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マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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奈良県立民俗博物館併設古民家・旧前坊家杉皮屋根葺き替えお披露目建物見学会①

2021年05月18日 09時06分21秒 | 民俗を観る
昭和56年8月8日、大阪市内から奈良県大和郡山市に転居。

身近なところに自然が多く見られる大和郡山。

城下町から少し離れた地域に住んだ。

当時はまだ、コンクリート護岸をしていない富雄川から西に拡がる田園地。

どちらにお住まいですかと聞かれたら、高専に近いですと答えていた。

高専は奈良高専。

正式名称は、独立行政法人 国立高等専門学校機構 奈良工業高等専門学校である。

その高専から少し歩けば、戦後しばらくまでは奈良県農業経営者伝習農場・特産種苗農場があった。

取材地先に尋ねた人生の先輩、先駆者の人たち。

そう、そこで学び、卒業し、地元で耕作している多くの人に出合うこと度々・・。

その伝習農場跡地にできたのが、奈良県立大和民俗公園である。

昭和50年、都市計画決定を受け、整備。

昭和49年11月10日、奈良県県立民俗博物館は、先に開館した。

公園内には、3棟の国重要文化財、10棟の県指定文化財を含む県内各地の特色をもった代表的民家を復元移築。

移築してから早や45年・・。

移築民家は、経年劣化的損傷もあるが、近年はアライグマなどに代表される動物による損壊が増えつつある。

今回、3年計画で実施された県内でも珍しい「杉皮葺き屋根」5棟の葺き替え工事を・・。

公園最奥に建つ「旧前坊住宅」を2年間にわたる葺き替え工事を終え、それを記念に、普段では見学もできなかった”渡り廊下”や”離れ座敷”に、続いて葺き替え工事を計画している「旧木村家住宅・主屋」も内部を公開された。

公開日は、令和3年3月6日、7日の両日。6日は都合つかず、本日いちばんの時間帯に見学させてもらった。

実は、「旧前坊家杉皮屋根葺き替え工事現場公開見学」は、今回が初めてではなく、令和2年2月15日(土)、17日(日)もあった。

工事初期の段階だけに、工事の足場利用の見学であった。

同年の11月21日(土)、22日(日)も、足場利用の見学会。

いずれも出かける日程が合わなかったが、今回こそ見逃さず、機会も失わず・・・いよいよ拝見できる建物内部にわくわくしていた。

県立民俗博物館に足しげく出入りするようになったのは、平成15年2月7日。

桜井市三輪で行われた恵比須神社の初えびす・御湯の神事の際に出合った現奈良民俗文化研究所代表の鹿谷勲氏がキッカケ。

当時の職場は、奈良県県立民俗博物館。

一度、職場訪問をしてほしいと願われたのが発端だった。

住まいする地域が大和郡山市内。

奈良県県立民俗博物館も同じく大和郡山市内。

その後、博物館が所在する大和郡山市内にある民俗行事を調査してほしい、というお願いである。

調査のすべてが終ったわけではないが、ごくごく一部の行事調査を終えて写真展を特別に開催する運びとなったのは、お願いされてから6年も経った平成21年10月に2度目開催の「大和郡山の祭りと行事」写真展だった。

それから1年後の平成22年8月

大和民俗公園内施設の古民家を撮ってほしいというお願い。

総務課の依頼であるが、学芸課から伝えられた撮影指定の古民家は、宇陀・東山集落。

夏、真っ盛りの日に撮影は忍耐どころではない。

ほとばしる汗に難儀した。

撮影した古民家は、翌9月に発行された古民家ポスターに採用された。

その撮影依頼にすべての古民家を巡っていたが、屋内の風情を撮れる民家と、閉鎖され内部を観ることさえ不能だった民家がある。

それが、今回初の内部特別公開された「旧前坊家」。

実は、大和民俗公園は、それ以前から、大和郡山市少年自然の家主催事業の親子観察会に参加していたことから存じていた。

自然観察の場は、時季によって場を替えるが、主に矢田山丘陵地。

里山や矢田山を巡る自然観察会は、自然がいっぱいある大和民俗公園もフィールド地。

春は春に、秋は秋の自然形態が観察できる格好の公園に自然観察会

蕨がいっぱい出ていた場所は、吉野建て住居が建つすぐ近くだった。

観察会から気持ちが離れ、手が勝手に動いた蕨取り。

その日の食卓に味わったこともある思い出の地。

そのことはともかく、何度も吉野建て住居をみているのだが、入室ができない状態だった。



春には真っ赤なボケの花がここに咲く。

また、しめ縄に欠かせないユズリハも観察対象にあったが、入室は不可の「旧前坊家」。

外観を眺めるしかできなかった。

この1年を待つどころか、おおかた20年以上も見ることができなかった「旧前坊家」の内部を見せていただける。

こんな機会は、もうないかもしれない。

県立民俗博物館の担当者に伝えていた見学希望である。

見学時間は、午前10時より。

その日、同じように拝見したく訪れると伝えていた写真家のSさんとともに拝見する内部公開に先客が1組のご夫婦。

愉しみにしてらしていたそうだ。

「旧前坊家」は、大和民俗公園の入り口ゲートから、最奥の場にある。

距離にしておよそ700メートルであろう。

この日と昨日の6日は、主催事業の「梅まつり」。・・・終了しました

ご家族、子どもたちにも楽しんでもらう盛りだくさんのイベントがある。

特に子供たちが競い合って、駆け付けるスタンプラリー。

9つのスタンプを集めても景品はない。

それでもスタンプを押してもらって、梅の花が満開になる達成感にご満悦だ。

古民家入口の扉は木製。

開園日に開く木製扉を抜けたそこは、町家集落エリア

ちなみに博物館学芸課が作成した、見て、読み、学ぶ「古民家たんけんブック」が役立つ。

左側に大和高田市英和町にあった旧鹿沼家住宅が。



右手に茅葺民家の旧臼井家住宅が。

雨戸に障子は、いつも開けている高取町上土佐にあった旧臼井家住宅。

2月13日から本日まで展示していた古民家ひなまつり。



座敷にのぼって撮影する人多し。

お雛さんの被写体とともに映り込むイベントはいつも賑わっている。

さらに歩いたところに建っているのが国中集落エリア。

はじめに行きつく古民家が、橿原市中町にあった旧吉川家。



この時季に咲く白梅入れて撮ってしまう茅葺民家。

外観の佇まいがなんともいえない情感を醸し出す。

その向こう側にある茅葺民家が2棟。



手前が香芝市狐井にあった旧赤土家の離れ。

その向こうが、桜井市の大字・下(しも)にあった茅葺民家の旧萩原家。

平成29年、30年、31年に亘った工事。

およそ40年ぶりに、経年劣化していた茅葺屋根を全面的に修復、公開され、活用することになった令和元年の時代。

その先に建つ古民家は、宇陀・東山集落エリア。

国中集落エリアから歩くはじめの数十メートルは、なだらかな坂道。

カーブ道からは、やや高くなる急坂道。

県立民俗博物館の所在地。

奈良県大和郡山市矢田町545のアドレスをクリックしたマップファン地図では、その高低差は見えないが、古民家それぞれの位置が地図上に出現する。

まずは、八重川家住宅。



元の所在地は、旧都祁村の針。

現在は奈良市針町にあたる地にあった。

旧八重川家住宅からすぐ横に建つ。

かつては室生村の黒岩(※現在は宇陀市室生黒岩)にあった旧岩本家住宅が目に入る。

いずれも茅葺古民家。重厚な造りに圧倒されそうになる。

数十メートルも歩いたら、すぐわかる古民家は、同じく旧室生村の上笠間(※現在は宇陀市室生上笠間)にあった旧松井家住宅。

今回、目的地の吉野建て住宅は、もうすぐだ。



旧松井家住宅から向こう岸に見える2棟の建物。

下って、登る、まるで谷あいのような感覚に陥る道。

逆にいえば、カメラアイから、つい撮りたくなる構図がとれる3棟の位置である。

ようやく着いた吉野集落エリア。

右手に建つ古民家は、かつて十津川村旭の迫が所在地だった。

急斜面、山間地特有の建物構造。

山深い峡谷の地である。

その向かいに建つのが目的地の「旧前坊家」。

吉野山の門前町筋。

金峯山寺仁王門と銅鳥居の発心門の中ほど。

代々の当主は、吉野水分神社の神官を勤めたと伝わる「旧前坊家」は2階建て構造

「旧前坊家」以外は、すべてが平屋構造であるが、「旧前坊家」だけが2階建て。

なぜに2階建てなのか・・。

それは後述する、として、参照していたマップファン地図には、「旧前坊家」が、プロットされていない。

不思議なことであるが、うすうす感じる公開のあり方が関係しているのだろうか。

と、いうのも大和郡山に転居し、県立民俗博物館・大和民俗公園に訪れるようになったが、未だに旧前坊家の扉が開いている状態を見たことがない。

窓も開いていないから、建物の外観を見るだけだ。

念のため調べてみたゼンリン住宅地図に、古民家表記はない。

ヤフー地図も、Goo地図もないが、マピオン地図にあった。

ところが、妙なことがわかった。

マップファン地図には、「旧前坊家」が、プロットされていないが、旧木村家はある。

逆に、マピオン地図では、「旧前坊家」はプロットされているが、旧木村家はない。

また、旧鹿沼家住宅も表記なし。

どっちもどっち、のような、いずれも精細に欠ける地図表記だとわかった。

(R3. 3. 7 SB805SH撮影)

1年間の耐震工事を終えてリニューアルオープンした奈良県立民俗博物館・本館展示初観覧

2021年05月17日 09時03分30秒 | 民俗を観る
待ちに待った1年間の耐震工事を終えて、本日リニューアルオープンした奈良県立民俗博物館

おまけに今日は令和3年3月3日。

目出たいことに、「3」が3ならびの桃の節句日です。

ご挨拶兼ねて、新しくなった常設展示場を拝見してきました。

工事のため、休館していた期間は令和2年2月3日から令和3年3月2日まででした。

では、早速、ご案内・・ですが、東秀好館長さんからのお願いに是非ともSNS発信、拡散も・・。

大いに宣伝してください、ということで、当FBやブログにアップです。

また、本日は朝日新聞に産経新聞の記者さんが、早速の取材。

明日には誌面を、そして奈良テレビも飾ることでしょう。

入口ゲートに迎えの花は紅白の梅花。

青空映える梅花ですが、前日までに吹いた強い風に煽られて、どっと散っていましたが、なんとかこれだけは・・。



デコボコだったアプローチは綺麗に整備されて、途中休憩できる長椅子を設置。

本館の外観は、これまでと同じです。



入館時、足一歩踏み入れたところに設置した自動体温計。

お顔を近づけるだけで測定してくれます。

新型コロナウィルス感染拡大防止のため、マスク着用、消毒液、体温測定などの感染拡大防止対策にご協力、よろしくお願いします。

朝一番、早速、学び活動に、ご近所の小学3年生が先生とともにやってきました。

レポート、メモを手にして、あっちへ、こっちへと展示コーナーを見て廻り。

学芸員のMさん。

リニューアル初の説明。



見たこともないカナダライ(※金たらい)に興味深く聞いていました。

木製の洗濯板は、現在ある施設に出張中。

先方の仕事を終えたら戻ってくるとのことでした。

常設展示ゾーンは大きく変わった。

これまでの展示は「米づくり」、「茶業」、「林業」、「昔のくらし」であったが、リニューアルを機会に大胆に変えた
そうだ。



新しく配置替えした展示ゾーンは、入口から「農村の四季」、「川と人のかかわり」、「郷土のものづくり」、「昔のくらし」の4ゾーン。

どのゾーンからでも見られるよう、導線も確保した。

「農村の四季」では、あらたに豊作の願いに水口まつりや野神まつりなどの行事色も演出した。

右側に見えるのは、かつて賑わした奈良県立民俗博物館のポスター。

1枚だけですが、工事前の本館の様子をとらえた映像がありました。

すっかり変わった常設展示場。

記憶を戻す当時に撮った写真も記録ですね。

小学生だけでなく、地元、近隣に住まいする人たちもやってきました。

魅入るように見られていた同年齢の人たち。

懐かしさもあって盛り上がります。

足で踏んで回す水車。

生きとるみたいや、と思った高齢の婦人。

展示会場は、様変わり。

広い空間に向こうの方まで見通せます。

壁を取っ払って、ライティングも変えて・・。

隣ゾーンのライトも当たるから、明るくなりました。

通路は広く、通風も、換気も、よーなった。



なぬっ、本物のゴーサン札??も展示。

苗代に立てる水口まつりにイロバナ(※生ものは展示できませんので造花ですが・・)を添えて・・。



知る人ぞ知る、野神まつりの祭具。



えっ、こんな大きな、ながーい船があったんや。

これまでも展示してあった川や広い水路を漕いで輸送する船。



今まで気が付かなかったのはゾーンの死角にあったから気がついたのは今日が初めて・・。

しかも2艘もあったとは・・・知らなんだ。

これも壁を取っ払ったおかげです。

高齢の男性も、いままで何度も来ていたけど、どこにあったんや・・って。



茶業に関連する道具もあれば薬関連も。

配置薬の人たちが分担して日本全国に担いでいた柳行李は、小型版ですね。



大和郡山市民なら、必須の金魚道具ですが、ここには金魚は泳いでいませんので、あしからず・・。

そして、本館初登場のソーメン作り道具も・・。



黒光りしている桶。

ソーメン作りに欠かせない、オイル塗り。



その関係で、今も染みたオイルが手につくそうで・。

尤も、白いのは模擬ですから・・。

暮らしの道具の変遷。



おじいちゃん、おばあちゃんと一緒に来ると体験談で盛り上がることまちがいなし。







ポスターは、とにかく多い。

これから、何度か入れ替えをするそうです。



「御田祭と野神まつり」の図絵は、手向山八幡神社蔵の御田絵巻。



描き方がマンガチックのように見える滑稽な作風は、作者がだれなのか、また、いつの時代の作品なのか、趣に惹かれる。

ドドーン。



麦わらで象った大蛇。

赤い目、赤い舌が特徴は、あそこしかない・・・そう、蛇穴(※さらぎ)の大蛇ですね。



コーナー展示は、場所も設営も、そのまんまのガラス張り展示です。

十津川村上葛川の地にあった石置き屋根。



当時、暮らしの民家をとらえたポスターのような情景はもう見ることもない貴重な記録映像です。

はしょりましたが、たっぷり見た帰りも、また梅花。



ほんまに、今日はえー天気。

今後、および将来のために撮っておいた展示ブース・コーナーテーマごとの動画映像。

入館した入口から順に「農村四季」は、「豊作願い」、「米つくり」、「恩恵の水」、「恵みの収穫」、「歓びの祭り」を。

次が、「川と人」に、「船水運、魚捕り」、「金魚養殖、配置薬」、「木馬(きんま)橇、筏水運」。

次は、「郷土ものつくり」に、「綿作道具に奈良茶碗」、「三輪素麺道具」を。

次は、「昔のくら」に、「テレビラジオなど」、「火焚き、食事など」、「白物家電、電話など」。

そして新しく、利用しやすくなった「多目的学習室」。

特別おまけに「ポスター展」は2コーナーに分けて・・。

これら動画も、貴重な映像ですが、当gooブログでは搭載できないのが辛い。

(R3. 3. 3 SB805SH撮影)

貴重な民俗記録誌、『奈良山里の生活図誌』

2021年02月02日 09時59分32秒 | 民俗を観る
これほど待ち望んでいた本はかつてない。

期待とかいうレベルではない。

なぜなら原画ではないが、それに近い絵を拝見していた展示会で願望していた『奈良山里の生活図誌』。

暮らしていたその土地の民俗、習俗を画帳に記録した永井清繁氏。

わかりやすい解説文もあるからそれがなんであるのか、とても分かりやすい。

昭和どころか大正、いや場合によったら明治時代まで遡る可能性も秘めている「奈良山里の民俗」は大切な記録でもある。

不要な部分も映っている写真よりも記憶に残りやすいシンプルな民俗画が素晴らしい。

記録照合にも活用できる優れものは、著者が昔に記憶した情報を思い出されて描いたという民俗誌。

その記憶力もまたすごい。

永井清繁氏の民俗画を初めて拝見したのは平成28年11月11日

いたく感動したものだ。

次に拝見したのは平成30年7月8日

貴重な民俗画を頭に叩き込まなきゃならん展示会場に出したアンケート。

用件を聞き入れてくれた、と思う。

1冊でもうしわけないが、早速注文したアマゾン・ドット・コム

頁をめくるたびにワクァク感が沸騰する。

読後に思わず書き込んだレビュー文。

本名で揚げているので、是非とも見ていただければ幸いだ。

(R1. 5.21 SB805SH撮影)

くらしのうつりかわり展―これ何でできているの?素材と技―in明石市立文化博物館

2020年11月03日 09時38分34秒 | 民俗を観る
明石市立文化博物館企画展<くらしのうつりかわり展―これ何でできているの?素材と技―>の展示写真に協力する。

なるほどと思える素材活用・・・民俗テーマの探し物に出かけてみよう、と思い立ってから1カ月半。

いつ、行けばいいのやらと思いつつ3月7日に決めた。

お世話になった学芸員に都合もあるから打診をした。

当日は仕事休みの回答。

むしろその日が自由な身。

4年ぶりにたっぷり解説をお願いしたいと車を走らせた。

奈良から出発する行路は第二阪奈有料道路を出発点。

大阪・石切からは阪神高速道路に切り替わる。

道路は西へ真っすぐな道であるが、ところどころの箇所で渋滞が発生する。

毎日のことである自然渋滞の状況に当たれば予想時間が大幅に狂いを生じる。

そう判断してセットしたカーナビゲーションが伝える予想時間よりも、30分も早めた出発時間。

行程に2時間は十分にかかると読んだが、トイレはどこで・・。

この行程にあるサービスエリアは1カ所。

神戸の京橋SAしかない。

利尿剤を服用している関係もあって1時間に1度はもよおす難儀な身体。

直前に発生する渋滞に泣かされる。

奈良を出発した時間帯は午前8時半。

京橋SAに着いた時間は9時50分。

手遅れにならなくてよかったトイレ休憩に辺りを見渡してみたらビル群ばかりで、海の眺望は望めない。



京橋SAにある施設は神戸6番館。



ベーカリー&カフェとあったが、いろんなカレーライスにトースト若しくはサンド。



麺類提供がないから寂しい。

後半の行程もまま時間がかかって明石市立文化博物館の到着は午前10時30分。

トイレ休憩もあったがジャスト2時間で着いた。

冷たい風が吹く。



ときおり雨が降るとの予想は大当たり。

入館してから横殴りの雨に雨宿りするハイカーらしき人たちで玄関ホールがいっぱいになっていた。

ところで博物館駐車場の利用方法がとんとわからない。

ゲートがあるわけでもないし、一般的にみられるタイムパーキングでもない。

無人の駐車場に有料としか表記していない取り扱いは・・・。

館に入らなければわかり得ない駐車場の入出庫支払いだった。

受付に座っていた男性に駐車の件を尋ねてみてはじめてわかる仕組み。

つまり自己申告制なのだ。

申告しなけりゃ発行されない駐車時間スタンプシート。

お帰りの際に精算しますというシステムであるなら、通知せずに出館してもわかりようがない。

ウソはかましたくないが、そんな人もいるのでは、と思ってしまう旧態のシステムである。

入館者の私を見ておいくつですかと問う受付者。

65歳以上であれば入館料200円が半額になるという。

明示できる免許証を以って確認できたら100円である。

さて、観覧について制限事項がある。

展示物の写真撮影は禁止。

ペーパーにメモを掻きこむことさえ許可できない。

ただし鉛筆なら許可とあるが、めんどくさいからそこまでしてまでもと思って頭に焼き付けようか。

展示会場は撮影不可ですが、玄関ホールに展示している実物の神輿や舟は構わないというから、明石の民俗は何かの折に役立つことがあるだろうと携帯電話の画像に残した。



この日の主目的は、Y学芸員による企画展の「くらしのうつりかわり展―これ何でできているの?素材と技―」を観覧することだ。

併せて4年ぶりに合うYさんである。

以前、奈良県立民俗博物館の写真展などでお世話になったYさん。

退かれてからも継続開催してきた「私がとらえた大和の民俗」写真展図録をさしあげたく持参した。

懐かしい写真家のプロフィール写真を見てあれやこれやと思い出し。

小林町のあの人たちは・・と、これまた懐かしく現況を伝えてあげた。

企画展の「くらしのうつりかわり展」は毎年に開催されるテーマ企画展。



過去の生活民俗を振り返り、地域の小学校の3・4年生の社会科および総合学習の一環として学びの場である。

学習する子たちにかつての生活体験をお持ちのボランテイア高齢者が支援。

昭和世代から平成生まれの子どもたちに文化を受け継ぐ交流の場でもあると図録に書いてあった。

たいへん素晴らしいことであるが、この日も体験学習にきていた子供たちのどれほどが記憶に残せるであろうか。

三世代が暮らす住居であれば、直に、しかも身をもっておうちで体験、そして育っていくのだが、いかんせんそのようなお家はごく僅かになった時代に日々の体験は望めない。

県立民俗博物館も同じような地域小学生に観覧・体験する学習会はあるが、一時だけ。

先にすべきことは、付き添いする先生たちへの支援であると常々思っている。

身近にいる人たちに体験してもらいたいことは多々あると思っている。

生きた字引でもある高齢者が支援する対象年代は壮年、若年層。大阪万国博や東京オリンピック以降に生まれた新しい生活文化に馴染んだ人たちが対象だと思っている。

私がこの日に拝見したいと伝えた学芸員のYさん。

仕事休みのところをお邪魔してしまったのだが、そのほうが自由に立ち回れると喜んでくれた。

勤務の日であれば特別な計らいは不可。

個別的に対応する解説に就くことはできないから、その方が良かったと言って同館にやってきた。

早速、館内の展示物を案内してくださる。

メモがないので提供してくれた図録を参照、できる限り思い出してここに記載しておく。

自然の素材にどのような道具があるか。

一つは木や竹素材。

二つ目に土や石素材。

三つ目に鉱石素材。

石と鉱石の違いは加工である。

観点を替えて家を作る職人とか井戸周りの道具に屋内、土間、台所などをどの場で使う道具かを素材でみること。

また、道具の時代文化に伴う変遷とか修理、再利用、大量生産に関することも学ぶ企画展である。

まずは藁草履である。

一般的な藁草履を見ることは度々あるが、竹で作った草履はみたことがない。

竹を割いて細くした竹を編んで作った草履に艶がある。

藁製と竹製の違いはそれでわかる。

藁縄がある。

奇麗なロープ造りの藁縄は粗くない。

機械で結ったように思えたからそう伝えたら、その通りだった。

昨年の平成30年11月11日に訪れた大阪・豊能町にある豊能町郷土資料館。

施設管理人のOさんが丁寧に教えてくださった足踏み体験。

佐藤農機社製・サトー式製縄結い機の操作である。

数本の稲藁を突っ込む。

突っ込む穴は2カ所ある。

突っ込んで供給する際に、ミシンのような足踏みペダルを踏む。

そうすることでどんどんと藁縄ができあがる。

その機械を使えば奇麗な藁縄が簡単にできあがる。

貴重な体験に感動したのだが、明石市立文化博物館にもほぼ同型の機械があるらしく、Yさんも同じような体験をしていたそうだ。

千葉県いすみ環境と文化のさとが、発行する「さとのかぜ195号」に載っている足踏み式製縄機は農機具。

小学生の稼働体験に活動しているのだが、破損したときに修理できる部品がない。

いつ壊れてもおかしくない農機具は農機具遺産に指定されてもよかろうと思うのだが・・。

調べてみたら、既に2014年度の機械遺産に大正時代の足踏み式製縄機が世界初として指定されているようだ。

また、ネットオークションに出ていた「岐阜 サトー式製縄機(せいじょうき)縄ない機 足踏み式F-3型」の全型があったので参考にされたい。

藁作品に牛の草鞋がある。

ナベツカミとよく似た形状であるが、牛の草鞋は鼻緒のようなものがある。

一方のナベツカミは構造的にシンプル。

左右の手で掴めるようにしているナベツカミ。

離れてしまわないように直線的な藁紐で繋いでいる。

次の展示物は石臼。

どのようにして使うのか、写真で解説

私が提供した亥の子のクルミ餅を作る際に茹でた大豆を挽いている姿をとらえた写真である。

二人はYさんもよく存じているO夫妻。

奈良市・田原の里に住む夫妻にはずいぶんとお世話になったものだ。

展示の場に炮烙がある。

粘土で作った器であるが、釉薬をかけずに焼いた器。

炮烙焼きで作る料理は蓋をしたら蒸し焼き。

なぜかこの炮烙焼きを、私は「焙烙(ほうろく)焼き」と呼んでいた。

ほうろくでなくほうらく焼き、であるが、どちらが正しいのだろうか。

40年以上も前のこと。

職場仲間と出かけた淡路島。

民宿だったか、旅館だったか覚えていないが、晩食に食べた料理はほうらく焼き。

淡路島では古くから伝わる料理に宝楽焼きがある。

読みはほうらく焼きである。

宝楽焼きに使う蒸し鍋道具は焙烙製。

ほうろくが訛ってほうらくになったと伝えていた。

また、ウエブ辞書では豊楽焼きとして「ほうらくやき」と解説していたから、強ち訛りでもないような気もするが・・。

屋根を葺く屋根職人の展示に写真がある。

映像はY学芸員が前任していた奈良県立民俗博物館の付属施設である文化財指定の茅葺民家の写真である。

奈良県の茅葺家は廃れていく一方である。

茅を採取できるカヤ場の減少。

茅葺きするための原料が消えてしまえば、どうしようもない。

茅葺職人の技術継承も難しい時代。

後継者のこともあるが、所有者の負担が重荷になっているのも事実。

やむなく建て替えた家は新建材という場合も少なくない。

次のコーナーは井戸周り。

展示会場に木製の井戸枠があった。

釣瓶もあるし、手押しポンプも展示しているが、数年前から気になりだした井戸神さんである。

手押しポンプのある井戸に井戸神さんを祭ることはなかったのだろうか。

奈良県内で見た井戸神さんを取材した2地区。

1軒は桜井市小夫の元庄屋家。

もう1軒は明日香村大根田の元庄屋家である。

両方とも井戸神さんを祭っていた。

明石にも井戸神さんがあったのか、それともなかったのか・・。

また、大根田の元庄屋家では未確認だが、桜井市小夫の元庄屋家や宇陀市榛原柳の元庄屋家には井戸とも関係する消防バケツである。

現代的なポリバケツでもなく、さりとて輸入でまかなった銀メッキのブリキ製や亜鉛製のトタン製に移った明治20年ころの輸入の消防バケツでなく、竹で編んだ手桶け式消防バケツ。

和紙を貼り合わせて、柿渋を塗って強固な形にした、さも江戸時代を彷彿する消防バケツであるが、ネットを駆使して探してみるが同等のものは見つからない

ようやく見つかった1件は貸出写真だった。

コリヤナギで作った柳行李(やなぎこうり)がある。

一般的に柳行李といえば衣服などを収納する道具。

大きさはそれなりにあるが、なんと小型にしたものを展示していた。

その道具は持ち運びのできる弁当箱である。

また、杉板で作ったワッパも展示してあった。

かつての弁当箱は懐かしいというよりも手に入れたい代物である。

外側が木製。

内部の壁が亜鉛金属製でできている氷冷蔵庫は実に懐かしい。

大阪・住之江の居住地に小型トラックに乗ってやってきた氷屋さんは荷台で氷を伐っていた。

伐る道具は大きな鋸だった。

地区の子供たち、誰もがしたくなる氷。

鋸で伐ったときに派生する伐り屑的な氷である。

その欠片が欲しくて両手で受けられるよう鋸の下に手を出していた光景を思い出す。

昭和30年代の懐かしい風景もさることながら、その氷冷蔵庫は住んでいた木造民家の旧市営住宅にあった。

やがて木製の冷蔵庫は機械化された。

機械化というのはガスの威力である。

今のような白物家電の電気冷蔵庫でなく大阪ガス製の冷蔵庫だった。

もっと懐かしい道具があった。

ガスストーブである。

鉄製のガスストーブは中央にある白い耐火粘土にストーブ火をあてて温める。

今のような構造ではないからガスストーブ付近しか温められなかった。

火を点けたガスストーブ。

真っ赤な白い耐火粘土に重たい土台が懐かしい。

懐かしい鋳掛け屋さん。

金属鍋などの修繕にやってきた鋳掛け屋さんに近所の奥さま方が集まっていた。

張り板に伸子針が懐かしい。

うちのおおばあさんは着物を塗っていた。

裁縫手伝いはよくしたもんだ。

洗いもしていたから張り板に竹ひごのような伸子針があった。

おおばあさんにおふくろがしていた洗い。

屋外に吊るして乾かしていたな。

1階ロビーに展示していたテレビと冷蔵庫は撮影可。



左側は丸型のチャンネルが懐かしい白黒テレビ。

昭和28年に日本初のテレビ放送が始まった。

我が家にも懐かしいほぼ同型の白黒テレビがあった。

私が8歳くらいのころだった昭和34年4月10日

当時皇太子殿下だった今上天皇が正田美智子さまがご結婚されたときである。

白黒テレビが放映していた映像に近所の人たちがどっと我が家に集まって見ていた。

ご成婚のパレードに馬車移動していた映像を思い出す。

また、当時はプロレスが大人気。

リングで勝負する力道山に鉄人ルーテーズの姿をとらえるテレビ中継。

このときも近所の人たちが見に来ていたが、風呂屋さんでも見ていたような気がする。

我が家にあった白黒テレビは特注。

東芝とかのメーカー品ではなかったと記憶する。

親父はなんせ新しもん好きだった。

なんでもそろえることはなかったが、地域でテレビがあったのは我が家だけ。

自慢だったような気がする。

もう一つの展示品は手回し式ローラー付きの洗濯機。

洗いは洗濯槽で洗うが、水絞りは手動。

ローラーに挟んで手で回す。

詰め込みすぎると負荷がかかる。

子どもの力では無理があるから一枚、一枚の洗濯物を挟んでいた。

暮らしに関わる展示は懐かしさもあって実に飽きない。

生きてきた暮らしそのものが民俗。

生活文化の発展にともなう変遷を知る。

暮らしに役立てた道具の成長具合や過程も学びであるが、体験者だからこそ道具を語ることができる。

別部屋では紙芝居を現代の小学生に話していた。

語りや子供たちに対する話し言葉もさることながら、昔の体験を持ち合わせない子供たちに上から目線的な話法。

当たり、外れの接し方も受けから目線的言葉。

なぜに子ども目線に落として話せないのか・・・傍で聞いていて、思わず顔を顰めた。

常設展も案内してくださるY学芸員。

ここも記録のできない会場に、これはと思った民俗行事。

メモもできない展示に地区名も記憶に残らないが、初祈祷のような行事に惹かれたことだけは確かだ。

明石は漁港の町。

漁に関する民俗が多々ありそうだ。

平成27年度登録の明石市指定文化財。

いくつかある無形民俗文化財を見る機会があれば、是非とも伺いたいものである。。

ちなみに1階ロビーに大きな船を展示している。



有形文化財の「ケンサキミヨシ」。



明石を代表する漁船である。



船首材である水押の先端が剣のように尖がっている形態から名がついた「ケンサキミヨシ(剣先水押)」である。

船の向こう側にある展示物は布団太鼓台。



明石市二見町・西二見で使用されていた「屋台(太鼓)」。

明治時代の後期に新調された西二見の屋台は同町東二見の御厨神社の祭りに担がれていた。

屋台は地面に投げ落とすなど荒々しい担ぎ方であったため損傷が激しくなり、平成12年の明石千年の夢まつりを最後に当館で保存することにしたようだ。

(H31. 3. 7 SB932SH撮影)

冬のくらしとあたたまる道具に企画展の写真協力in県立民俗博物館

2020年06月29日 09時22分46秒 | 民俗を観る
前年に、昔のくらし関連展「あたたまる道具」を開催された奈良県立民俗博物館のイベント。

「あたたまる道具」にスポットをあて、寒い冬の暮らしに、日常生活に必要な冬のくらしを紹介する展示。

懐かしい昔の生活に使っていた暖房器具や防寒具の他、酒造りに暖気樽の利用とか養蚕で用いられる養蚕火鉢など、冬の生業に使われた暖房具の紹介だった。

平成30年の年末に、今年も続いて紹介される冬のくらしとあたたまる道具コーナー展。

展示物品に相応しい民俗写真を願われた学芸員さんの要請に見合う写真はあるだろうか。

所有する私がとらえた大和の民俗写真から探して選んだ写真は11点。



「冬を過ごす、冬をたのしむ」展示物は身体を芯から温めてくれる道具がいっぱい並ぶコーナー展。



同じ並びにもう一つのコーナー展は「くらしの中の変化―情報を伝える―」。



昔の通信機器が懐かしい展示物もある。

展示物はまだある。



大和郡山市と云えば金魚生産。

養殖の必要な道具もいっぱい並ぶ「生業」のくらし道具は特別企画展ブース。



展示期間は平成30年12月8日から翌年の平成31年2月24日まで。

今回の展示にあらたに展示協力した写真は、ブログに公開している。

一つは五條市大塔町・阪本の軒下の吊るし柿

二つ目にあげたこれも干しもの映像。

宇陀市榛原・山辺三の干し物はネットで防ぐ鳥獣あらし。

三つ目は、宇陀市榛原・内牧の干し物。

海のない奈良県に魚の干し物を見つけた。

四つ目はバス通り路に天日干しのキリボシダイコン

奈良市八条町の川沿いの通りに見つけた。

次の写真は“通信”のブース。

一つは、大和郡山市大江町の民家に届ける元日配達の年賀状。

郵便配達ご苦労さん。

二つ目は、奈良市別所町の花咲き運動に見た民家に咲くコスモス。

美しい花に埋もれることもない郵便ポスト

投函したお便りは村から村へ伝達する。

金魚養魚池に見る大和郡山市の生業情景は、簾を用いて金魚を寄せて収穫する出荷のあり方に後片付けもする天井町のご夫妻の姿

また、夕景に映える小南町の養魚池も提供した。

これらは、くらしから読み取る明治150年企画展の写真協力。

それ以外に、常設展示場に設置された矢田坐久志玉比古神社寄贈の神輿を飾る4枚の展示写真も確認した。

展示物の神輿は動かないが、神幸祭の神輿巡行もまたブログに紹介、見てくだされば幸いだ。

ただ、ライテングの関係で色具合が黄調になってしまった。



常設展示なので機会あれば撮りなおしてみたいものだ。

その写真は上下2枚に掲示さているが、私自慢の写真は上。

軽運搬車に乗った農家の方。

その向こうにある田んぼが半円形。

それに沿って描かれる彼岸花が彩るカーブラインが自然な姿を描く一場面。

できるなら春夏秋冬の時季ごとに撮ってみたいと思うって未だに達成せず・・・。

学芸課への協力は写真提供だけでなく、たまには取材した習俗・民俗も話題提供もある。

県内各地の民俗取材に、えっと思えた行事に特別な作法もあればお家でされている習俗もある。

わくわくする貴重な行事に出合ったときに伝えておきたい報告事項。

2カ月前に取材した大宇陀栗野の芋洗い。

民家でされていたゴリゴリ芋洗い。

同地区の神社行事に見た「サカシオ」には驚いたものだ。

また、各地でいただいたさまざまな祭具を自宅保管している。

平成25年度末に60点余りを寄贈させていただいた。

それらすべてではないが、平成26年5月3日から6月29日までの期間にコーナー展で展示された「まつりの用具」展

急遽決まった講演の演題は民俗写真家が語る「まつりの用具」であった。

寄贈したらすっからかんになくなったが、その後も増加の一方。

一品、一品が徐々に増えていく「まつりの用具」。

自室を占領するくらいの量になってきた現状。

中でも特筆すべき用具がある。

我が家の玄関に立てた3mもんのオコナイの塔婆から話題は桃香野に見た5mものの“ナガイキ(長い木)

県立民俗博物館には、榛原長峯・長安院で行われる修正会に登場するウルシの祈祷札がある。

桃香野のナガイキはそれ以上の長さ。

凌駕する長さにあっと驚くが、こればかりは一老家保管。

外へ出ることはない。

(H30.12. 8 SB932SH撮影)

海神への供物Ⅱ~厳島神社と天王寺楽所~in中之島フェスティバルタワーホール

2020年06月17日 11時14分49秒 | 民俗を観る
前回に鑑賞した舞楽は「海神への供物Ⅰ~住吉大社」だった。

今回は場も替わって厳島神社。

とは言っても、場は正真正銘の広島県にある厳島神社ではなく大阪・中之島フェスティバルタワーホール。

前回の「海神への供物Ⅰに続く、天王寺楽所(がくそ)が演舞を披露するシリーズ2回目になる海神への供物Ⅱ~厳島神社である。

素晴らしい演奏鑑賞券を贈ってくださったのは天王寺楽所(がくそ)(以和貴会)に属されるMさん。



第二部の奉納舞楽に演奏される鳳笙演奏者である。

前回に受けた感動をまた一人だけではもったいない。

そう思って写真家のKさんを誘った。

舞楽を舞台で鑑賞するのは滅多にないこと。

また、私の好きな管弦舞楽の「蘇利古(そりこ)」を是非見てほしいとと伝えたら、速攻で承知してくださった。

前回の鑑賞で反省した遠眼鏡がある。

ある、のではなく持っていったらどれほど良かったかと反省する点である。

干渉波オペラグラスが良いのだが持ち合わせている遠眼鏡は自然観察会で活用していた双眼鏡。

8倍ズームしかないので鮮明に見えるかどうか心配だが。

その反省点はKさんに伝えていたら同じような双眼鏡を持って来られた。

さて、本日の演目である。

厳島神社の高舞台(※国宝)は大阪・四天王寺の石舞台(※重文)、住吉大社の石舞台も重文。

これを日本三舞台と云われている重要な奉納場。

特に厳島神社の高舞台は、海に張り出した独特な景観を浮かび上がらせる場である。

この三舞台すべてにおいて古来より天王寺楽所が舞楽を奉納してきた。

第一部の演目は、和琴が加わる管弦祭から始まる。

曲目は平調音取(ひょうじょうのねとり)、「早甘州(はやかんしゅう)」、「太食調音取」に管弦「抜頭(ばとう)」、夜多羅拍子(やたらびょうし)の演奏、祭式行事作法を経て、厳島神社の古様の装束で舞う「蘇利古」。

五人舞で演じる管弦舞楽である。

15分の休憩を挟んだ第二部は奉納舞楽。

修祓より始まって舞楽は2曲。

振鉾(えんぶ)に萬歳楽である。

続いて、楽曲の十天楽(じゅってんらく)を奏されて祭式行事作法が行われる。

そして舞楽の「蘭陵王」である。

届けてくださった鑑賞券を指定席券に引き換えてもらって指定席を探す。

探すといっても座席がどこにあるやら調べているうちに時間が・・。

迫ってきた時間に大慌て。

ホールにおられる職員さんに指定席券を提示して誘導してもらう。

案内された席に座った途端にホールの照明が落とされて緞帳があがってきた。

間一髪間に合った公演が今まさに始まった。

騒めいていた会場は一瞬に静寂を奏でる。

舞台に照明があがって目が慣れてきた。

腕時計をみれば午後6時半ジャスト。

間に合ってほっとする中、演奏が聞こえてくる。

和琴、鳳笙、太鼓、篳篥、龍笛に楽琵琶などの音色で幕開き。

矛を左右に剣を立てて、中央に鳳凰を配した舞台が美しい。

双眼鏡で覗いてみれば、その周りいっぱいに天から降り注いでいるかのように見える榊、シデ。

忘れずに双眼鏡を持ってきたことに感謝する。

6時ジャスト、緞帳があがって演目が始まる。

第一部は厳島神社の管絃祭。

日本三大船祭とされる管絃祭仕立てを天王寺楽所(てんのうじがくそ)が奏そうする。

和琴、太鼓、鉦鼓に龍笛、篳篥、鳳笙、楽琵琶の音色で幕開き。

鉾を左右に剣を立て、中央に配置した鳳凰。

周りいっばい榊とシデ(紙垂れ)シデを設えた舞台。

腕を組んだ眠りに、神官が献饌をしたら、いったんは退室する一幕。

1曲目に平調音取(ひょうじょうのねとり)。

そして2曲目の管絃・早甘州(はやかんしゅう)、太食調音取(たいしきちょうのねとり)から3曲目の管絃・抜頭(ばとう)を夜多羅拍子(やたらひょうし)で演奏される。

厳島神社からは斎主を務める宮司に権禰宜が管絃祭における祭式行事作法を執り行う。

そして、第一部の幕締めに管絃舞楽・蘇利古(そりこ)を演奏披露される。

安芸の宮島、厳島神社で行われる本来の管絃祭に登場する舞楽・蘇利古の姿を観たいが、今回は演奏のみ。

不思議、としか言いようのない雑面(ぞうめん)を被り、白楚(※ずわえ・ずばえ)」という棒をもつ舞うその姿を拝見するには広島へ行くしかないが、この年の4月22日に行われた大阪・四天王寺で行われた聖霊会舞楽大法要の場で拝見できたから、良しとしよう。

午後7時15分にもよおすそれに、ソロリと音を立てずに退出する。

第二部の楽奏は太鼓に鞨鼓、鉦鼓の管方。

鳳笙、篳篥、龍笛はそれぞれ15名程度が奏でる奉納舞楽。

振鉾(えんぶ)、萬歳楽(まんざいらく)・・・しっかり見て、聴こうとするのだが、どうしてもうとうとしてしまう。

時間帯も、演目に演奏の夢見心地。

ここで一眠りしてしまった。

・・なんらかの神事(※祭式行事作法の付楽十天楽“じゅってんらく”)があったのかのように思えるが、それは夢の中。

蘭陵王の舞が終わるときの拍手で目が覚めた。

退出音声(まかでおんじょう)の長慶子(ちょうげいし)を耳にしながら、会場を後にした大都会の灯り。



ご招待してくださった高野山に修行され得度されたMさんに感謝するとともに、この夜の宴にまでご縁を繋げてくださった。

この場を借りて厚く御礼申し上げる次第である。

(H30.11.26 SB932SH撮影)

奈良学とのであい・山里に行き交う職人たち-天理市福住永井清繁画帳から-in奈良県立図書情報館

2019年12月29日 10時16分57秒 | 民俗を観る
写真家のKさんがFBで伝えていた画帳展示会である。

展示ポスターにあるキャプションに「文部科学省平成29年度私立大学研究ブランディング事業採択/帝塚山プラットフォームの構築による学術的「奈良学」研究の推進」とある事業の一環であろう。

要は素晴らしい事業採択であれば、文部科学省が支援補助金を出すみである。

つい最近、事件報道されたキーワードが「文部科学省私立大学研究ブランディング事業採択」。

その事業を悪用し事件を起こしたのは東京の某大学に文部科学省の役員だった。

真面目に事業をしている大学にとってはえらい迷惑な事件であった。

アプローチは帝塚山大学文学部日本文化学科現代生活学部居住空間デデザイン学科。

今回の展示一役買って出たグループであるが、私が注目しているのは故永井清繁氏が70歳のころから記憶を手繰って思い出したように描いてきた天理市福住の民俗である。

初めて画帳を拝見したのは生誕の地の天理市福住。

福住公民館で行われていた展示作品の一枚、一枚に感動の連続だった。

今回展示される作品展は、福住展示とはまた違って職人の仕事をテーマに繰り広げる画帳展。

職人の姿もまた民俗である。

かつて、されていた当時の姿をまた画帳で見せてくれる。

気がついたら最終日であった。

この機会を逃したらもう見ることは不可能だろう。

そう思って弾む心を抑えつつ車を走らせた。

展示会場は奈良県立図書情報館

展示作品一切は撮影禁止である。

以前、同館で展示していた私の写真作品であるにも関わらず断られたことがある。

著作権者であろうが、それはダメというから厄介な展示施設と認識している。

平成28年10月28日。

作品は同じ県立の奈良県立民俗博物館の事業である第5回「私がとらえた大和の民俗―衣―」写真展のサテライト展示。

いわば巡回展のような形態であるが、図書情報館も奈良県立。

同じ県であるのに撮影禁ズである。

4月10日に拝見した第3回山の辺の道“奈良道”写真展にも撮影禁ズ。

うち一枚は入選した私の写真さえ、記録も撮れない図書情報館の展示にはいささか面倒なことである。

撮影できなければ目で記憶するしかない。

しかし、だ。

30枚もある作品のすべてを記憶するには到底無理である。

貴重な民俗を今に伝える作品は、どうか、ご本の形で出版してくださいとアンケートに書いてお願いしたが・・・。

作者である明治38年生まれの永井清繁さんはすでに故人。

80歳のころにそれまで暮らしてきた情景を思い出しながら描いたという画帳である。

つまりは絵画の現場でスケッチしたわけではなく、すべてが記憶で描いていたというから、真似のできないすごい能力をお持ちだったようである。

一枚、一枚をじっくり鑑賞していたときである。

数人のご婦人たちがお話されているのが自然と耳に入る。

どうやら地元の人たちに説明と、いうか、生前の永井清繁さんをよくご存じだったのか、素晴らしい画帳をどういう具合にして描いていたか、感心しておられた。

話しぶりから永井さんに近しい家族さんのようだ。

感動する画帳作者の家族さんとの出会いにお声をかけさせていただいた。

伺えばなんと永井清繁さんの娘さんのSさんだった。

Sさんが話してくれた製作当時の父親の姿。

70歳を迎えた昭和50年代である。

生活文化どころか世の中の潮流。

急速に変化する状況に子どもたちや孫さんに福住の昔の生活はこうだったんだよと伝えたい思いから絵を描き始めたという。

私はてっきり永井清繁さんが暮らしていた時代を描いていたものだと思っていた。

70歳になられた永井清繁さんが自身の記憶を辿り、その記憶の情景を思い出し描いた、という画帳。

鉛筆で下書き、自宅に戻ってすぐさま絵付け。

毛筆を用いて顔彩で彩色する日本画の手法で描かれた絵の素晴らしさ。

背景も人物も当時の姿のまんまを描いたのだろう。

嫁入り、出産などの人生儀礼に、正月、お盆、亥の子などの年中行事。

地元氏神さんを祭る氷室神社の秋祭り大行列に農作業、山仕事、茶製造などの生業。

桶屋、鋳掛け屋などの職人の姿もあれば村議会から小学校の様子に衣服、髪型などの絵もある。

永井清繁さんは呉服屋さんを営んでいたこともあって衣服のち密さには以前に拝見した福住公民館展示を思い出す。

当時の絵に説明文も付記していたのは、まさに子孫に伝えたい、今では見ることのない福住の暮らしである。

Sさんは、前日の7月7日に「父を語る―思い出すままに―」をテーマに特別講演をされた。

そのときの資料がありますから、送ってあげますと云ってくれた。

後日に届いた資料は、今展示のチラシパンフだった。

そのチラシに氷室神社・秋祭りの縁日・売り子の姿とか木こり作業の「さき山し」の絵を添えていた。

また、裏面には木挽き、さき山し、こうや(※染物の紺屋)、かごや、小間物や、魚や、露店(※よみせ)などもある。

数事例であるが、頭で記憶のできなかった画帳映像の一部が蘇る。

この場を借りて厚く御礼申し上げる次第である。

※ その後のその後である。

展示の日から数えること9カ月後である。

アンケートにも書かせていただいた出版希望。

民俗詩誌としても十分に活用できる記録図絵。

お願いが通じたのか、平成31年3月31日付けで天理大学出版会から出版された『奈良の山里の生活図誌』画・解説は永井清繁。

著者は天理大学高田照世氏。

価格は私にとって高額であるが、価値のある本誌は急ぎ求めるに至った。



映像は我が家の藪庭に咲いていたカサブランカ。

(H30. 7. 8 SB932SH撮影)

突然の症状に大わらわの-飛翔-作品展

2019年12月15日 10時46分01秒 | 民俗を観る
今回で18回目を迎えた2018西井康元と藍山会本藍染作品展。

今年は、特に30周年記念にあたる年。

作品テーマは、飛翔。会場は例年通りのやまと郡山城ホール。

主催する西井康元さんに一年に一度、お会いできる作品展。

力作に見惚れる藍染作品に学ぶことが多い。

今年も期待して出かけた会場に西井さんと同級生だという男性と少しばかり会話してから記入する芳名帳。

受付に西井さんの姿が見えないから自宅に戻っているのだろう。

そう思ったが・・・。

受付女性の話しによれば、前日の昼までは元気に振る舞っておられたが、しんどいと訴えて自宅戻り。

訴える西井さんの顔色が、土色のような状態だったそうだ。

30年も前になるが、私も土色の顔になったことがある。

夏場の営業で日に焼けた、というような日焼け色でなく、どす黒い土色とわかったのは、営業途中に入ったトイレの鏡であった。

我慢に我慢を重ねていたが、実は2カ月間も入院した大病だったころを思い出す。

それは、心配である。

受付女性がいうには、天理にある大きな病院で診察してもらいに行ったと。

2カ月に一度は私も通院している病院であるから安心できよう。

そういえば最近になってやせ細ったような気がしていたという女性。

今年は、大きな商談があっても作品作りは例年のごとく、瀬戸際までかかっていた。

1年も前からあるんやからもっと前から作品作りをすればいいのに、と云っても受け入れてくれなかったらしい。

心配する病院行き。

息子さんがFBで伝える症状は急性虫垂炎だった。

手術ならびに一週間以上の入院加療。

退院してもしばらくは自宅療養を要するが、大きな病気でなくてほっとした。

(H30. 6.29 SB932SH撮影)

大阪・八尾市立歴史民俗資料館市制70周年記念特別展・豊作への祈り~大阪府内の農耕儀礼~

2019年12月06日 09時51分39秒 | 民俗を観る
大阪の八尾市立歴史民俗資料館で市制70周年記念に特別展を開催していた。

テーマは「豊作への祈り~大阪府内の農耕儀礼~」である。

そのイベントを知ったのは第8回目になる「私がとらえた大和の民俗」写真展の打ち合わせに寄せてもらったときである。

ホールに置いてあるちらしの数々。

その中に置いてあったのが冒頭に書いた豊作への祈り~大阪府内の農耕儀礼~」である。

残念ながら特別講演会も学芸員が話すミュージアムトークとも終わっていた。

もっと前に知っていたなら、スケジューリングしていたと思われるが、生憎、すべてが行事取材日と重なっていた。

企画展の日程は4月28日(土)~6月25日(月)まで。

なんとか調整がついたこの日に見学することにした。

資料館の所在地をカーナビゲーションにセットして車を走らせる。

カーナビゲーションが誘導する車道は第二阪奈道路が優先。

そのコースなら早く着くが費用削減の判断で地道優先とした。

生駒山の山越えは阪奈道路。

下って大東市の東大阪変電所信号を左折。

外環状線に沿って南下する。

石切、瓢箪山を越えて八尾の千塚信号を曲がる。



そこからすぐ近くにある八尾市立歴史民俗資料館に着いた。

ゆっくり走った片道時間は40分。

迷いもせず、しかも思ったより近い位置にあった。

65歳と告げても証明書は要請されなかった。

特別展の展示も拝見できる入館料は200円である。

まずは常設展。

古代にあった河内湖から発掘された古墳時代に河内木綿。

その間にあった大きな時代変遷。

大和川の付け替え工事である。

私は生まれも育ちも現大和川下流の大阪・住之江であった。

昔の様相を知るのは大切なこと。

時間たっぷりかけて拝見する。

部屋は替わって特別展会場に移った。

今回の目的は「豊作への祈り~大阪府内の農耕儀礼~」の展示にある。

多くの農耕事例から選んだ地区/儀礼は次の通りだ。

八尾市・恩智中町に鎮座する恩智神社の行事である「粥占神事」、「おき上げ神事」、「卯辰祭」、「卯辰祭供饌行事」である。

八尾市・神立に鎮座する玉祖(たまおや)神社の「御粥供」や八尾市・八尾木地区の「八尾木(やおぎ)民芸つくりもん祭り」もあれば、大阪南部の和泉市・桑原町の山乃神まつりも・・。

八尾市だけであれば、農耕儀礼テーマに沿う行事が少ないからなのか、関連する大阪府下の他所で行われている行事も紹介している特別展。

東大阪市・出雲井町に鎮座する枚岡ひらおか)神社の「粥占神事」。

大阪・平野区平野宮町に鎮座する杭全(くまた)神社の「御田植神事」や大阪・住吉区住吉に鎮座する住吉大社の「御田植神事」、和泉市・桑原町の「山乃神まつり」。

八尾市だけの行事だけでなく、農耕行事に関連する大阪府下の他所行事を紹介していた。

展示会場撮影禁ズの「豊作への祈り~大阪府内の農耕儀礼~」の展示。

頭の中に閉じ込めようとガンバッテみたものの、一日過ぎるごとに消えていく。

学芸員に声をかけた巻物に書いてある「徐福」の文字。

どういうことなのか知りたくて伝えたら、「書いてますか?」と、即座に返されたので、それ以上のツッコミはできなくなった。

会場でお会いした男性学生さん。

大阪経済法科大学1回生。



京都宇治・六地蔵出身の青年が資料館で調査されていた住吉大社御田植神事。

出仕される植女(うえめ)の萌黄色装束・市女笠冠・服飾りに興味をもち短文の報告を纏めて大学報告するという。

特に、と話してくれた衣装紋の野鳥。

その野鳥は鷺と判断。

樹は松と話してくれた。

なかなかの目利きが嬉しい。

青年の祖母は製茶販売の永谷園の直系分家らしく小学生のころに製茶に興味をもったといい、一所懸命にメモを採っていたが嬉しい。

企画展の図録は600円。

購入に併せて平成22年に解散された富士垢離講などを掲載する平成22年度特別展「高安の神と仏--人と信仰」図録は500円。

値打ち物の記録であった。

帰宅してから企画展図録の巻末資料に目を落としていた。

えっ、と嗚咽がでそうになった一行に・・・。

第3章-収穫の感謝-に紹介されている「八尾木(やおぎ)民芸つくりもん祭り」がある。

平成29年の9月23日に訪れた大阪・八尾市の八尾木

突然の取材訪問であるにも関わらず行事のことを教えてくださった中西勝晴さん他有志一同の皆さん。

作りもんの立山を設営していた当主の中西さん。

一回り取材してご自宅に戻ったときに聞いた件。

作業の疲れがでたのか、作業場から離れる際に倒れ、救急車で搬送された。

数時間後には戻ってきたが、今は横になっていると伝えられた。

その中西さんの名が「写真提供者および機関」に名前が載っていた。

だが、表記は「故人」。

涙がでてきた。

もっと伺いたかったかつての八尾木。

最後になった作品は、企画展図録に行事の様相をおさめた写真を掲載している。

当日は、私も取材させてもらった写真を掲載している。

「大河ドラマ おんな城主 直虎」展示写真を見る度に心が悼むことになるだろう。

なお、八尾市立歴史民俗資料館で拝見できるビデオ映像があるらしい。



玉祖(たまおや)神社の夏祭り・高安祭や常光寺お練り供養・大般若経会、八尾黒谷の夏祭り、八尾歳時記などは視聴したい民俗である。

(H30. 6.22 SB932SH撮影)

安堵のいま・むかし~辻本忠夫氏スケッチ画より~in安堵町歴史民俗資料館

2019年08月16日 08時24分30秒 | 民俗を観る
民俗スケッチ画展示企画展を拝見したく立ち寄った安堵町歴史民俗資料館

奈良県生駒郡安堵町にある施設である。

これまで目と鼻の先まで近寄っているのに入館はしたことがない。

これまで何度か東安堵の六斎念仏講の取材をしたことがある。

随分前になるが、お盆のときに講中が檀家詣りするのについていって撮らしてもらっていた。

早朝の6時だったと思う。

段階参りの際に、安堵町歴史民俗資料館の前を通っていったことがある。

また、お盆の先祖さんを迎える習俗も取材させてもらった。

その日は田んぼに映るカンピョウ干しの状況も見ていた。



所要ついでに入館した安堵町歴史民俗資料館では3月28日から5月31日までの期間に企画展を開催していた。

企画展は「安堵のいま・むかし~辻本忠夫氏スケッチ画より~」。



安堵町出身の辻本忠夫氏が生前に描きつくした安堵町のさまざま風景・暮らし・生産・軽便鉄道などなど。

作品点数は相当な枚数のようだが、展示会場の広さ関係もあって70点の展示。

息子さんだと思われる人がテレビ報道に応えていた父親の偉業に興味を覚えたこともあってやってきた。

安堵町やその周辺などを描いたスケッチ画は大正時代から昭和30年代のかわりゆく季節や風景が多いそうだ。

展示作品の撮影は禁じているが、配布される列品リスト(写生・個人蔵)については特に注意書きもない。

ざっと展示章ごとにタイトルだけでも記録させていただく。

1章は同村の盟友でもある富本憲吉氏と関係事項だ。

学びの大阪市立実業高校のその作品や富本憲吉氏と関係する写生集など。

2章は昔の娯楽。

蓄音機、テンチャン遊び、ばいがち合ひ、べったの勝負である。

大阪生まれの大阪育ちの私ら子どものときに遊んでいたものと同じだが、我が故郷では“べった”でなく“べったん”と呼んでいた。

3章は安堵町の一大産地であった梨果実の生産である。

梨砧木の買出し、梨の薬剤散布、梨の花さかり、梨出荷帳簿(個人蔵)、梨の袋張り、梨そろへ、梨の市場、梨倒し、梨包紙図案と包紙。白い花の梨が広がる梨畑。

その絵を見て思い出すのが、安堵町より東にある大和郡山市の額田部町。

今では面影も見られないがここは桃色一面に拡がる桃の一大生産地。

両者が揃っていた時代は合致する。

もし、今でもあるならドローンを飛ばして眺めてみたいものだと思った。

4章は懐かしの風景。

大和川のようす、岡崎風景・埜神の森、名阪国道と岡崎、いせきの大工事、しんちゆの橋とドンドン、笠目の橋、馬場塚、土管ふせ、法隆寺自動車学校開校、西安堵風景、はしもと、名阪国道(西安堵側・架構橋工事)である。

5章の天理軽便鉄道。軽便鉄道の着く工事、天理軽便鉄道安堵駅、大和安堵駅南側周辺風景画、法隆寺駅前の運送店。

6章は行事と祭礼。

笠目の橋と明治大帝、奉祝、正月の大トンド、歳越の晩、野辺送り1、野辺送り2、盆踊り、競馬(くらべうま)<飽波神社の祭り>、父の還暦祝いのどれもこれも民俗そのもの。

じっくり眺めていたい今では見られない貴重な画である。

7章は戦争と暮らし。

応召、金属回収、食糧増産(富雄川堤防開墾)。

8章にお米ができるまで。村の川堀り、さなぶり、草取り、刈りぬけ、稲こき、籾干し、籾の乾燥、米つき。

これもまた生活のなかで見られる民俗。

“カリヌケ“の在り方は大和郡山市の田中町にお住まいの方の作法を取材したことがある。

また、桃畑の産地だった大和郡山市の額田部町在住の高齢者からも同名の在り方をしていたと聞いている。

さなぶりは、現在の平坦部ではもう話題にも上ることのない、節目の豊作を願う農家民俗。

逆に苗代作りにおける水口まつりを描いた作品はなかった、のかである。

刈りぬけにさなぶりが描かれているなら水口まつりはあっても良かろうと思うのだが・・・。

今では見ることのない当時の様相がわかるスケッチ画



キャプションがあるから画も生きている。

貴重な民俗資料であるが、無断転載はできない。

もう一度拝見したくともお目にかかれない。

できるのであれば、後世のためにも、この素晴らしいスケッチ画集を発刊していただければありがたい。

企画展だけではなく、さまざまな民具も展示されている。

ざっと挙げれば、農耕における収穫・脱穀・調整の道具に運搬、消防、竹と生活、漁撈と竹、生産に養蚕と竹の他、実にさまざまな食事用具がある。

軽便鉄道の縮尺モデルもあるし、安堵町は燈心生産が盛んだった地区だけに、今でも伝統を継承すべく講習会も開かれているようやに聞く。

盛りだくさんの民俗資料館は短時間の学習では追っつかない。



屋外にでれば東屋のある庭園で一服することもできる。

館の鑑賞を終えて外に出れば燈心作りに必要な材を育てている。

田主はその場にいる案山子ではないだろう。

(H30. 4.13 SB932SH撮影)