マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

故郷・住之江の精霊流しに記憶を語る

2018年10月29日 08時59分57秒 | 望郷
モノクロでもなく、過去形でもない、現在形の我が故郷。

「精霊流し」の御供受け、取り扱いについて書いた自治連合会連絡が掲示板に貼ってあった。

その件に至るまでのおふくろの体験談を聞いていた。

おふくろが思い出す地区は大阪・富田林の錦織。

終戦の日であった。

ゴロゴロの地響き音とともに大八車が動いていた。

一台ではなかったのだろう。

母屋に居てもその音が聞こえてきたというから台数は多かったようだ。

その音を聞いてアメリカ兵がやってきたと誰かが云いだした。

大慌てで家財道具いっぱいの荷物を積んで親類が住んでいる加納に逃げようとしたら、日本軍の缶詰を運んでいるとわかった。

残った軍の缶詰を配給することになったらしい。

終戦末期に飛来する米軍大型戦略爆撃機のB29の轟音が怖かった。

次々と低空飛行する艦船機に追いやられた。

B29が飛んでいった後には必ずといっていいほど艦船機が飛んできたという。

二十歳のころのおふくろの体験談は随分前にも聞いていたが、その場は錦織ではなく、加納だった。

畑にいたら機銃掃射。

恐ろしくて立てなかったその両袖にバリバリ音が激しく聞こえた機銃掃射は今でも鮮明に覚えている。

生まれ育った錦織の母屋の中庭には誰が掘ったか聞いていない防空壕があったという。

空襲警報のサイレンが鳴ったらその穴に隠れていた。

終戦の日は8月15日。

母屋のお盆は話題に出なかったが、その後の居住地の住之江の昔は先祖さんを迎えたお盆の御供は大和川に流していた。

堤防が草むらだった時代だから私が子どものころだ。

今は環境面に配慮されて、堤防に何台も待つトラックに捨てるようになった。

(H29. 8.17 SB932SH撮影)


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。