ASAKA通信

ノンジャンル。2006年6月6日スタート。

渡辺京二「犬猫のおしえ」(参)

2020-04-02 | 参照

 

よくある災難にすぎないが、はねられて、それでも必死にわが家の前まで
帰りついて死んだという事実が胸にこたえた。

彼にしてみれば、苦痛と惑乱のなかで、ともかくももっとも安全なところ、
なつかしいところ、あえていえば自分を愛してくれる者の居るところへたどりつこうとしたのだ。

猫にしろ人間にしろ、生きることはさびしさの極みであって、
それゆえにこそ愛慕の衝動を断ちがたい。
そういういのちの原型をみせつけられるようでたえがたかった。

そして学問芸術であれ、あるいはこの世のさまざまな勤労であれ、
一切の人間の営みはこのようないのちの切なさをみすえてこそ、
まともでありうるのだと、彼ら人間のきょうだいから教えられるのである。

 

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「Backstage ──われ感じる、われ欲す」 20200402

2020-04-02 | Weblog

 

「コーヒーを飲みたい」

欲望の励起──
「われ欲す」というメッセージの発信元は意識ではない。
意識は「われ欲す」という内的なメッセージの受信者である。
「われ欲す」の受信という出来事から、
意識はみずからの志向対象、世界との関係を告げられる。

「われ感じる」「われ欲す」──

この内なる告知によって、世界は「私-世界」という両極に分極し、
「私」のまえに〝私にとって〟の固有の意味配列をもつ世界が現われる。

この世界告知、そして意識による受け取りという出来事は、
人間のあらゆる世界経験の根源的な基礎構造をつくっている。

「かなしい」

世界との関係を告げる始原的な第一次のメッセージは、
疑いようのない情動の泡立ちとして、
あるいは、かたちをたどれない世界との関係として、
意識主体にとって、いわば内なるBackstageから届けられる。

世界経験の第二次の過程──
それは「ことば」(関係項)を媒介物として、
みずからの経験をことばへ変換し、
他者と相互の経験の交換しあう場面から展開していく。

            *

一次過程から二次過程へ、そして、二次過程から一次過程へ。
この循環的な回路において、一次と二次の二重記述が現象し、
「私」という存在は必然的に状態遷移のプロセスを歩んでいく。

 

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