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ASAKA通信

ノンジャンル。2006年6月6日スタート。

「2020、spring」

2020-06-19 | Weblog

 

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従順な羊たちは場に並んでも「列を乱すな」と互いをいさめ合うのか。
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勧善懲悪。正義は勝つの論理。拍手喝采する心の原理的動き。
これを超えるには、倫理ではなく、
別の原理、別の関係のエロスの所在、
普遍的な生の享受可能性を告げる〝何か〟(人権)が見出されなければならない。
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一つの状況にフォーカスする「正義」ではサイズが足りない。
無数の状況がつくる「状況のクラス」を相手にするためには、
「正義」とは別の拡張されたスコープがいる。 
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社会は〝正気〟を保つために、外の視線、
内部の論理に呑みこまれない〝不逞な輩〟を必要とする。
「悪法は法に値しない」という自己修正の契機は、
つねに法全体を対象化する〝法の外〟の視線から訪れる。
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白組か紅組か。善か悪か。幼稚園児の塗り絵レベルの思想もどき。
思想と呼べない、「左-右」、良くみて横断歩道を渡りましょう。 
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ミネアポリス、虐殺の光景。虐殺を許す絶対的分断線。
けずりあう世界。けずりあう日常の関係パターン、救いのない、その極相。
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最後にもうひとつ、基底をつくる退行論理がある。
「生まれたくて生まれたわけじゃない」
その人というより、絶対に政治家にしてはいけないコドモがトップにまつられる構造。
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「オトナの階段~♪」が壊れている。
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大日本、純正「よい子モデル」がいまだに生き延びている。
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「私の体と権利を守ろうとしてくれる社会」じゃない社会、じゃない社会へ。
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鼻くそもジャズの資源になる。
鼻くそはそんなことも知らずに、人生を素どおりしていく。
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〝錦旗〟、憲法9条を取り合うゲーム。
世界大に拡張できない凝固作用、関係の重力、ローカルな法則。
われわれは自陣の加点と敵陣の減点を示しあい、
一喜一憂するだけの「目くそ鼻くそゲーム」のなかにいる。 
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加熱して暴走するマシンには、サーモスタット(冷却機能)が装備されている。
個人にも社会にも、そんなものが装備される必要がある。 
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正義が先鋭化すると、不正義は撲滅、せん滅の対象になる。
「正義-不正義」の戦線をのりこえる別のまなざしがいる。非戦をのぞむかぎり。 
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「正義」はしばしば、無慈悲とむすびつく。
関係世界から、寛容、信頼、対話、協議の位相が消え、
「正義」がめがけるものと真逆の世界が呼び寄せられることになる。 
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腹話術の人形。ケアを必要とする人の姿。
そうした存在が国のトップに据えられる一つの社会体の本質。
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正義はときどき、しばしば、あるいは常時、走りすぎる。
走りすぎて、真逆のものに転化するオフサイドラインがある。 
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どっちに重きをおくかでお里が知れる。がんばろうぜ。 
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なすがママ、いいなりのパパ。こどもの未来が壊れていく。 
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ぼくドラえもん 官僚のドラえもん 国民はとざえもん 
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ぼく総理大臣、すごいでしょ。いま笑った人、全員逮捕。 
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独善、垂れ流し、言いっぱなし、オレさま、聞く耳なし。
対話のない政治。政治と言えない政治。ガキか。
けれど、そうではない。〝ガキの空間〟がそれを許している。 
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ゆるぎない信念、絶対の正義、断固のかたまり。銅像かよ。 
じぶん(たち)を正しいと思うこと。正義はこわ、恐すぎるぜ、ベイビー 
 

 

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