正月のオコナイで祈祷された牛玉宝印。
先を三つに割いてウルシ棒に挿してある。
それは天理市下山田の地蔵寺に置かれてあった。
たくさん作っておいたからと持ち帰る人のために置いておく。
お寺の境内にはお堂がある。
その内部には如意輪観音菩薩像石仏が収められている。
来週にはここで「うる十九夜」の法要が営まれるという話を聞いて中山田に向かった。
山田にあったとされる元社がどこにあるのか探してみることにした。
結果的に言えば見つからなかったわけだが、付近を歩けば数々の花が咲いている庭園があった。
そこでこまめに作業をされている婦人がおられた。
美しい花に誘われて足が自然と向いた地だ。
年から年中が花作りだという婦人は十津川育ち。
嫁入りしてからは山田のほうが年数が多くなったという。
夕日が射し込み光り輝く時間帯になった。
よくよく見れば赤い花はクリンソウだ。
種が零れてあっちこちに芽が出たという。
そんな話をしていたところ、向こう側に気になるものがあった。
白い紙片はおそらくお札。
木の棒に挿してある。
近くへ寄ってみれば、それはオコナイで行われたときにたばったウルシ棒であった。
田植えを始める際にそこへ挿したというのはご婦人ではなかった。
付近に住む高齢者だった。
婦人の話によればこの日の朝に田植えをされたという。
ウルシ棒を挿したのは昼頃だったという。
その場には3枚の幣と三つのフキダワラをぶらくったクリの木である。
まさに田植え初めの作法である。
その場で話していたときだ。
通りかかる軽トラ。
運転されていたのは、なんと中山田の蔵輪寺の住職だった。
先ほど下山田でうる庚申講の法要をされたお方だ。
オコナイもされているお方だけに見つけたウルシ棒のことを伺った。
住職の話によれば、それは蔵輪寺で行われたオコナイの棒であるという。
かつては正月四日に行っていたが、今はその日に近い日曜日。
半鐘を鳴らして、ウルシ棒で板を叩くランジョーの作法。
まさにオコナイの作法である。
ランジョーは縁叩きと呼ばれている。
その日はネコヤナギのモチバナを供えるという。
また、ススンボの竹で作った矢を射る鬼的打ちもしているという。
(H24. 5.13 EOS40D撮影)
先を三つに割いてウルシ棒に挿してある。
それは天理市下山田の地蔵寺に置かれてあった。
たくさん作っておいたからと持ち帰る人のために置いておく。
お寺の境内にはお堂がある。
その内部には如意輪観音菩薩像石仏が収められている。
来週にはここで「うる十九夜」の法要が営まれるという話を聞いて中山田に向かった。
山田にあったとされる元社がどこにあるのか探してみることにした。
結果的に言えば見つからなかったわけだが、付近を歩けば数々の花が咲いている庭園があった。
そこでこまめに作業をされている婦人がおられた。
美しい花に誘われて足が自然と向いた地だ。
年から年中が花作りだという婦人は十津川育ち。
嫁入りしてからは山田のほうが年数が多くなったという。
夕日が射し込み光り輝く時間帯になった。
よくよく見れば赤い花はクリンソウだ。
種が零れてあっちこちに芽が出たという。
そんな話をしていたところ、向こう側に気になるものがあった。
白い紙片はおそらくお札。
木の棒に挿してある。
近くへ寄ってみれば、それはオコナイで行われたときにたばったウルシ棒であった。
田植えを始める際にそこへ挿したというのはご婦人ではなかった。
付近に住む高齢者だった。
婦人の話によればこの日の朝に田植えをされたという。
ウルシ棒を挿したのは昼頃だったという。
その場には3枚の幣と三つのフキダワラをぶらくったクリの木である。
まさに田植え初めの作法である。
その場で話していたときだ。
通りかかる軽トラ。
運転されていたのは、なんと中山田の蔵輪寺の住職だった。
先ほど下山田でうる庚申講の法要をされたお方だ。
オコナイもされているお方だけに見つけたウルシ棒のことを伺った。
住職の話によれば、それは蔵輪寺で行われたオコナイの棒であるという。
かつては正月四日に行っていたが、今はその日に近い日曜日。
半鐘を鳴らして、ウルシ棒で板を叩くランジョーの作法。
まさにオコナイの作法である。
ランジョーは縁叩きと呼ばれている。
その日はネコヤナギのモチバナを供えるという。
また、ススンボの竹で作った矢を射る鬼的打ちもしているという。
(H24. 5.13 EOS40D撮影)