マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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JOYOアートギャラリー2020&城陽市民俗探訪in文化パルク城陽@五里ごり館-城陽市歴史民俗資料館

2022年07月08日 07時55分20秒 | 民俗を観る
FBで大々的に伝えていた受賞の知らせ。

JNP奈良第二支部に所属する知人のTさんは風景写真家。

静止画像も撮っているが、昨今はビデオ動画も手を染めて、製作した映像を雑誌に投稿したら、掲載されたほどの腕前。

受賞の知らせは、JOYOアートギャラリー2020の市長賞。

市長賞は最高峰。

主催は京都・城陽市民余暇活動センター。

市長賞は京都府城陽市の市長賞である。

市施設の文化パルク城陽が公募したアートギャラリー2020

Tさんがこれまで応募した回数は4回。

その4回目に応募した作品「光彩陸離」が市長賞に選ばれた。

初受賞の市長賞を拝見したくなって出かけた文化パルク城陽。

自宅を出て阪奈道路に出たが、宝来辺りから渋滞。

4連休に鬱積するコロナ気分を一層するかのように繰り出したのであろう。

帰宅してから見たニュースによれば奈良公園どころか全国的な動きのようだ。

渋滞に巻き込まれないように抜け道を行く。

宝来から北へ、北へといけば京奈和道路の山田に着く。

そこからあっという間に着いた城陽インター。

渋滞に巻き込まれそうになったが、およそ1時間で着いた。

先にしておきたいひる飯の腹ごしらえはラーメン店。

文化パルク城陽は近い。

施設の駐車場に停めて入館したが、展示会場がどこなのかさっぱりわからない。

そういや、1階から4階まではスロープ構造。

壁面に入選作品があったが、主会場はどこであるのか。

2階の図書室前に座っていた市民に聞いても場所わからず。

うーん。

しかたなく図書室の受付に尋ねてやっとわかった4階。

入賞関係を展示する城陽市歴史民俗資料館だった。

JOYOアートギャラリー2020に選ばれた作品群を拝見。

ぐるっと一回りしたループ状のスロープ。



ここからでも屋外を眺められる。

眼下にあるのは水連の花園。



遠くを見れば、遥か向こうの方に生駒山が見えるかもしれない。



ひと通り、拝見した次の展示は民俗。

五里ごり館-城陽市歴史民俗資料館の会場は、どこ?。

受付に問い合わせたら、まさにここがそうである。

実は、民俗関係も拝見したいと伝えたら、一般市外者については有料扱い。

支払いすれば衣服に貼るシールを手渡される。

胸などに貼って会場に。

そこに行くまでに見た民俗行事の写真。



キャプションを一読して、これは貴重と判断。

主に奈良県民俗を調査、取材している身。

近年は、類似例調査に京都南部も頭に入れておきたい。

できれば展示映像を撮らせてもらえないかと、申し出たら、申請目的の“奈良県行事と類似する事例を対比、事例研究のため”と記入の上、書類を提出することで受理してくださった。

受付者が云うには、民俗であれば調査報告書も発行されているので、是非とも一読を、とありがたいお言葉をいただく。

城陽市歴史民俗資料館に別途愛称名がある。

平成19年4月1日のリニューアル開館の際に、市民募集を募った愛称を委員会決定した「五里ごり館」。

はてさて、五里ごり館とは・・。

五里は距離。

奈良の都の平城京から五里(20km)。

京の都の平安京からも五里の距離。

城陽市は、南北にある古代の都からの中間地点にあることから愛称名に決めたそうだ。

そうして拝見した城陽市の伝統行事の一部。

いきなり、これはっ、と思った「市辺のノエノレイ」。



再現であるが、正月初めに行われてきた農作の習俗。

正月の2日、ないしは4日の早朝。

鍬をもって田を耕す所作をする鍬初めである。

習俗名称が山麓地に近いと思われる旧村市辺の「ノエノレイ」。

漢字で表現してわかる”野への礼(※であろうか)“は、一年の初めに豊作を願って田の神さんに手を合わす。

私の民俗調査範囲にもあった“クワゾメ”。

いわゆる“鍬初め”である。

今のところたったの1件しか見つかっていない“クワゾメ”。

奈良県の山添村に住むOさんは、今もなおしている“クワゾメ”

隣村の毛原もしていたと聞いている。

農耕続きに展示してあった水主(みずし)の水口まつり。



「苗代に籾種を蒔いたあと、田の取り入れ口、つまり水口(みなくち)にツツジや榊の枝、洗米などを供えて籾の成長を願う習俗。添える花(※この事例で云えば躑躅の花)に稔りを象徴する意味があり、田の神が降りる依り代(※この事例では榊)。」と解説していた。

と、すれば、祈願した榊を授かる神事があるはずだ。

調べてみれば水主宮馬場に鎮座する水主神社がある。

例祭が2月20日。

考えられるのは年初めの祈年祭(どしごいのまつり)が考えられそうだが・・。

習俗紹介に「スナマキ」もあった。

貴重な映像をとらえた地域は久世。



スナマキは、“神さまが通る道”という寺田の事例や“神さまは箒目を通ってくる”という枇杷庄事例もあったそうだ。



「正月の神さんが通ってくくる道と考えられており、神々や先祖の来訪を歓待する心を象徴する。大晦日の夕方に、戸主が“サラカゴ”や“箕(み)”に山や川の砂を入れ、家の周りや通り道に後ずさりしながら、波型や、直線方に砂を撒く。南山城地域で、広く大晦日の行事として行われてきた」とあった。

境内に砂撒きしていた事例に、加茂町銭司・春日神社京田辺市宮津・白山神社、京田辺市宮津・佐牙(さが)神社がある。

集落の民家が個々にされている事例に、山城町上狛のO家並びにM家がある

かつては多くの家庭でされてきた砂撒き。

今や探し出すのも難しい時代になった。

もう一つの事例に勧請縄がある。

城陽市の事例では観音堂甲畑のカンジョリナワを紹介していた。



設営地は氏神神社の旦椋(あさくら)神社の鳥居口手前

参道にある2本の樹木にかけている。

当地は正月飾りとしてではなく、毎年の10月4日に行なわれる秋祭りの前にかける。

「村境でなく、神社境内に張る勧請縄は珍しく、縄の中央の“イモ“の出来具合がふっくらしていると、その年は豊作になる、とされている。」

それにしても、勧請縄を”カンジョリナワ”と呼ぶことも珍しい。



他にも紹介していた事例に、中地区の初寅の山の神、観音堂・常楽寺の雨降り地蔵もあった。



いずれも興味をもった城陽市の民俗行事。

これまで発刊した『城陽市民俗調査報告書』を購入し、先に学んでから現地取材に出かけてみよう。

常設展示場もざっと観覧して、戻った受付。

貼った拝観シールに許可証も返却した。

そこで受付の職員女性に尋ねた「スナマキ」。

もし、手がかりになる情報があれば、と思って質問した。

現状、今なおスナマキをされている男性がおられるそうだ。

ただし、である。

スナマキに用いる川砂は、業者さんに頼っている、という。

業者さんが持ってきてくれるから、今もしているということだった。

手に入るから継続してきたというスナマキ。

城陽市では最後に残ったお一人と聞いて愕然とする。

上狛で取材させていただいた2軒は、いずれも近くの大川にある川砂を自ら採取して正月を迎えていたが・・。

先祖代々受け継いできたスナマキ。

大和郡山に住む家族もまた先祖さんから受け継いできた

子どもたちも一緒になって年神さんを迎えていた砂撒き作業。

信仰とは別の意識が働いてきたからであろう。

また、水口まつりについても現状を教えてもらった。

実は、都市化の他、高速道の整備にともない、地主さんが土地を離さずにおれない事情があるようだ。

それは、何も城陽市に限っているわけでない。

全国的な傾向にある。

文化的生活もあるが、流通経済を支える国土のあり方にもある。

ここ城陽市では水口まつりの衰退もあるが、郷土名産の寺田イモ(※サツマイモ)である。

新設する高速道路工事によって、これまで栽培していた耕作地が1/3に減少したそうだ。

山麓地でしていた農作地。

田んぼも消えて水口まつりが消滅した、という。

まだまだ聞いてみたい城陽市の民俗。

応対してくださった女性はただものではないと思った。

詳しい事情も把握しているように思えた話題を提供できる人はおそらく調査員であろう。

そういえば、受付の段階で、民俗であれば調査報告書を置いている、と云っていた。

同じ民俗に匂いがする受付者に名刺を渡しておいた。

お名前は、と聞けば、同姓。

これもまたご縁でしょうか。

帰宅して調べてみれば、城陽市歴史民俗資料館古文書・民俗文化財調査員のTさんとわかった。

いずれ、機会を設けて、『城陽市民俗調査報告書』を購入したいと思っていますので、またそのときもよろしくお願いしたい。

なお、水度(みと)神社蔵の「おかげ踊り絵馬」映像もあった五里ごり館の民俗展示。



機会を設けて、現地調査に詣でたいものである。

(R2. 9.21 SB805SH撮影)


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