ことばの海に産み落とされ、そこで育ちながら
ことばの海の知らない、教えることもない
ことばを充てることを禁じる
充てることで失われてしまう始原の作動がある
そう告げるものはいつも正体を明かさない
情動は走り、心は動き、ことばを手に取らせる
なのに、ことばを置き去り駆けてゆくものがいる
かたちを結ぶことができない
どこにも行きつく場所は明かされない
かたちにすること、ことばにすることを許さない
一つの色に染まること、そうではなく、ちがった色が滲むこと
ふたつの方角からおそれとおびえはやってくる
おそれるまま、おびえるまま
にもかかわらず、心を走らせるものがいる
文士と呼ばれたおとこは、おんなを、永遠のわかれを
一つの物語に、ぎりぎりの試行をしたためる
「サヨナラの挨拶をして、それから殺して下さるものよ。
私もサヨナラの挨拶をして、胸を突き刺していただいたのに」
ヒメのツブラな瞳はオレに絶えず、笑みかけていた。
オレはヒメの言う通りだと思った。オレも挨拶がしたかったし、
せめてお詫びの一言も叫んでからヒメを刺すつもりであったが、
やっぱりのぼせて、何も言うことができないうちにヒメを刺してしまったのだ。
今さら何を言えよう。オレの目に不覚の涙があふれた。
するとヒメはオレの手をとり、ニッコリとささやいた。
「好きなものは咒うか殺すか争うかしなければならないのよ。
お前のミロクがダメなのもそのせいだし、お前のバケモノがすばらしいのもそのためなのよ。
いつも天井に蛇を吊して、いま私を殺したように立派な仕事をして……」
───坂口安吾『夜長姫と耳男』