ASAKA通信

ノンジャンル。2006年6月6日スタート。

「コーディング」20220707(20220126)

2022-07-07 | Weblog

 

 

 


 First, we have to note that any object, event, or difference 
 in the so called 〝outside world〟can become a source of 
 information provided that it is incorporated into a circuit 
 with an appropriate network of flexible material 
 in which it can produce changes.


 最初におさえておくべきことは、
 いわゆる〝外界〟におけるいかなる物体も出来事も差異も、
 それらに応じて変化するだけの柔軟性をそなえた
 ネットワークの中に取り込まれさえすれば、
 情報の源(ソース)になりうる、ということだ。

     ──G・ベイトソン『精神と自然』(佐藤良明、2022年訳)

     *

「足りないな」
「何が?」
「足りないというより未だ存在せず」
「なにが?」
「コード」
「どんなコードさ」
「全項連結コード」

「おれたちはかまけすぎている」
「何に」
「世界の仕分け、選別と排除、切断と部分連結」
「分けるコードしか知らないって?」
「うそ-ほんと、よい-わるい、きれい-きたない」
「世界を分節しなければ生きられない。生きるためだろう」
「単に生きるのではない。生きあうためのコードがない」
「きれいごと言っている?」
「まさしく。最大級のきれいごと。しかしたしかな根拠がある」

「分節コードが目白押しだ。星の数ほどてんこ盛りだ」
「世界はばらけたままだと言いたいのかな」
「ちょっとちがう」
「どう?」
「ばらけたまんまでいいが、ばらけけたままでは終わらない」
「終わらない?」
「ばらけを放置すると一つのなろうとして火花が散る」
「戦争?」
「結論だけ言う。ばらけをそのまま資源として生かすには破格のコードがいる」
「それぞれに生きるコードがある」
「そう。そして、それぞれを殺さないためにはメタレベルのコードがいる」
「それが全項連結コード?」
「それを埋め込んでおく必要がある」
「なぜ?」
「ばらけたまま生きるために」
「優劣つけるなって?」
「相互のばらけを資源としてセッションして生きるために」
「わからん」
「ちょっと考えてみてくれ」

      *

情報ソースとするための固有の変換規則
身についたコーディングの仕方があって
それが個性や人格と呼ばれるものに当たっている

ひとりひとり、心的経験のプロセスにおいて
固有の変換規則に従って次々に記述命題が生成していく

推論、解釈、仮説、判断、理解、そして記述の確定──
生の試行的展開に必須の命題作成という根源的要請といえる

一定の了解、納得という心的な飽和点にたどり着いたとき
記述はかならず確定された命題に着地する

人それぞれに固有のコーディングの仕方がある
このことの不可避性は生きることの根源的要請に由来する

     *

ほんとうはよく知らないもの同士であっても
小さなインターフェイスを介して全部わかる
理解のポッケはスキマまなく記述命題で充填される

かのように、向かいあって交わり
愛し合い憎み合い殺し合う

滑稽だ、けれど
現実がそれで動いていく
バカすぎる、けれど
生き死にが決していく
無残すぎる、けれど
手のほどこしようがなく
愚かすぎる、だから

なんとかする方法を考えようか

資源化された情報は毒にも薬にもなる
滅ぼすためにも生かすためにも使われる

俺たちはみずからに備わる〝柔軟性〟を使い切っていない

変換規則、コーディング、交換の作法
もう少しましなものにできる方法がある

 

 

 

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