在。

フライパンで焼いた緑色の抹茶麺は、味の特徴はあまり感じない。

麺の質感がすごいのだ。

麺よりも美味いのがつけ麺汁。

かつおだしがすごく聞いている麺つゆの味に惚れた名城食品の瓦焼きそばが、なんとスーパートライアルにあった。

特売でなく、いつも同じ値段の157円。

お安くいただける名城食品の瓦焼きそば。

買い物に来たら、すぐ目につく名城食品の瓦焼きそば。

手がすっと伸びて、買い物かご行き。

なぜか、「また、買ってきたん」の声はない。

なんぼでも食べたくなる名城食品の瓦焼きそば。

とにかく美味い名城食品の瓦焼きそば

評判高い焼きそばに夢中になった。

さて、本日は、かーさんも食べたいと云っていた焼き肉。

いや、単に牛肉をフライパンで焼いただけ。



塩、胡椒はせず、本来の牛肉を味わう。

つけ麺にはそれがぴったりと判断した。

思っていた以上に美味しい牛肉炒め錦糸卵盛り瓦焼きそば。

少し残ったかつおだしの麺つゆ。

これがまたまた美味い。

スープとしてごくりと飲むのは私。

おふくろにかーさんはちょっと足しの水で薄めて飲み干した。

名城食品の瓦焼きそばは、我が家のやみつきの一品に堂々と登録されたようだ。

ところであるブロガーさんがやっていたこと

なんと、つけ汁は麺ごと牛肉も一緒くたにスキレットで焼き炒め。

にんにく油に炒める調理。

これもありだなと思った。

(R3. 9. 7 SB805SH 撮影)

原因不明の炎症処置にうがい薬アズノールが効いた

2023年11月18日 08時39分25秒 | むびょうそくさい
真夏日の8月4日と同じ気温は35.1度になった8月30日。

2日前の8月28日の夜食中。

食べ終わりに下顎左奥歯の手前の2歯に詰めていた大きくく、ややこしい差し歯がぽろりと外れた。

30日、年に数回、通院しているI歯科に出かけて処置してもらう。

それから4日後の9月3日の金曜日。

パソコン操作に座ったままの姿勢が悪いのか、腰痛が酷い。

立ち上がったそのときにイタタタタ・・・

腰が思うように伸ばせない・・

数日前から使用しているかーさんが、これし、と云われた肩こり、肩痛をセーブする塗り薬を貼付。

サラッとしないベタベタ塗り薬で、ちょっとマシになったかも・・

そのときの症状からか、左コメカミが痛い。

一晩寝て、少しはマシになり。

翌日には消えたが、同時に上顎歯茎一体、いや一面に亘って食事火傷のようなヒリヒリ感がするようになった。

上顎ヒリヒリは、熱い味噌汁を食べたときもあれば、ラーメンを食べたときも。

やや固め、ざらっと、した食事を摂ったときも痛い。

本歯のはめ込みは終了したが、上顎の状態症状を診てもらったら火傷でもない不可思議な部位がある。

火傷であれば、その場合は、白っぽくなるが、この場合は真っ赤な腫れ。

爛れでもない一面に広がっている赤い腫れ。

炎症は、歯そのものではなく、皮膚そのもの。

薬剤を替えた場合の薬剤障害か風邪菌による発熱では?と、考えられるので、早いうちに内科に診てもらった方がいい、とアドバイスを受けた。

腫れ。

皮膚であれば、皮膚科診療の小野クリニックがである。

そう判断し、直ちに車を走らせた9月6日の午前11時。

症状を伝えて診てもらった患部炎症。

塗り薬若しくは、うがい薬の2択。

選択を求められ、うがい薬にした。

処方箋は、隣接のいろは薬局に、提出した。

消炎剤、消毒殺菌が目的のイソジンうがい薬でなく、炎症を鎮め効果がある抗炎症のうがい薬アズノール。

4%希釈液をノズル長押し。

1回量を水100CCで、薄めたうがい薬はガラガラポンするのでなく、患部全体に行き渡るよう・・・

コマーシャルではないが、お口クチュクチュモンダミンのように使用する。

痛みが消えるまで、食後の3回に、起床時も、就寝前も使用する。

その後の1日、2日間。

うがいを励行していくうちに痛みが解けてきた。

心配していたI歯科医師にこういうことだった、と報告。

塗り薬なら綿棒、脱脂綿に薬を患部直接だから効き目は発揮しやすい。

また発症時前の食事に雑菌が混じっていた可能性もある、らしい。

9日、10日の朝の味噌汁も大丈夫。

これなら間違いなく大丈夫だと思ったのは10日の昼めしに食べた買い置きカップ麺。

寿がきやの辛辛魚を食べても痛みはない。

キツかった刺激も受けないが、辛辛魚のえげつない辛さにはヒーハー。

美味しいスープなのに飲み切れない。

口に付着した辛辛スープ。

その部分だけがヒリヒリするのは、炎症ではない。

消炎症は消えたと確信できる辛辛魚喰いでわかった。

(R3. 9. 6 SB805SH 撮影)

お家の土産に買ってきた道の駅宇陀路・野菜直売所売りの黄まっかがうんまーい

2023年11月17日 08時24分40秒 | あれこれテイクアウト
牛丼を食べ終えて探したお家の土産物は、食材野菜。

道の駅宇陀路の阿騎野新鮮野菜直売所。

道の駅に来たら必ず見て探す地元産の美味しい野菜。

買った品は、100円袋入りのピーマン。

三つも入って110円の茄子。

1袋にいっぱい詰めて160円のにんにく。

かーさん、これだけは買ってねと云っていたごつごつ姿の土生姜は368円。

この季節の美味しい果物は、1個が60円、80円の黄まっか。

手にしただけで甘い香りがする黄まっか。

特別大きなものでなくても甘くて美味しい黄まっか。

帰路に就いた車内にぷんぷん匂う甘い香り。

食べてもやっぱり美味しかった。

(R3. 9. 8 SB805SH 撮影)

ローソン大宇陀店のL特製牛丼

2023年11月16日 08時22分33秒 | あれこれテイクアウト
吉野町香束の民俗取材を終えた。

時間はとうに午後入り。

時刻は午後1時を過ぎていた。

お腹がぺっこぺこ。

香束より西へ南下すればコンビニエンスストアはあるが、往路に走ってきた大宇陀にある道の駅宇陀路大宇陀店内のフードコーナーで食べられる肉うどん若しくは大揚げがのっているきつねうどんを食べようと決めて車を走らせた。

到着時間は午後1時半。

香束から、ここ大宇陀拾生までの距離は意外と遠い。

尤も三茶屋でトイレ休憩もしたけど・・・

で、車を停めた場は手前にあるコンビニエンスストアのローソン大宇陀店。

貯まっているTポイントカードを使いたくても利用できないローソン。

ポンタカードはあるが、微小だけに、1枚が500円のQUOカードが何枚もある。

このカードもときおり使うが、民俗取材に遠出するときくらい。

と、いうわけで選んだお昼は丼もん。

それ以外に目立ったものがなかった遅い時間帯。

450円のL特製牛丼に決めた。



牛丼、といえば、取材途中に食べた8月1日にも・・。

店舗は、ファミリーマート針とらっくステーション店。

430円の地域限定牛丼を食べた
ことがある。

どちらが旨いか、食べて見なきゃわからない。

20円の差はどこにあるのだろうか。



結論からいえば、同時に食べないとわからない、ということだ。

見るからにジューシーな牛肉が盛り盛り。



つゆだくの牛丼に添え付けの七味とうがらしを振っていただく。



ファミマの牛丼とローソンの牛丼と明らかに違いがあるのは容器である。

使い勝手が良いのはローソン。

頑丈にできているから、具材もつゆもいれやすい。

ただ、ご飯が固めだったのがローソンの牛丼。

これについては電子レンジの加減ではないだろうか。

だしもつゆも旨いL特製牛丼。

牛肉は明らかにわかる外国産の肉質。

たぶんにアメリカンだと思うが・・、ローソンはどこを輸入先にしているんだろうか。

製造業者は、大阪・泉佐野市のりんくう往来北が所在地の㈱サンデリカ。

ファミマは、シノブフーズ㈱。

どちらも名の知れた業者。

早い話が優越つけがたいどちらも美味しい牛丼だったこと。

ローソンとセブンイレブンの牛丼比較したブログが見つかったが、さてさて・・・

(R3. 9. 5 SB805SH 撮影)

野依の地に干す韓国唐辛子

2023年11月15日 07時29分10秒 | 民俗あれこれ(干す編)
撮り位置がわかった場を離れ、宇陀川に沿う土手道に出る。

すぐ近くのお家に人物二人。

会話をしている男女はK夫妻だった。

お家の前に来たら、真っ赤なものが目に入った。

器に盛った赤いものは何ですか?。

奥さんに尋ねたソレは、韓国の唐辛子だ、という。

真っ赤な唐辛子は、唐辛子の体をなしていない。

唐辛子の種を除去し皮だけに・・。

細かく刻んだ皮を干している、という。

最終的には粉にして、欲しい人に貰っている。

はじまりは、知人からもらった韓国唐辛子の種。

植えつけた唐辛子の種は育ち、やがて実をつけた。

栽培をはじめて、もう10年にもなる。



粉にした唐辛子は、一味代わりの香辛料。

とても辛いので、私は食べないが、欲しいという知人にあげている。

そう話してくれたKさんに、鳥居がすぐ傍だから、平尾ですよね、と云ったら、違うという。

ここは白山神社が氏神社の野依(のより)。

集落の一番北になる、と話してくれた。

(R3. 9. 5 SB805SH/EOS7D 撮影)

大和富士の名で知られる額井岳を背景に朱塗りの鳥居

2023年11月14日 07時17分50秒 | 宇陀市(旧大宇陀町)へ
吉野町香束に向かうルートは2通り。

桜井から新鹿路トンネルを抜けて吉野口入り。

そのルートもあるが、ぐるっと遠回りするルートもある。

西名阪国道から針テラス経由で行く大宇陀入り。

盆地平たん部を走っていた時間帯は空いっぱいに拡がる青さ。

期待が高まりつつ登ってきた天理福住辺りからどんよりした雲の空。

榛原の西峠を越えるころは、わずかに青い空。

ここは宇陀市大宇陀の平尾。

先月のはじめころ、FBにYさんが公開された映像は大和富士の名で知られる額井岳を背景に朱塗りの鳥居。

平尾の水分神社の存在は知っているから近くまで来たが、撮り位置はどこ・・。

そうか、なるほどなぁ。



参道から額井岳を見たことはあるが、一歩引いた場は、ここだろうな、と推測した位置から同方角を見ていた。

Yさんが、とらえていた景観はこんな感じだったような気がする。

首を垂れる稔りの秋色。

(R3. 9. 5 SB805SH/EOS7D 撮影)

今年もよう売れたという都祁白石の自家製刺しさばを売る店

2023年11月13日 08時21分32秒 | 民俗あれこれ(売る編)
この日の目的地は吉野町香束

途中に道の駅大宇陀での小休止を予定に車を走らせた。

西名阪国道・針ICから走る南へ。

その道中に、いつもお世話になっている都祁白石の辻村商店に顔出し表敬訪問。

今夏に調査したお盆売りのトビウオ調査結果を伝えたい。

ここ辻村商店もお客さんの注文要望に応えて奈良県中央卸売市場で仕入れたトビウオ。

塩辛いトビウオはカラカラに乾いた塩干物。

初めて見るお盆のトビウオを見届けて三重県入りした7月30日。

名張市内にある魚屋さんや食料品店で販売していたことがわかった。

名張市本町のいしかわ魚店や、新町の矢の惣総合食品は、今年もお客の要望のあったトビウオを奈良県中央卸売市場から仕入れて売っていた。

例年より注文数は減ったが売っていた。

一方、発注願いの声もなく、やむなく仕入れをやめた食料品店は2店舗。

安部田の永橋商店

赤目口の西川商店がある。

逆に、まるで別物では、と思ったくらいのひと塩干しトビウオを売っていた大手スーパーのイオン名張店売りも調査してきた。

そのことを伝えたくて立ち寄った辻村商店。

店舗扉に貼ってあった「遠い昔より続く 都祁の都の里のさしさば」に、時季が過ぎているのでは・・

目がキョトンとした看板の売り文句。

こんにちは、と声をかけて入店した目の前にも「遠い昔より続く 都祁の里の刺鯖」があった。



その売り場にあの真っ黒な刺しさばはなく、空っぽ。

いつも福住から来ている売り子さん。

あー、あまりにも忙しかったから刺鯖看板を下ろすん、すっかり忘れていた、という。

そう、この日も店内奥の厨房では、店主は忙しく注文の仕出し弁当をつくっていた。

店奥の半床にずらりと並べた仕出し料理の盛り付けに調理場はてんやわんや。

応対している余裕もない店主に大きな声で報告した。

今年の売れ行き。

結果的には200枚も作って完売。

お盆がもう終わる時季にも買ってくれたお客さん。

たぶん、それは知人のKさん。

一口食べて、塩辛いって口に出したそうだよ、と伝えたら、ニコッと笑顔を返してくれた。

(R3. 9. 5 SB805SH撮影)

博多一風堂長堀店の白丸元味

2023年11月12日 07時53分13秒 | 食事が主な周辺をお散歩
写友のSさんが初の個展を開催した「山里譚」写真展に感動していた。

40枚もの写真は、横一列。

気どった写真展でないから落ち着いて拝見できた。

尤もコロナ禍でもあるし、本日は雨天でもあるから観覧者が少ないせいかもしれない。

たまたまご一緒した同じく写友のUさん。

住まいに近い名の知れない村落風景、神社調査も兼ねて集落も撮影対象。

アップされたFB画像に、舌を巻くほど、完成度の高い景観写真に見惚れている。

Sさんの写真にも、村落、集落をとらえた作品もあるが、どちらも個性が光っている作品群。

学びの写真展を見終えた時間帯は、午後1時をとうに過ぎた1時20分。

お腹はぺこぺこに、いつもなら帰り道の道中に見つける食事処に行くのだが・・滅多に逢えないUさんに声をかけて会場からすぐ近くのタウンストリートに並ぶ食事処を探した。

今なら貯まっているDポイントカード利用に、あきんどスシローでも、と云ったら、なんと、食べられないという返答に、思わず、えっ・・。

魚介が嫌いではなく、”酢”がだめなんです、という。

”酢”アレルギーなら申しわけない。

そういえば、写真展会場がわからなくてあちこちにあるお店の人に尋ねた御堂筋グランタワー。

何人ものお店に入っては尋ねたビルは・・・みな、知らないだった。

探している途中に目に入った食事処。

なんとラーメン屋さんが見つかった。

それも行列ができるほどの有名店。

博多一風堂長堀店があった。

ラーメンなら問題なく食べられるというので、一風堂に決まった。

私にとっては初の入店。

実は、住まいする奈良県には一軒もない一風堂である。

今、一風堂をネット検索すれば、閉店、閉店…閉店の嵐。

コロナ禍による影響なのか存知しないが・・。

Uさんが選んだメニューは、890円の赤丸新味に410円のチャーハン小。

さらに追加した260円の野菜盛り。

何度も食べている博多一風堂の美味しいメニューのようだ。

なんせ、私は初入店。

メニューリストから選ぶしかない。

赤丸味も気になるが、初めは基本形でいい。

そう思って選んだメニューは、790円の白丸元味。

正味、とんこつ味のようである。



博多と云えばとんこつ味ならば紅生姜は必須・・・・・・でも、博多一風堂には、ない。

そのことはともかく、そもそも白、赤の味の評判はどっち

それぞれ食べる人の好み、味覚の違いにもよるが・・・。

いくつかブログを参照したが、どれもこれも答えのない記事。

まるで釣り記事のような気がしてならん。

帰宅してネット散策見つかったまぜそば。

博多一風堂が、9月1日より全国77店舗で販売した期間限定の「博多まぜそばねぎまみれ」は890円。



食事した日の口コミ件数は693件・・・しばらく目を離していた令和5年の11月には、さらに加算され、934件に増えていた。

また、長堀店の食べログ評判は・・・

(R3. 9. 4 SB805SH 撮影)

山里譚写真展内外に観たタウンウオッチ

2023年11月11日 08時14分48秒 | しゃしん
6月8日のFBにコメントアップした写真家Sさんの個展案内。

メッセージは「ニッコールクラブの会報誌に載せて頂きました! 嬉しい光栄です!個展「山里譚」は9月2日からです。どうかコロナウィルスが治まっていますように・・」だった。

2カ月後の8月24日に発信した写真展開催におけるコメント。

「皆様へ、本日8月24日からニコンプラダ大阪が臨時休館になりました。え~~( ;∀;)スタッフの感染があったそうです。手洗い、マスクや除菌など感染対策はされていましたのに、よもやと思っていた事が起こりました。9月2日から始まる”山里譚
”写真展は開催予定との連絡がありましたので、そのつもりで準備は進めています。あと一週間感染の具合で判断が変わるかもわかりません。その時はまたご連絡させて頂きます」と、あった。

それから数日後の28日にも発信。

それは朗報であった。

「ニコンプラダ大阪は30日から再開決定です!!写真展は予定通り開催できます。一時は感染って聞いてもうあかん↓って凹みまくり。が、今は私も頑張らな!の気持ちが湧いています。皆様、よろしくお願い申しあげます」とあった。

明確に展示することになった「山里譚 志岐利恵子写真展(ニッコールクラブ会員展)」。

会場は、大阪市中央区博労町に建つ御堂筋グランタワーの17階。

ニコンプラザ大阪THE GALLERYが会場である。

写真展の開催日は、9月2日から15日までの期間にできるだけ早く、と思っていた。

その日は、9月4日。

事情ありに、その日になったが、残念なことに雨天日。

自宅を出発して、阪奈道路利用に生駒山越え。

そのまま西へ、西へと走った雨天日。

午前10時過ぎ。

後大阪・大東市扇町辺りで遭遇した雷光・雷鳴。

前のトラックが信号待ちに撮った映像に写りこんではいないが、おそろしや、おそろしやである。

さて、駐車場はどこを利用したらいいのやら。

会場に、より近い駐車場といえば、地下にある長堀駐車場。

どこから入ってもかまわんが、停めた場所だけは、覚えておかないと・・

映像でわかるここはどこ?。



そう、ここは三休橋(さんきゅうばし)筋。

大阪で南北を貫く大通り、といえば御堂筋がある。

工事されたときは、ここに滑走路をつくる気か?といわしめたくらいの幅をもつ御堂筋。

現在は、北から南へ向かう一方通行の大通り。

方や、南から北に向かう一方通行通りの堺筋がある。

長堀に架かる三休橋を通る三休橋筋は、ちょうどその中間にある小通り。

心斎橋、中橋、長堀橋の交通量を分担し、通行量を減らすために三休橋と、名付けたとか・・

午前11時に駐車した。



その地下駐車場に出入りする人は何階?のどこに?。



地上にあがったその場は、長堀駐車場B1Fクリスタ長堀エレベータ出入口。

まるで迷路に入った、と思ってしまう大都会の地下構造。

目の前にいっぱいいるキャラクターたちも笑っているだろうなぁ。



ここは、長堀駐車場のB1F、クリスタ長堀ガラス越し展示物のクリーチャー。

正気に戻ったリアル・クリスタ長堀から地上の心斎橋筋。



会場は、その心斎橋筋でなく、西にある御堂筋。

尋ねても知らない、という心斎橋筋で商売している売り子たちの返答に、さてどうする?。

ガードマンに聞いてもわからなかったビルがやっと見つかった。



御堂筋の西に鎮座する難波神社。

その向かいに建っていたビルが御堂筋グランタワーだったんだ。

ここまでくれば、もう間違いない。



写真展会場は、御堂筋グランタワーの17階。



午前11時半。

やっと、辿り着いた。



先に到着していたIさん。

しばらく間をあけて、到着したUさん。



お二人とも写真家だ。

その前に観ていた一般女性の視線かただ者でない、と思った。



その人の帰り際、Sさんが引き留めた。

私は、どの作品が気になられたのか伺った。

その人の返答は、「構図、バランス、斜角度、光の使い方」に、「子供のまたくぐりから覗くおじいちゃんの参拝姿、武蔵踊りに踊り子の動き」。

しかもそのキャプション“踊り子の遺伝子が舞う”に、神がかった、と思うくらいの素晴らしいキャッチコピー。

心が震えたそうだ。

40点の作品展示に、唯一動きを表現など高評価されるの、何者ですか、と尋ねたら、別室において学生さんらにカメラの使い方、イロハを指導するニコン専属ニコンカレッジ講師の西村優子さんだった。

この日の講座「はじめてのあなたに!写真の基本」講座を終えて、展示作品を観ていた、という。

マスク着用だったので大学生に見えました、と伝えたら、微笑んだ講師の西村優子さん。

講師です、と云われ、名刺交換に持ち合わせが、ないので失礼しますが、と・・・

生まれも育ちは西大寺。奈良の奥深い川上村住民の描写がすてきだ、と・・・

個展に費用は・・・

教えてくださった写真家Sさんの話によれば、プリントサイズはオールA3。

プリント代は最低限。

印刷は、なんと自宅に設置している民生機プリンター。

グレードは、機種・インクに印画紙で決まるようだ。

プリントした作品を、事務局渡し。

額縁は、すべてが事務局準備。

設営も撤去も事務局任せ、だ、という。

ニッコールクラブ会員の特典があるからこそ、こうした素晴らしい会場で発表できる。

会場をあとにして、大きく、しかも広く見えるウインドー。

その下に広がる都会の屋根。



無機質といえばいいのやら・・

右側に心斎橋筋。

左にかすかにわかる御堂筋の通行量。

さすがの大都会。

いつ、どの方角から見ても、どこかに必ずや大なり小なり、何某かの工事が動いている。



右を向いても、左を向いても・・

さて、停めた駐車場。地下に潜って、それから帰るとするか・・

いや、そうはならんだ今日のお昼どき

(R3. 9. 4 SB805SH 撮影)