マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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八釣・M家の苗代作りにイロバナ立て

2018年04月29日 09時44分25秒 | 明日香村へ
前日に訪れた明日香村の八釣。

以前もお願いしたが、あらためて苗代作りの取材願いをした八釣の総代家。

朝は9時前から作業をしていると云っていた。

長男、長女に次男も支援して苗代田作りの作業である。

種蒔は前日にしたという苗箱の枚数は700枚。

前回が430枚だったところを700枚に増やしたそうだ。

できるだけ例年に倣ってしているという苗代田。

すべてが終わったときに水口に立てる豊作願い。

それを拝見したくて願った記録取材である。

大字飛鳥に鎮座する飛鳥坐神社で行われる奇祭。

私はそう呼びたくないが、正式行事名は御田植祭り。

一般的には「おんだ祭」が充てられている。

奇祭の内容は当ブログでは触れないが、豊作を願う奉りものがある。

所作は見られない御供は稔る稲に見立てた松苗である。

八釣もそうだが、稲渕の住民もそれを「ナエノマツ」と呼んでいた。

松苗読みよりも相応しい読みと思った「ナエノマツ」である。

御田植祭りを終えた「ナエノマツ」は大字飛鳥の総代が持って来てくれるそうだ。

昨年の5月初めである。

稲渕の住民Mさんが苗代作りをすると聞いて訪れた日である。

稲渕に向かう道すがら。

走る車窓から見えた八釣に苗代があった。

その際にこれはと思って拝見したのが、水口まつりの松苗だった。

イロバナも添えていたので、近くに住む人であろうと思って尋ねたら、総代家だった。

応対してくださった婦人に伺った苗代のナエノマツを是非とも取材させていただきたくお願いした。

苗代作りの日は変動すると思われた。

念のためと思って訪れた4月29日。

明日、30日にすると云われて・・。

明日香村八釣の苗代作りの取材は一年越し。

ようやく実見できる総代家の有難さに感謝する。

朝の9時ころからパレットと呼ぶ苗箱を運ぶ。

品種はヒノヒカリ。

モミオトシは山土を使用する。

以前というか、時期はわからないが、昔は直蒔きだった。

苗代田の水は池水、若しくは吉野川分水の水をひく。

池は古池に新池もある。

“かじる”というのは耕すこと。

苗代田を平たんに均す道具はレーキ。

T字型のトンボとか、エブリ、サラエのことだろう。

始めに穴あきシートを敷く。

新聞紙を敷く。

防鳥に黒色の寒冷紗を張る。

白い幌シートの寒冷紗もある。

苗箱の枚数は多く、すべてを並べ終える時間帯は午後1時ころになる。

苗が育ってから田植えをするが、時期的には6月10日くらい。

概略を話してくれたのであらかたは想像できるが、やはり現地で間近に拝見するのが一番である。

少しでも早めに着きたいと思って出発した。



が、到着した午前の8時50分にはすでに苗代田にご家族が作業を始めていた。

予め均しておいた苗代田。

整えた苗床にまずは穴開きシートを敷いていく。

ロール状になっている穴開きシートがずれないように気をつけながら広げていく。

キャタピラを回転させて移動する、最大積載能力が300kgの三菱製運搬機のBP416ピンクレデイ

銘板に軽井沢・・ではなく、軽井技とある。

型番から探したら㈱築水キャニコム社製。

オークションにあったが、現在は終了している。



この運搬車に積み込んだパレットは40枚。

育苗している所から直接ここまで運んだわけではなく、軽トラの荷台にたくさんのパレットを運搬して、この運搬車に移し替えていた。

なぜに2度手間のようなことをされるのか。

近いところであれば、身体で抱えて運ぶのだが、パレットを置く度に戻って、次のパレットを運ぶので何度も往復しなくてはならない。

その労力を避けるために、一旦は運搬車に移し替え、そして遠くまで移動する運搬車の力を借りる。



これまでいくつかの地域でパレット運びを見てきたが、人から人へ手渡すか、数枚ほど重ねて運ぶ人力である。

どこともそうだが、距離が伸びるほど作業に負担がでる。

ある田んぼでは一輪車に載せて運搬していたが、畦道を転がすには不安定。

支える力も要るし、押す力も。

その点、この運搬車利用によれば、安全に、しかも負荷をかけずに済む。

中古でもお高い商品であるが、高齢でなくとも作業軽減にお勧めしたいと思った。

総代家の苗代作りは家族総出。



弟さんはこの方が動きやすいと靴、靴下を脱いで裸足姿。

私の小さい時の体験でも感じたぬるっと感。

妙にそれが気持ち良かったことを覚えている。

昨日、総代が話していた均す道具のレーキを見せてくださる。



回転するので操作に負担はなく楽々。

水を引いた苗代田はくるくる回している間にいつの間にか平らに均してくれる。

パレットを並べる前にしておいた苗床はこうして平らにしていたという。

力をかけることなく水平にコロコロ転がすだけで苗床が綺麗に整地される。

この農具の元々は種籾転圧機

目の細かい金網(※縦横2ミリほどの網目)を筒状にして押すことにより回転する、種籾を転圧し、表面を均一化して苗の伸び具合が全体的整えることを容易にするための道具である。

T字型のトンボとか、エブリ、サラエであれば、力が要る。

道具の荷重もあるし、力も要るが、この道具はとても簡単である。

総代が云うには、かれこれ40~50年間も使い込んだ道具。

市販品のようだ。



実演してくださった種籾転圧機を置いたところにある太い塩ビ製パイプは水路に流れる水を苗代田に引き込むために繋いだもの。

上流に据えた塩ビ製パイプの受け入れ口は紐で結わえていた。



必要な場合は紐を解いて水路に落とす。

そうすれば流れてきた水は勢いをつけて流れていく。

なるほど、と思った仕掛けである。

そうこうしているうちに軽トラで運んできたパレットのすべてを並べ終えた。

ひとまず戻る作業場は農機具などを納めている小屋である。

小屋には何段にも積み上げた苗箱パレットがあった。

前日にしていたモミオトシ(※タネオトシとも)作業は半日も費やしたという。

その前にしておくのは土入れだった。

品種は粳米がヒノヒカリ。

糯米はハブタエモチだという。

量的に多いヒノヒカリのすべてを終えてからハブタエモチに移る。



軽トラに載せる前にしておく水撒き。

ジョウロで注ぐのは単に水ではなく、薬剤散布。

立ち枯れを防ぐ液剤商品の「タチガレ」を混ぜた水を撒くことによって稲の病気を防ぐ。

小屋の外にパレットを並べては薬剤散布をしていた。

今年の作付け枚数に応じて苗箱の数量が決まる。

粳米はおよそ400枚。

糯米は30枚であるから総量430枚にもなる。

薬剤散布を済ませたパレットは軽トラに積んで運ぶ。

荷台に載せられる枚数は約160枚。

量的に3回も往復しなければならない。

作業の進展具合は並べたパレットの数でわかる。

手前の苗床はロングレール。

半分整えるだけで1時間もかかる。

集落を巡っていたら会所の場所がわかった。



そこから眺めさせてもらった農小屋の様相。

忙しく動き回る積み込み作業。

とらえていた私の姿を見たご家族は、そこに居たんかいなと笑って返してくれた。

それから1時後は2列目の水苗代に入っていた。



3度目のパレット運搬である。

運搬してはキャタピラ駆動の運搬車に乗せ換える。



苗床傍を移動してパレットを並べる。

単調な作業の繰り返しであるが、体力が要る。

ご家族は休憩することもなく作業をしていた。

すべてのパレットを並べたら白い沙を苗床一面に広げて被せる。

この紗もロール状。

回転させて伸ばしていく。

一面を被せ終えたときにご婦人が動いた。



水口辺りでなく苗床の端っこに立てたイロバナ。

お家で栽培していた2種のツツジにコデマリと洋もののフリージア。

そのときに咲いているお花でイロバナを立てた。

今年の水口まつりはこれだけである。

えっ、である。

昨年の水口まつりにはナエノマツもあった。

実は今年はナエノマツが手に入らなかったからイロバナだけになったというのだ。

ナエノマツは飛鳥坐神社で2月第一初めの日曜日に行われるおんだ祭(御田植祭)に奉られたもの。

そのナエノマツは大字飛鳥の総代が各村に配る。

ところが今年はナエノマツが届くことはなかった。

理由は何であったのか。

実は今年の総代はサラリーマンらしい。

農業の営みを知らずに失念したようだ。

そういうわけで今年はイロバナだけになったということだ。

水口まつりをするのは奥さんと決まっているわけではない。

誰がしても構わないという。



さて、沙は敷くだけでなく、風に煽られて飛ばされないようにしなくてはならない。

苗床にある泥土を沙に寄せていくか、乗せるという作業である。

飛ばないように泥土をもって重しにするわけだ。

要は隙間を開けずに、ということで、ところどころに乗せていく。

昔はロール状に仕立てた新聞紙を利用していたそうだ。

最後にする作業はトリオドシの据え付け。

苗床の四方、数か所に亘って枯れ竹を埋め込む。

ハンマーで打ちこんで倒れないようにする。



そして釣り糸のようなテグス糸を張っていく。

鳥には見えにくいテグス糸を張り巡らしてようやく終える。



ちなみに隣村の大字豊浦では苗代の〆にヨモギダンゴとキリコをお盆に盛って供えているらしい。

さらにカヤの実もあるというから、随分前の様相である。

今どきカヤの実があるとは思えないが、ツツジやナエノマツも立てると聞いたので、いずれは調査したいと思った。



小屋裏にあった唐箕がある総代家。

今も現役の唐箕は10月15日前後に再稼働するらしい。

収穫を終えた稲籾の殻落しもするし、小豆や大豆の豆落としにも活躍しているという。

ちなみに9軒集落だった八釣。

今は7軒の営みになった八釣に行事がある。

今年は1月14日にされたという明神講の行事である。

藤原鎌足公謂れの般若心経をしているそうだ。

時間帯は午後。

講の寄り合いを済ませてからとんど焼きをする。

時間帯は夕刻。

アキの方角の言い方もあるその年の恵方に向けて火点けをするという。

機会があれば、是非とも取材させていただきたい行事である。

(H29. 4.30 EOS40D撮影)


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