かつて何であり、いま何であるかという問いの先に
「何でありうるか」という問いが開かれていく。
ありえない高見をめがけるファンタジスタは、
敗北を一つの果実に位相変換する思考のフォームを必要とする。
ファンタジスタ。
それはあらゆるプレーヤーの共通本質を構成する。
ほんとうに望んだものをそのものとして見ることはできない。
しかし望んだものから遠い位置にいるという、
空を切るような〈経験〉だけは鮮やかだ。
新たな予期が走る──
みずからの経験が失われてしまわないように、
心は「ことば」という公理系の外にくちびるを向かわせる──
公理系。ひとつの社会体を構成する言語体系。ラング、一般言語表象。
ありうるプレーモード、あるべきフォーメーションを記述する、
共同信憑として確定された定理のクラスとしての社会体。
「そこから離脱せよ」
めがけるべきエリアX、新たなプレーモード。
それが何かは本当はわからない。
しかし公理系に記述されないプレーモードが存在する。
みずからが試し、経験し、生きたプレーのクラスとは別の、
非知のプレーモードとたどるべきルートがある。
そのために離脱すべきプレーのクラス(公理)があり、
棄却すべき使い古した思考のルート(定理)がある。
新たなプレーモードへ向かわせるもの──
形を現わさないものへの予期は、
いつも矛盾、齟齬、異和、かく乱するノイズと共に立ち上がる。
ソレを感じ取るのは自分の感覚以外にはない。
あらかじめ明示可能なプレーの方向性が存在するわけではない。
明示されたプレーのクラスに完結できない、という感覚だけがある。
ソレは永遠に顕現しないかもしれないが、
ソレをめがける経験のモードはつねに同伴している。
公理系の生成──
無数のプレーとその果実、記憶が編み上げてきた経験のクラスがあり、
あらゆるプレーヤーがそれを前提として信じ生きる定理のクラスがある。
クラスの外へ。
前提。疑われざる前提。習慣の海に浮かぶプレーモード。
前提を検討にかけないという習慣と自明性の海を離脱するには、
エリアXという「虚数項」を必要とする。
根本動機──ゲームを生きることの本質、プレーのエロスを枯らさず、
ゲームとプレーの展開可能性、歓びを拡張しつづけるために。