滋賀県の伝統行事を主に取材してきた写真家のKさんが、奈良・大淀町大岩の地に写真展をされた。
会場は、平日だけが営業の喫茶きまぐれや。
大岩の神社行事撮影に応援してくれた写真家のKさん。
当時、身体がどうにもこうにもの状態に、大いに助けてもらった。
そのことがあって、Kさんも私同様、平日だけが営業の喫茶きまぐれや会場をお借りして写真展をされた。
そのときの作品展示を拝見し、いくつかの行事を拝見したくなった。
その一つが、12月8日の「熟柿祭」と呼ばれる地域行事。
祭事の場は、三重県名張市大屋戸(おやど)に鎮座する杉谷神社である。
是非とも拝見したい、もうひとつの行事は、地域行事。
お盆迎えの行事だから、暑い夏の8月13日。
場所は、京都南部の相楽郡精華町・北稲八間(きたいなやづま)の地区に住まう家々によって行われる習俗。
各家の門口に砂の台を設え、ご先祖さんを迎える形式。
きまぐれや写真展に見た映像。
ほぼ同じような形式を他の地区で見たことがある。
そこは、忘れもしない京都南部。
木津川市の鹿背山(かせやま)。
取材日は、先祖送りであるが、砂盛りの考え方は同じであろう。
東に鹿背山。
西が北稲八間。
両地区は、まま近い位置にある。
しかも、どちらとも背後に山。
その麓に住む人の動きが、暮らしの文化、民俗をもたらし、相似的な関係性を生んだ、とも考えられる。
さて、生憎の精華町・北稲八間の8月13日である。
令和3年8月13日に発令された洪水警報発令地域は、京都市内、宇治市、城陽市、京田辺市、井手町、宇治田原町。
大雨警報発令地域は、京都市内、亀岡市、南丹市、宇治市、城陽市、八幡市、京田辺市、久御山町、井手町、宇治田原町、木津川市、笠置町、和束町、精華町、南山城村まで。
広範囲に亘る警報発令地域。
各家が、それぞれに行われるその日の習俗に警報が発令された地域。
酷くなれば避難をともなうかもしれない先祖迎えの8月13日。
もしかとすれば、中止?の決断も想定される警報発令。
コロナ禍による不適応判断でなく、大雨などによる注意報。
警報発令が気になる秋雨前線の動き。
警報を発令されていても、雨、風が荒れていない場合もある。
悶々と待っているよりも、車を動かせば、屋外の状態が肌で感じる。
どうされるのか、雨量も心配であるが、とにかく行ってみよう。
到着した時間は午後2時。
風は吹き荒れる、とまではいっていない。
草木が揺れることもない、弱い風だが、雨はやまない。
実は、北稲八間の集落地図を予め見ていた。
写真家のKさんが、事前に送ってくれた資料地図。
地区北に八幡社。
後に取材することになった北稲八間の鎮守社の武内神社もある。
寺院は繁昌寺に福林寺、観音寺(※)、十王堂などがある。
その地図に①から⑧までの印を入れている箇所がある。
そこが、おしょうらいさんを迎えの場であろう。
自宅を出発、午後2時過ぎに到着した北稲八間。
雨はまだまだ降るだろう。
車から降り、歩いて探すその場めぐりは、ちと難しい。
仕方なく、取り敢えず、であるが、この筋であろう、と思った集落道。
時間に余裕があるこの時間に、集落西外れに落ちつく。
雨やみ待ちの時間を設けたが、気もそぞろ。
他の地区も見ておきたい集落巡り。
念のために確認しておきたい南の集落は、まったく動きがなかった。
再び、北上し集落を南北に貫く村の道。
数分後に見つかった場に、これがそうだろ、と判断した砂を盛った状態。
まだ、花のない午後2時半の様相。
降り続く雨に濡れた砂盛りを撮った一瞬の数秒間。
身体が冷たく感じた雨降り。
再び、車を動かした。
近距離に見つかったここも砂盛り状態。
玄関前に据えられたそれ以上は見当たらなかった。
集落道の四ツ辻。
見ての通りの土砂降りである。
降りることもできないこの場は、精華町の谷区。
左折れした狭い道の集落をぐるぐる。
時速5kmのとろとろ巡りに神社や寺の所在地を確認してきた。
結局は、ぐるっと一周して戻ってきた。
すぐ近くに広地がある。
ここは、北稲八間集会所の駐車場。
停めた位置からでも見える石標に「延宝四年(1676)建之 観音寺遺址」。
観音寺は、明治四年北稲八間村小学校を建築するため、この地にあった観音寺の本尊の行先。
明治初年に廃寺となった岡本寺に、安置していたご本尊並びに諸仏像・什器を移した。
詳しくは、平成30年7月に立てた「観音寺跡」解説を参照のうえ、北稲八間の案内図に沿って寺院・怱墓巡りをされるのも、佳かろう。
なお、この地図は、右行きが北の方角。
観音寺跡へは西南の方角になるので、注意されたし。
この場に滞在していた午後2時50分。
四ツ辻の角地に建つ民家に人の動きを目撃した。
建物の真ん前に流れる水路。
おそらく山の方にある農業池からの水流であろう。
ごうごう流れる水路と建物の間に据えた野菜などを苗ポットを並べる用途のトレーに・・・砂。。
そこに盛った砂山。
山は綺麗に平坦状態にしていた農業・園芸用途の育苗トレー。
これが、おしょうらいさんを迎える場であろう。
土に被せるように真砂土で覆う。
その作業をされている動きを見て、慌てて開けた車のドア。
カメラを手に、小走り。
傘をひらく動作がもどかしい。
門屋を出たすぐそこに砂モチされるご婦人に緊急取材をお願いした。
主旨を伝えて了承してくださった婦人。
昭和8年生まれの「88歳の姑さん、とこれからしますので・・」、に、千載一遇のご縁に感謝する。
「うちは遅い方ですが・・」、といいつつトレーに真砂土を入れていた。
これから準備しますので、と伝えられて、十数分待ち。
老人車を押してきたおばあさんが「お嫁さんです」と、いった婦人の手には2枚のかまぼこ板。
なるほど、である。
真砂土を均す道具はかまぼこ板。
十分に役立つ。
おばあさんは、家で栽培したお花をバケツに入れてきたが・・
家屋・軒下での作業では、雨に打たれる。
雨がかからない門屋に移動し、砂盛りを成型されるお嫁さん。
ここなら雨にも濡れることなく、安心して作業ができる。
慣れた手つきで、二人仲良く、おしょうらいさんに花生け。
四方に階段をつくり、摘んできた自家栽培のお花を綺麗に並べる。
摘んできた花の枝切りは、長さをとって鋏を入れるおばあさん。
お嫁さんは、綺麗に並べる花挿し。
「赤や、黄色ばかりの百日花では、見かけもねー・・」、と、いいつつ、白花のトルコギキョウも、追加した。
グッドデザインの花挿し。
この日に迎えるおしょうらいさんも喜んでくれはる迎えの花挿し。
えー感じでできあがった。
「いつもなら、道向かい側にある消防団倉庫前の地に、直接作るのですが、こんなけ降る雨には、場所替えするしかない・・」、と緊急対応したおしょうらいさん迎えの場。
今年は滅多にない大雨。
たぶんに初めてだ、と・・・
「夕方になれば、線香3本に火を点けて、おしょうらいさん迎え。3本のうち、火の点いた線香、1本だけ持ち帰って仏壇に火移し。縁側に無縁さん。ササゲ入りのおかいさんを供えています」、と話してくれた88歳のTさん。
突然の訪問取材に、これ以上迷惑をかけては、と判断し、失礼した。
後日に訪れたときに話してくれたお嫁さん。
先日来の猛暑に身体をくずしていたようだ。
短時間の取材にご協力いただき、この場を借りて、厚く御礼申し上げる次第だ。
砂モチに花挿しをされている時間帯なら、他所にも見られる可能性が高い。
再び、通りに入って見つかった階段もある砂盛り。
花も挿して、飾っている。
土砂降りの雨に、傘をさしていても背中から腰にボトボト落ちる雨。
ズックもボトボト状態に体力は、ますます消耗するばかり・・・
当初に巡ったときには、なかった位置に砂盛りが見つかった。
時間経過に、強い雨降り。
砂盛りは角がとれ、緩やかな形状になっていた。
周回して、また見つかった花挿したおしょうらいさん迎え。
再び駐車場へ。
車を近づけて窓越しに見たT家の砂盛り線香台に赤い火。
そういえば、お嫁さんのTさんが云っていた件。
「うちは食事前に線香立てますが、ご近所の皆さんは頃合いを見計らって線香をするようです」、と・・
えーーーっ、まさかここだ、とは・・・
大急ぎで車を停めて、線香灯しを拝見した午後4時。
どなたかわからないが、線香はもう立てていたのだ。
時間経過に灯した線香は5cmもないほどに短くなっていた。
なんとか火は撮ったものの、煙がたたなくて・・。
そこに、門屋から顔をだしていたご近所の男性に、名刺を渡して挨拶した。
「Tさんとこでしているの、なぜわかったんや・・」と、おっしゃる男性。
1時間ほど前に、初めてお会いし、取材許可をもらって・・・、と状況説明。
その男性曰く、大雨だからか「今日は、もうやらんとこか、思ってきたが、これならなんとか、線香の火点けはできそうやな」、といいつつ持ってきた線香に火を点けて、花飾りの線香台に立てた。
さっと抜いた1本を手にして、すぐさま戻って行かれた男性。
その時間帯、その様子を見ていたか、どうかわからないが、乗用車に乗ったまま、様子伺いの車が2台。
通過していた。
たぶんに、様子をみて、お家に戻られてから線香を取りにいったかもしれない。
この通りのご近所さんは、T家が設えた花挿し線香台を公認利用されているのだろう。
時間帯は午後4時15分。
見納めに、と思って、数十メートル西にある西山浄土宗寺院の太陽山阿弥陀寺。
花挿しの際に話してくれたお嫁さんのTさん。
「お寺さんもしてはるし、ご近所の人も線香立てに来ると・・」、聞いていた太陽山阿弥陀寺。
このときの雨降りが、いちばんえげつない状況の土砂降。
水路の水は、あっという間に増水状態。
流れは早く・・・“ここに落ちたら、あっという間に流されてしまうやろな”、と・・・ひやひやしながらの駐車。
阿弥陀寺さんは、自転車もおける屋根付き駐車場下に設えていた。
傘はもたなくても、雨がかからない丈夫な屋根付きの花挿し線香台。
ただ、冷たい風が吹けば、心底、身体は冷たく・・・
気力で撮らせてもらったおしょうらいさんがやってくる印の煙に・・・ほっ。
帰りに、念のためと思って、最後の通り抜け。
砂盛り状態だった2カ所にも花挿しが見られた。
お寺さんを入れて5カ所にされていた花挿し線香台。
午後4時半に、撤退した北稲八間・中垣内のおしょうらいさん迎え。
これほどの大雨であっても、また未だコロナ渦中でもあるが、先祖さんを迎えるお盆の習俗は、とめるワケにはいかない。
北稲八間を離れてからだろうか。
夕方のニュースに京田辺、井手、に洪水警報を発令していたようだ。
昨日、今日の雨降りに広島や九州長崎、佐賀、福岡が記録的な大雨に見舞われている。
西日本どころか東海地方の各県も避難指示。
奈良も雨だが、住まいする地元、大和郡山辺りは落ち着いていた。
昭和8年生まれのTさんが嫁入りした北稲八間辺りの地区。
昭和28年8月は大災害を受けた、と話していた。
「亡くなった叔父の新盆のころやっただけに、はっきり覚えている」と、話していた。
記憶に残る大洪水。
木津川が氾濫し、ここら辺りの一面すべてが、海のようだった、という水ツキ。
Tさんが育った地は、ここ北稲八間より北になる高台地域。
「狛田、宮脇から見ていた木津川の大洪水に、恐ろしさしかなかった」。
後年に公表された「南山城水害」は昭和28年8月14日から16日にかけての災害。
その後の9月25日。伊勢の志摩半島に上陸した台風13号がもたらした大災害は、さらに追い打ち。
Tさんが67年前に体験した記憶力が凄いと思った。
なお、さらに詳しい研究ノート『災害記録史料』があったので、ここにリンクしておくが、ロードに多少の時間を要する。
(R3. 8.13 SB805SH/EOS7D 撮影)
会場は、平日だけが営業の喫茶きまぐれや。
大岩の神社行事撮影に応援してくれた写真家のKさん。
当時、身体がどうにもこうにもの状態に、大いに助けてもらった。
そのことがあって、Kさんも私同様、平日だけが営業の喫茶きまぐれや会場をお借りして写真展をされた。
そのときの作品展示を拝見し、いくつかの行事を拝見したくなった。
その一つが、12月8日の「熟柿祭」と呼ばれる地域行事。
祭事の場は、三重県名張市大屋戸(おやど)に鎮座する杉谷神社である。
是非とも拝見したい、もうひとつの行事は、地域行事。
お盆迎えの行事だから、暑い夏の8月13日。
場所は、京都南部の相楽郡精華町・北稲八間(きたいなやづま)の地区に住まう家々によって行われる習俗。
各家の門口に砂の台を設え、ご先祖さんを迎える形式。
きまぐれや写真展に見た映像。
ほぼ同じような形式を他の地区で見たことがある。
そこは、忘れもしない京都南部。
木津川市の鹿背山(かせやま)。
取材日は、先祖送りであるが、砂盛りの考え方は同じであろう。
東に鹿背山。
西が北稲八間。
両地区は、まま近い位置にある。
しかも、どちらとも背後に山。
その麓に住む人の動きが、暮らしの文化、民俗をもたらし、相似的な関係性を生んだ、とも考えられる。
さて、生憎の精華町・北稲八間の8月13日である。
令和3年8月13日に発令された洪水警報発令地域は、京都市内、宇治市、城陽市、京田辺市、井手町、宇治田原町。
大雨警報発令地域は、京都市内、亀岡市、南丹市、宇治市、城陽市、八幡市、京田辺市、久御山町、井手町、宇治田原町、木津川市、笠置町、和束町、精華町、南山城村まで。
広範囲に亘る警報発令地域。
各家が、それぞれに行われるその日の習俗に警報が発令された地域。
酷くなれば避難をともなうかもしれない先祖迎えの8月13日。
もしかとすれば、中止?の決断も想定される警報発令。
コロナ禍による不適応判断でなく、大雨などによる注意報。
警報発令が気になる秋雨前線の動き。
警報を発令されていても、雨、風が荒れていない場合もある。
悶々と待っているよりも、車を動かせば、屋外の状態が肌で感じる。
どうされるのか、雨量も心配であるが、とにかく行ってみよう。
到着した時間は午後2時。
風は吹き荒れる、とまではいっていない。
草木が揺れることもない、弱い風だが、雨はやまない。
実は、北稲八間の集落地図を予め見ていた。
写真家のKさんが、事前に送ってくれた資料地図。
地区北に八幡社。
後に取材することになった北稲八間の鎮守社の武内神社もある。
寺院は繁昌寺に福林寺、観音寺(※)、十王堂などがある。
その地図に①から⑧までの印を入れている箇所がある。
そこが、おしょうらいさんを迎えの場であろう。
自宅を出発、午後2時過ぎに到着した北稲八間。
雨はまだまだ降るだろう。
車から降り、歩いて探すその場めぐりは、ちと難しい。
仕方なく、取り敢えず、であるが、この筋であろう、と思った集落道。
時間に余裕があるこの時間に、集落西外れに落ちつく。
雨やみ待ちの時間を設けたが、気もそぞろ。
他の地区も見ておきたい集落巡り。
念のために確認しておきたい南の集落は、まったく動きがなかった。
再び、北上し集落を南北に貫く村の道。
数分後に見つかった場に、これがそうだろ、と判断した砂を盛った状態。
まだ、花のない午後2時半の様相。
降り続く雨に濡れた砂盛りを撮った一瞬の数秒間。
身体が冷たく感じた雨降り。
再び、車を動かした。
近距離に見つかったここも砂盛り状態。
玄関前に据えられたそれ以上は見当たらなかった。
集落道の四ツ辻。
見ての通りの土砂降りである。
降りることもできないこの場は、精華町の谷区。
左折れした狭い道の集落をぐるぐる。
時速5kmのとろとろ巡りに神社や寺の所在地を確認してきた。
結局は、ぐるっと一周して戻ってきた。
すぐ近くに広地がある。
ここは、北稲八間集会所の駐車場。
停めた位置からでも見える石標に「延宝四年(1676)建之 観音寺遺址」。
観音寺は、明治四年北稲八間村小学校を建築するため、この地にあった観音寺の本尊の行先。
明治初年に廃寺となった岡本寺に、安置していたご本尊並びに諸仏像・什器を移した。
詳しくは、平成30年7月に立てた「観音寺跡」解説を参照のうえ、北稲八間の案内図に沿って寺院・怱墓巡りをされるのも、佳かろう。
なお、この地図は、右行きが北の方角。
観音寺跡へは西南の方角になるので、注意されたし。
この場に滞在していた午後2時50分。
四ツ辻の角地に建つ民家に人の動きを目撃した。
建物の真ん前に流れる水路。
おそらく山の方にある農業池からの水流であろう。
ごうごう流れる水路と建物の間に据えた野菜などを苗ポットを並べる用途のトレーに・・・砂。。
そこに盛った砂山。
山は綺麗に平坦状態にしていた農業・園芸用途の育苗トレー。
これが、おしょうらいさんを迎える場であろう。
土に被せるように真砂土で覆う。
その作業をされている動きを見て、慌てて開けた車のドア。
カメラを手に、小走り。
傘をひらく動作がもどかしい。
門屋を出たすぐそこに砂モチされるご婦人に緊急取材をお願いした。
主旨を伝えて了承してくださった婦人。
昭和8年生まれの「88歳の姑さん、とこれからしますので・・」、に、千載一遇のご縁に感謝する。
「うちは遅い方ですが・・」、といいつつトレーに真砂土を入れていた。
これから準備しますので、と伝えられて、十数分待ち。
老人車を押してきたおばあさんが「お嫁さんです」と、いった婦人の手には2枚のかまぼこ板。
なるほど、である。
真砂土を均す道具はかまぼこ板。
十分に役立つ。
おばあさんは、家で栽培したお花をバケツに入れてきたが・・
家屋・軒下での作業では、雨に打たれる。
雨がかからない門屋に移動し、砂盛りを成型されるお嫁さん。
ここなら雨にも濡れることなく、安心して作業ができる。
慣れた手つきで、二人仲良く、おしょうらいさんに花生け。
四方に階段をつくり、摘んできた自家栽培のお花を綺麗に並べる。
摘んできた花の枝切りは、長さをとって鋏を入れるおばあさん。
お嫁さんは、綺麗に並べる花挿し。
「赤や、黄色ばかりの百日花では、見かけもねー・・」、と、いいつつ、白花のトルコギキョウも、追加した。
グッドデザインの花挿し。
この日に迎えるおしょうらいさんも喜んでくれはる迎えの花挿し。
えー感じでできあがった。
「いつもなら、道向かい側にある消防団倉庫前の地に、直接作るのですが、こんなけ降る雨には、場所替えするしかない・・」、と緊急対応したおしょうらいさん迎えの場。
今年は滅多にない大雨。
たぶんに初めてだ、と・・・
「夕方になれば、線香3本に火を点けて、おしょうらいさん迎え。3本のうち、火の点いた線香、1本だけ持ち帰って仏壇に火移し。縁側に無縁さん。ササゲ入りのおかいさんを供えています」、と話してくれた88歳のTさん。
突然の訪問取材に、これ以上迷惑をかけては、と判断し、失礼した。
後日に訪れたときに話してくれたお嫁さん。
先日来の猛暑に身体をくずしていたようだ。
短時間の取材にご協力いただき、この場を借りて、厚く御礼申し上げる次第だ。
砂モチに花挿しをされている時間帯なら、他所にも見られる可能性が高い。
再び、通りに入って見つかった階段もある砂盛り。
花も挿して、飾っている。
土砂降りの雨に、傘をさしていても背中から腰にボトボト落ちる雨。
ズックもボトボト状態に体力は、ますます消耗するばかり・・・
当初に巡ったときには、なかった位置に砂盛りが見つかった。
時間経過に、強い雨降り。
砂盛りは角がとれ、緩やかな形状になっていた。
周回して、また見つかった花挿したおしょうらいさん迎え。
再び駐車場へ。
車を近づけて窓越しに見たT家の砂盛り線香台に赤い火。
そういえば、お嫁さんのTさんが云っていた件。
「うちは食事前に線香立てますが、ご近所の皆さんは頃合いを見計らって線香をするようです」、と・・
えーーーっ、まさかここだ、とは・・・
大急ぎで車を停めて、線香灯しを拝見した午後4時。
どなたかわからないが、線香はもう立てていたのだ。
時間経過に灯した線香は5cmもないほどに短くなっていた。
なんとか火は撮ったものの、煙がたたなくて・・。
そこに、門屋から顔をだしていたご近所の男性に、名刺を渡して挨拶した。
「Tさんとこでしているの、なぜわかったんや・・」と、おっしゃる男性。
1時間ほど前に、初めてお会いし、取材許可をもらって・・・、と状況説明。
その男性曰く、大雨だからか「今日は、もうやらんとこか、思ってきたが、これならなんとか、線香の火点けはできそうやな」、といいつつ持ってきた線香に火を点けて、花飾りの線香台に立てた。
さっと抜いた1本を手にして、すぐさま戻って行かれた男性。
その時間帯、その様子を見ていたか、どうかわからないが、乗用車に乗ったまま、様子伺いの車が2台。
通過していた。
たぶんに、様子をみて、お家に戻られてから線香を取りにいったかもしれない。
この通りのご近所さんは、T家が設えた花挿し線香台を公認利用されているのだろう。
時間帯は午後4時15分。
見納めに、と思って、数十メートル西にある西山浄土宗寺院の太陽山阿弥陀寺。
花挿しの際に話してくれたお嫁さんのTさん。
「お寺さんもしてはるし、ご近所の人も線香立てに来ると・・」、聞いていた太陽山阿弥陀寺。
このときの雨降りが、いちばんえげつない状況の土砂降。
水路の水は、あっという間に増水状態。
流れは早く・・・“ここに落ちたら、あっという間に流されてしまうやろな”、と・・・ひやひやしながらの駐車。
阿弥陀寺さんは、自転車もおける屋根付き駐車場下に設えていた。
傘はもたなくても、雨がかからない丈夫な屋根付きの花挿し線香台。
ただ、冷たい風が吹けば、心底、身体は冷たく・・・
気力で撮らせてもらったおしょうらいさんがやってくる印の煙に・・・ほっ。
帰りに、念のためと思って、最後の通り抜け。
砂盛り状態だった2カ所にも花挿しが見られた。
お寺さんを入れて5カ所にされていた花挿し線香台。
午後4時半に、撤退した北稲八間・中垣内のおしょうらいさん迎え。
これほどの大雨であっても、また未だコロナ渦中でもあるが、先祖さんを迎えるお盆の習俗は、とめるワケにはいかない。
北稲八間を離れてからだろうか。
夕方のニュースに京田辺、井手、に洪水警報を発令していたようだ。
昨日、今日の雨降りに広島や九州長崎、佐賀、福岡が記録的な大雨に見舞われている。
西日本どころか東海地方の各県も避難指示。
奈良も雨だが、住まいする地元、大和郡山辺りは落ち着いていた。
昭和8年生まれのTさんが嫁入りした北稲八間辺りの地区。
昭和28年8月は大災害を受けた、と話していた。
「亡くなった叔父の新盆のころやっただけに、はっきり覚えている」と、話していた。
記憶に残る大洪水。
木津川が氾濫し、ここら辺りの一面すべてが、海のようだった、という水ツキ。
Tさんが育った地は、ここ北稲八間より北になる高台地域。
「狛田、宮脇から見ていた木津川の大洪水に、恐ろしさしかなかった」。
後年に公表された「南山城水害」は昭和28年8月14日から16日にかけての災害。
その後の9月25日。伊勢の志摩半島に上陸した台風13号がもたらした大災害は、さらに追い打ち。
Tさんが67年前に体験した記憶力が凄いと思った。
なお、さらに詳しい研究ノート『災害記録史料』があったので、ここにリンクしておくが、ロードに多少の時間を要する。
(R3. 8.13 SB805SH/EOS7D 撮影)