度々行事取材に訪問してきた平群町の福貴畑。
正月初めに行われると聞いていた正月ノ座がある。
かつて特定家で行われていた(宮)座があった福貴畑。
「膳」の名で呼ばれていた座中家で作った料理を持ってきていた。
昭和の何時か判らない、随分と前のことだと云う。
80戸の集落全員が福貴畑氏子であることから、戦前に解散した「講」家の行事を村行事として継承してきた福貴畑の座行事である。
正月ノ座と秋のマツリの座の二座行事が継承されている。
「座」の営みは、「膳」の在り方が料理屋の仕出しに移ったぐらいでほとんど変わりなく行われている。
この杵築神社の本殿に供えたのは□型に△型を二段に盛ったムシゴハンである。
高杯に載せたムシゴハンの周りにはサトイモ数個を載せた小皿も見られる。
お神酒も供えたのは正月ノ座を摂待する5軒当家だ。
観音堂の神さんや仏さんにも供えた御供の形が気にかかる。
昼ごろに参集された村氏子は白い幕を張った座小屋に上がった。
一人、一人の座には「オデン」と呼ばれる御膳が置かれた。
「オデン」は「ゴゼン」。
充てる漢字が「御膳」。
「御膳」が訛って「オデン」と呼ぶ。
そう呼ぶ地域は当地だけでなく県内事例に多く見られる呼び名である。
「講」家でされていたときはそれぞれの家が作っていた膳であったが、今ではパック詰め料理の「オデン」。
多くの地域でそうしている仕出し料理のパック膳である。
5軒当家のうち3人は下座に座って代表が口上述べる。
「オツユがとおりましたのでいただいてください」で始まった正月ノ座。
摂待役の二人が上座に座る総代や区長に。
椀に注ぐのは豆腐汁。
銅製の湯とうに入っているのが豆腐汁である。
味噌仕立ての豆腐汁は砂糖を1kgも入れたと云う摂待役を勤める当家の婦人たち。
豆腐汁を椀に注ぐのは上座から年齢順に座った順である。
「あんたも食べてみ」と云われてよばれた豆腐汁の味は甘酒のようなあまーい味噌汁である。
初めて体験する食感であるが、驚くほどの美味さであった。
座中は何杯もおかわりもされるので、接待役はあっちこっちへ忙しく注ぎ回る。
タカの爪も配られてしばらくした時間。
2回目の口上が始まった。
「お神酒を飲んでください」と口上を述べて、神さんに供えた冷酒を注ぐ。
乾杯などの儀式は見られなかった正月ノ座である。
お神酒や豆腐汁、オデン料理をいただくこの日は穏やかな気候で暖房機も要らないくらいの座小屋の営み。
談笑される座の3回目の口上は「ゴシュをいただいてください」だ。
「ゴシュ」を充てる漢字はおそらく「御酒」であろう。
ゴシュの酒は熱燗。
これもまた、座中に酒を注ぎ回る。
お神酒の場合は白いお銚子であったが、燗の酒は茶瓶である。
豆腐汁といえば美味しいものだけに、いずれの酒杯に於いても声がかかるおかわりが忙しい。
福貴畑の正月座はこうしてみれば三献の儀であることがわかるだろう。
台詞に若干の違いが見られるが、「ゴシュ」の名もある川西町吐田の北吐田の「荘厳」も三献の儀。
古式ゆかしい儀式を拝見できて感謝申す揚げる次第だ。
時間を見計らった総代が秋の座を営むマツリの5軒当家を伝えた。
正月ノ座とマツリ(かつて村相撲があった)の座を営む5軒当家は別で、平成10年以来にようやく村をひと回りしたそうだ。
こうして1時間ほどの座を終えた人たちは座小屋を降りた。
それから供えた神さんや仏さんの御供を下げる。
四角い高杯に載せた白いご飯。
□型、△型に盛った2段型のムシゴハンである。
□型のムシゴハンは枡型の木枠に詰め込んで作った。
△型は円錐型である。
ブリキ製の枠に詰め込んで作ったが御供に名は無いと云う。
香芝市下田の鹿島神社で行われる結鎮祭礼も二段のカクメシ。
天理市新泉町の素盞嗚神社で行われる野神祭りも二段のオシゴハン。
但し、上部も四角だ。
山添村北野の津越にある薬師堂で行われる八幡さんの京の飯は丸と四角の二段のメシ盛りだ。
形は若干違うものの同じような「キョウノメシ」によく似ている。
一方、一段だけの盛りもある。
スシメシと呼ぶのは川西町下永のキヨウ行事。
桜井市の箸中で行われるノグチサン行事も同じで、それをツノメシと呼んでいた。
それはともかく、福貴畑の正月に供えられた二段のムシゴハンの周りに置いた小皿には茹でたサトイモが三つある。
それぞれの高杯に5皿ずつだ。
かつては石臼でアオマメをすり潰したクルミを載せていたと云う。
「それほどキョウノメシを撮っていただいたなら、あんたにもあげよう」と貰って帰ったムシゴハン。
総代が話すには、いろいろ試してみたが、オカイサンが一番美味しかったという。
こんなお土産を貰ったんだと云ってかーさんに見せたキョウノメシ。
しばらくは台処に置いてあった。
それから数日後の12日の晩。
夜食も終わっていた。
「あんたが貰ってきたんだから食べてや」という。
それは翌日の朝食。
千枚漬けをおかずに食べたオカイサンは美味しいのである。
カラカラに乾いていたムシゴハンは丁度よく柔らかい。
ほうじ茶で炊いたオカイサンはもう一杯と思うのであるがよそってもらった椀がでかい。
今度食べるときには野沢菜の漬物が欲しくなった。
(H26. 1. 7 EOS40D撮影)
正月初めに行われると聞いていた正月ノ座がある。
かつて特定家で行われていた(宮)座があった福貴畑。
「膳」の名で呼ばれていた座中家で作った料理を持ってきていた。
昭和の何時か判らない、随分と前のことだと云う。
80戸の集落全員が福貴畑氏子であることから、戦前に解散した「講」家の行事を村行事として継承してきた福貴畑の座行事である。
正月ノ座と秋のマツリの座の二座行事が継承されている。
「座」の営みは、「膳」の在り方が料理屋の仕出しに移ったぐらいでほとんど変わりなく行われている。
この杵築神社の本殿に供えたのは□型に△型を二段に盛ったムシゴハンである。
高杯に載せたムシゴハンの周りにはサトイモ数個を載せた小皿も見られる。
お神酒も供えたのは正月ノ座を摂待する5軒当家だ。
観音堂の神さんや仏さんにも供えた御供の形が気にかかる。
昼ごろに参集された村氏子は白い幕を張った座小屋に上がった。
一人、一人の座には「オデン」と呼ばれる御膳が置かれた。
「オデン」は「ゴゼン」。
充てる漢字が「御膳」。
「御膳」が訛って「オデン」と呼ぶ。
そう呼ぶ地域は当地だけでなく県内事例に多く見られる呼び名である。
「講」家でされていたときはそれぞれの家が作っていた膳であったが、今ではパック詰め料理の「オデン」。
多くの地域でそうしている仕出し料理のパック膳である。
5軒当家のうち3人は下座に座って代表が口上述べる。
「オツユがとおりましたのでいただいてください」で始まった正月ノ座。
摂待役の二人が上座に座る総代や区長に。
椀に注ぐのは豆腐汁。
銅製の湯とうに入っているのが豆腐汁である。
味噌仕立ての豆腐汁は砂糖を1kgも入れたと云う摂待役を勤める当家の婦人たち。
豆腐汁を椀に注ぐのは上座から年齢順に座った順である。
「あんたも食べてみ」と云われてよばれた豆腐汁の味は甘酒のようなあまーい味噌汁である。
初めて体験する食感であるが、驚くほどの美味さであった。
座中は何杯もおかわりもされるので、接待役はあっちこっちへ忙しく注ぎ回る。
タカの爪も配られてしばらくした時間。
2回目の口上が始まった。
「お神酒を飲んでください」と口上を述べて、神さんに供えた冷酒を注ぐ。
乾杯などの儀式は見られなかった正月ノ座である。
お神酒や豆腐汁、オデン料理をいただくこの日は穏やかな気候で暖房機も要らないくらいの座小屋の営み。
談笑される座の3回目の口上は「ゴシュをいただいてください」だ。
「ゴシュ」を充てる漢字はおそらく「御酒」であろう。
ゴシュの酒は熱燗。
これもまた、座中に酒を注ぎ回る。
お神酒の場合は白いお銚子であったが、燗の酒は茶瓶である。
豆腐汁といえば美味しいものだけに、いずれの酒杯に於いても声がかかるおかわりが忙しい。
福貴畑の正月座はこうしてみれば三献の儀であることがわかるだろう。
台詞に若干の違いが見られるが、「ゴシュ」の名もある川西町吐田の北吐田の「荘厳」も三献の儀。
古式ゆかしい儀式を拝見できて感謝申す揚げる次第だ。
時間を見計らった総代が秋の座を営むマツリの5軒当家を伝えた。
正月ノ座とマツリ(かつて村相撲があった)の座を営む5軒当家は別で、平成10年以来にようやく村をひと回りしたそうだ。
こうして1時間ほどの座を終えた人たちは座小屋を降りた。
それから供えた神さんや仏さんの御供を下げる。
四角い高杯に載せた白いご飯。
□型、△型に盛った2段型のムシゴハンである。
□型のムシゴハンは枡型の木枠に詰め込んで作った。
△型は円錐型である。
ブリキ製の枠に詰め込んで作ったが御供に名は無いと云う。
香芝市下田の鹿島神社で行われる結鎮祭礼も二段のカクメシ。
天理市新泉町の素盞嗚神社で行われる野神祭りも二段のオシゴハン。
但し、上部も四角だ。
山添村北野の津越にある薬師堂で行われる八幡さんの京の飯は丸と四角の二段のメシ盛りだ。
形は若干違うものの同じような「キョウノメシ」によく似ている。
一方、一段だけの盛りもある。
スシメシと呼ぶのは川西町下永のキヨウ行事。
桜井市の箸中で行われるノグチサン行事も同じで、それをツノメシと呼んでいた。
それはともかく、福貴畑の正月に供えられた二段のムシゴハンの周りに置いた小皿には茹でたサトイモが三つある。
それぞれの高杯に5皿ずつだ。
かつては石臼でアオマメをすり潰したクルミを載せていたと云う。
「それほどキョウノメシを撮っていただいたなら、あんたにもあげよう」と貰って帰ったムシゴハン。
総代が話すには、いろいろ試してみたが、オカイサンが一番美味しかったという。
こんなお土産を貰ったんだと云ってかーさんに見せたキョウノメシ。
しばらくは台処に置いてあった。
それから数日後の12日の晩。
夜食も終わっていた。
「あんたが貰ってきたんだから食べてや」という。
それは翌日の朝食。
千枚漬けをおかずに食べたオカイサンは美味しいのである。
カラカラに乾いていたムシゴハンは丁度よく柔らかい。
ほうじ茶で炊いたオカイサンはもう一杯と思うのであるがよそってもらった椀がでかい。
今度食べるときには野沢菜の漬物が欲しくなった。
(H26. 1. 7 EOS40D撮影)